今日の毎日新聞の投稿欄に「地域でコミュニケーションを」と題した投稿が載っている。

同世代の男性の投稿である。一部を抜粋して引用させていただく。「経済発展の恩恵の下、

豊かさで快適な生活を手にした日本は、利便性に依存し過ぎて人間関係が希薄になってい

ます。」と人間関係の希薄さを述べています。私も全く同感です。私は教育現場を歩いて

きた人間なので、世間の動きには疎いのですが、どこの世界でも同じことが言えると思い

ます。先日、30年以上続く仲間と数年ぶりに一泊して麻雀をする機会がありました。仲間

の一人が3月で定年になり、そのお祝いをと考えていたのです。それぞれの体調と時間の

都合を考慮したうえで、5人で集まることになり、本当に楽しい時間を過ごすことができ

たのです。今の高校の職員室では、教員同士の雑談などの横の人間関係が無くなっている

のが現状です。定年の仲間は、定年前の勤務以上に働いていると聞き、雑談や遊ぶような

機会は全くなくなったと嘆いていました。私は退職してから5年が経過しました。退職前

の5年簡に現在の状況を感じていました。私の世代は良くても悪くても、「人間関係」が

大きな要素を占めていました。同僚及び生徒との人間関係が仕事の中で、大きな役割を果

たしていました。約20年前頃から、人間関係が薄くなるように変化していきました。

パソコンの普及と一致しているのです。利便性の追求と合理性が人間関係への意識がだん

だん無くなっていきました。教育に新たな問題が生じてきたことと一致しているのです。

もちろん昔のすべてがいいわけではありません。ここでは書けないようなことがたくさん

ありました。善悪はともかく。「人間関係」が軸となって組織が動いていました。年功序列

 

の世界でしたので、幹事役は年少者が引き受けていました。そうすることが自然の流れ

として受け止めていました。Y君の定年を祝う会の幹事役はY君でした。発起人は私がや

りました。

 現在、私は自治会の総務理事をしていますが、最も大切にしているのは人間関係であり、

執行部の「意思疎通」です。顔を合わせてざっくばらんに話しができる関係を築くことが、

地域の改革のポイントになると考えて行動しています。

投稿には、「互いに知り合うにはコミュニケーションが不可欠です。集まりの場を適度に

設け、建設的な意見を出し合う場を通じて適切な世話人を見いだせるのです。世話役を

依頼するにしても皆が協力する姿勢は欠かせません。住みよい地域社会の形成には人間

 

関係を深める必要があり、そのためには地域住民の集まりで自由闊達な意見を出し合える

 

環境作りが必要です。」と結んでいる。全く同感で、私は自分の意志で世話役をしています。

自発・能動で「環境作り」をすることが私の役割だと考えています。