時代が「変化」したことを認識しなければならない。「平成」の時代も、

30年で終わることは明らかだ。どんな年号になるかはわからない。昭和の

戦後に生まれた世代が、「デジタル」な世界で取り残されてしまう「時代の

 

流れ」になっている。

 昨日の毎日新聞「時代の風」の寄稿文に中西寛・京都大教授の文章を読み、

共感した。見出しは、人口知能の未来、ポイントは「人間らしさ」見直すとき、

とある。2016年の3月に、人工知能(AI)の「Alphago」が世界のトップレベル

 

プロのイ・セドル九段(韓国)に勝利したことが衝撃的な出来事であった。

 

私も衝撃を受けた一人で、忘れられない記憶になっている。そもそも、

囲碁の世界では、AIがトッププロレベルに追いつくことはあり得ないか、

遠い将来の事と考え、たとえ早くても10年先と専門棋士も考えていたのが

 

事実だ。今では、トッププロ棋士がAIの打つ手を研究し、真似までしているくら

いだ。人間が作った機会が人間の知性のある部分を追い越しつつある事態を

 

どのように考えるべきかが問われている。発明家のカーツワイルはAIが人間の

脳組織を超えた時、知性は生物としての限界を突破し、機会と融合した新たな

知性が文明を担う時代が始まると唱える。人間は力においては他の動物にすら

遅れをとっていたが、知性においては地球上で最も発達した存在として自らを

万物の霊長と称してきた。

 国際関係の緊張が高まりつつある現在、AI技術を応用した無人兵器が急速

に開発されている。人類同士がいがみあっているうちに機械が人類を敵として

攻撃し始めるという未来も絵空事とは言い切れない。しかし人間とAIの競争

は目に見えない形で進行している。ネット通販による物流及び雇用への影響が

現実となっている。私自身はアマゾンでのネット通販以外の利用はしていなか

ったが、最近一つの商品を初めて購入した。

 20世紀の代表的な政治哲学者ハナ・アレントは「人間の条件」の中で、

人間の働きを、生物的存在のための「労働」、時間を超えた作品を作りだすた

めの「仕事」、他者との交流を意味する「活動」に分けた。アレンとによれば、

古代ギリシャ人はポリスの政治に参加する「活動」や芸術作品を創造する

「仕事」において「人間らしさ」を追求することに価値を見いだしたが、近代

人は生きるための「労働」とそれに付随する消費が働きの中心になってしまい、

「仕事」や「活動」といった真の人間性を喪失しつつあると見なした。

人間は本来、他者と交わり、誇りを持って生きる「活動」のために「労働」や

「仕事」をする存在のはずなのに、機械の発達によってますます狭い「労働」

に押し込められているのではないだろうか。物質的、技術的に最も発達した

先進世界で人々の不満が高まっている背景には、人間の本質的な価値が忘

 

れられていることがあるのではないかと思うと中西教授は書いている。

 「人間疎外」との言葉が使われてから久しい。科学技術が進めば進むほど、

人間が疎外され、社会において人間の持つ真の自由が失われてきているように

思えてならない。サイバー攻撃やテロ対策と称して、「共謀罪が」成立するよ

うな危険な社会へと、日本が右傾化している流れに懸念を感じているのが現在

の私である。政治および社会生活において、「時代の変化」を見極めて、自分

自身で、考えて判断し行動する「人間力」が求められているのではないかと、

私は考えるが。