5年目は、男子の普通科を卒業させた後なので、商業化の副担任としてスタ

ートした。英語科に新任の女子教員が入り、英語科の主任の私が指導担当にな

った。私も中堅教員としての役割がでてきた時期でもある。校内で初任者研修

が実施されるようになり、数年後、正式に初任者研修制度ができた。

英語と音楽の新採教員と国語の常勤講師の女性が新任として来た。職員室の

 

雰囲気が変わったと記憶している。私も教員生活17年目で38歳になっていた。

英語科全体のことを考える立場なったことを自覚していた。この時の英語科の

メンバーが私の教員生活を通じて一番良かったとの記憶である。人間的に良い

先輩教員たちがいたと思う。中でも一番おしゃべりで、ストレスをためないT

さんや、温厚な性格でおとなしいIさん、柔らかい物腰で俳句をたしなむNさ

ん、バリバリで実力のあるKさんと中堅からベテランまで、良くバランスがと

れていたことも確かだ。年度末に、英語科教員で修善寺の新井旅館に宿泊した

ことをよく覚えている。

 しかし、この頃から普通科男子クラスの指導が大変になっていったと感じる。

新任の女子教員に普通科の男子1クラスの授業を担当させた。授業は大変だっ

たと思う。男子生徒の好奇心の目にさらされていたのではないか。相談を受け

ていたので事情はよく知っていた。私は、男子の2クラスと商業科の女子1ク

ラスの授業を持ってスタートした学年である。その直後の5月に、商業科の担

任をしていた体育の教員のMさんが突然亡くなった。3年間担任をして、卒業

生とともに定年退職する考えと聞いていた。教員として立派な考え方だ。

私も教員生活の最後を担任でと、可能ならばそうありたいと思ったが、実現で

きずに定年を迎えている。通常はこのような場合、副担任が担任になるのだが、

新採用の教員のために担任にはできなかった。教頭は頭を悩まし、何人かの教

員に打診したようだが、全て断られたようだ。困って私に担任の依頼をしてき

た。私も簡単には引き受けることはできなかった。理由は、そのクラスの授業

を担当していなかったからだが。私の担任としての指導方法は、授業と一体で、

車の両輪と考えていたからだ。誰も引き受ける教員がいないので、どうにか頼む

というので、担当クラスの授業を変えることを条件に引き受けることになった。

授業を担当していたある生徒は「先生の授業に慣れてきて、ノートの取り方が

わかり、楽しみにしていた」と言われたことは忘れていない。そんなわけでM

さんのクラスの授業を持ち、18HRの担任をすることになった。生徒には、

戸惑いがあったようだ。Mさんは体育の教員らしく、挨拶の仕方まできちんと

躾を行っていたようだ。私は、それを壊してしまった。私のやり方とは違うか

らである。私は形式的なことはあまり重視しない。上意下達の方式を好まない

タイプの人間だ。私の独自のやり方で生徒との関わりを持った。一番戸惑って

いたのは、新採の副担任ではないか。あまりにも指導方法の違いに驚きがあっ

たようだ。このような経緯で、3年間商業科の担任をして、この学年の生徒を

卒業させることになった。本校で、普通科と商業科の担任をしたのは私だけで

ある。英語科の新任のKさん(私はMちゃんと呼んでいたが)も、2年と3年

の担任になり、この学年の生徒を卒業させた。担任として卒業させるまでには

様々なことを経験しなければならず、平坦な道ではない。それゆえに、教師と

しての成長があるのだが。苦労した分だけ人は成長すると私は信じている。

彼女にとっても貴重な3年間だったと思う。Kさんは翌年1年の担任をして、

4年間勤務して、転勤した。最初の赴任校での経験がその後の教員生活の基盤

に成っていくものである。私の経験則からだが。この学年では、2年生を持っ

たクラスでの授業やクラスでの指導で、苦労したことを記憶している。ここで

も女子生徒の扱いの難しさを感じた。男子とは全く違い、噂や感情に左右され

る傾向が強い。ともかく生徒との信頼関係の問題に影響したこと(上級生から

の噂が原因)があったからだが。私に責任があるのだが、詳細は省くことにす

る。教師の言動は生徒に与える影響は大きいと感じている。何事も経験して初

めてわかるものではないか。