私が転任したときの英語科の教員は、6~7人ですべて男子教員だった。

4月の下旬の英語科の歓迎会で、私より2歳若い教員を含めて、みんなが持ち

家だった。そのことに驚くと共に刺激を受けた。二人の教員が何とか生活して

いけるものだとのアドバイスをしてくれた。その直後の5月に、土地探しを始

めることになった。毎日のように、新聞広告のちらしを見ては、日曜日に、

沼津の東原、修善寺の牧の郷、三島の富士見台、函南、裾野へと車で見て回っ

た。その結果、現在の土地を共済組合からお金を借りて購入した。その際に、

英語科の松島さんにはお世話になっている。2区画の土地を選ぶ時に、一緒に

来てくれて、アドバイスしてくれた。広告に出る前のことで、西の道路側の区

画を選ぶところだったが、東側の区画を勧めてくれた。その翌年(昭和58年

・1983)に新築し、親と同居することになり、父親との同居生活(約6年

半)の大変さを経験した。簡単には言えない辛労だった。義母は、父親が亡く

なってから数年後にアルツハイマー型認知症になり、最後は施設で亡くなった。

父が亡くなったのが、平成2(1990)年3月26日で、享年79歳。

義母は平成14(2002)年の1月25日、享年81歳だった。

 その後との記憶だが、東側の菜園が駐車場になり、売り地になった時に、

 

借地部分を借金(退職金で返済)で購入することになった。その駐車場に、

 

長男夫婦が新築して住み始めたのが、2011年4月のことで、孫の翔が3歳、

 

煌が1歳だった。今は、その孫も小学4年と2年生になった。

 話しを戻すと、その松島さんとは長い付き合いになったが、5年前に、亡く

なった。松島さんの関係の人たちともよく麻雀をした。松島さんが大仁高校に

転勤するまで、三島南高校での人間関係の中心になり、他の学校の先輩教員と

も知り合いにさせて頂いた。私は他の先輩たちと同じように、「松ちゃん」と

呼ぶようになり、とても親しみを感じる英語科の先輩教員だった。松島さんは、

御酒と麻雀をこよなく愛するとても人間味のある人だった。私の家で麻雀をや

った時の食事時に、お茶の代わりにビールを出してあげた時の嬉しそうな表情

が印象に残っていると妻が言っている程だ。年齢差は10歳ぐらいだと思うが、

 

お世話になった人である。彼は、愛知県蒲郡の出身で、函南町に新築し居住した。

 

何回もお宅にもお邪魔している。おかっぱ頭で、私の長男の亮は「ET先生」と

 

呼んでいたくらいだ。非常に個性的で、人間味のある人だと私は思っている。

 

こういうタイプの教員はいなくなった。私の教員生活で、吉原高校で知り合った

 

小林先生に次いでお世話になり、とても印象に深く残っている人である。

 

亡くなったことを後から知ったので、葬儀にも参列できず大変失礼したとの思い

 

が強い。一度はお宅に伺ってご焼香とは思ったまま時が過ぎてしまった。

 

お世話になった二人の先生のご冥福を祈っている。