私の大学受験は、横浜市大の文科の一発勝負だった。全国模試の判定はE
段階の25%以下だった。土俵際で踏ん張って頑張るしかなかった。選択の
余地がなかった。私の世代は、変化の時代でもあった。指導要領の改訂があり、
戦後最多の大学受験者となった。私にとってはサバイバル競争だった。
過去の試験問題を徹底的に分析した。「傾向と対策」を自分の手で行なう方法
だけを考えた。試験の合格ラインに達するための勉強の仕方に徹した。
国語は「漢字」の学習を中心に、評論文の読解。古文は、古典よりも近代文の
読解。数学は、数学1と二次関数を重点的に、社会は、政治経済のまとめを
学習。英語は、英文和訳の部分訳と和文英訳の部分訳を重点に、慣用表現と
熟語・構文、書き換え問題の勉強をした。500点満点の60%では完全に
合格圏内であり、55%を切ると不合格になる。57~58%がボーダーラ
インと予測した。前年よりも1~2%上がるとの判断だ。試験問題の80%
が記述式であるために、60%の壁は高い。倍率が高いと不確定要素が高く
なり、1点が重くなる。1点は1問にもならないが、同点者が多くいる。
高倍率の受験は、1点に泣き、1点に笑うのが現実だった。文科の定員が
100名で、額面倍率が50倍になったが、受験辞退者が1000人でた。
補欠合格者を含み300人(推定)の合格者で、入学者は160人だった。
私が大学を目指した最大の目的は、「人生をどう生きるか」であった。学究肌
ではないので、学問で生きていくことはできないと思っていた。職業の選択が
第一となった。親友を作ることも大事なテーマであった。学問は二の次になっ
たことは事実である。本来大学は、学問をする所であるのだが。
大学4年間の自由な時間の中で、本を読み、友人と語らい、アルバイトをしな
がら、自分の人生の「方向」を決めたいと思った。生きる基盤となる生命哲学
に関心を持ち、友との研鑽を積みながら、大学生活を送った。その中で知った
ことは「人間が好き」ということだった。人間関係の大切さを学んだと言える
だろう。人間関係のキーワードは「信頼」だ。時間や約束を守ることが基本と
なる。私は「正直」であることを重視した。Honesty is the best policy.との諺が
好きなフレーズだ。更に言うと、「自分自身に正直に」との信条になる。
職業の選択は消去法で、高校の教員を選んだ。元来教育には関心を持って
いたと言えるが、教師の道を考えたことはなかった。職業として重要だとは思
っていなかったようだ。大学へ入学した時点でも、その意識は変わってはいな
かった。卒業後の進路を考えるようになったのが、3年生の頃で、教職に必要
な単位を慌てて取るようになったことも事実だ。その際に、英語と社会の免許
取得の選択を迫られた。英語の方が単位を取りやすかったことと採用試験の
ことを考えると、政経だけでは、ほぼ不可能と判断した。歴史を勉強していな
いことが、将来的に致命傷になることも知ったからだ。義務教育の教員には
向かないと判断した理由は、子どもの相手が苦手だということだ。
結局、「高校の英語の教員の道」しか選択の余地はなかったのだ。