組織の論理は、大学時代から考え続けてきた「問題意識」である。組織と

個人の関係である。組織の目的を追求すると、個人の目的との矛盾が生じて

くる。「自由」の度合いが制限されることが最大の問題だと考えている。

私は自分の気持ちを抑えてまで、組織の目的を追求することはできないタイプ

だ。どうしても、一匹狼になったり、「少数派」になってくる。たとえ「正論」

でも通らないのが常である。多くの場合、黙っている人が多いことも確かだ。

私は黙っていられない性格だ。きちんと「筋」が通らないと「納得」しない。

ドラマ「相棒」の杉下右京のように「細かいことが気になるので」は、私の妻

のタイプだ。私は「納得しないと気がすまない人間」だ。細かいことはどうで

もいいが、事の本質に関わると自分なりに「思索」する。果たしてこれでいい

のだろうかと「疑問」を感じると止まらない。根が正直な人間だから、

「ごまかし」や「まやかし」を許せない。人間が甘いので、人を信じやすいと

の短所もあるが、「人間が好き」なのが私という人間だ。だからこそ、教員の

道を歩いた。42年間歩き続けた教員人生だ。その教員人生の軌跡を残すため

に、「私の人生の記憶」との自分史を書いて、ブログに公開している。誓って

言うが、私が書いたことに全く嘘はない。「自分らしく、正直に」が私の信条

だ。馬鹿正直ともいえるくらいだ。それでも伝わる人には、必ず伝わると信じ

てきた人生だ。平坦な道を歩いてきたわけではない。それなりの苦労と経験は

味わってきた。私は「試行錯誤」を繰り返しながら、自分の方法を模索しがら

歩いてきたのである。その教員人生に悔いはないし、自分の人生に悔いは残し

たくないのだ。振り返れば、それなりの後悔や残念な気持ちは当然あるのを

承知の上で言うのだ。部分ではなく、全体としての人生のことを言っている。

私ほど「マイペース」で、「ありのままに」人生を歩いてきた人は他にはいな

いだろうと思っているほどだ。私は40代前後の時期を、三島南高校で教員を

していた。その頃のことはすでに書いているので、重複は避けるが。ある英語

の先輩教員のKさんから、「相川さんは自由人だね」と言われた。私自身そう

思っている。学校という組織の中で「自由人」として生きることは楽な事では

ない。無責任な行動をとったことはない。中堅教員として、新任教員の教科指

導担当にもついたし、英語科主任として、英語科全体のことや、学年全体のこ

とも考えて、担任の立場から発言してきた。前任の吉原高校では、若手として

発言してきた。風当たりも強かった。しかし、自分の信念を曲げることはでき

ないし、曲げることはなかった。正論を言っても通らないのが現実であった。

だからと言って、生徒に負担や迷惑をかけることはできなかった。

「生徒のために」のスタンスで発言してきたと自負している。同じように

「生徒のために」と言いながら、裏では都合のいいことを言っている先輩教員

を多く見てきた。彼らが生徒を利用して、「実績」を残し、校長から評価され

るように行動して、推薦を受けて管理職になった例はいくらでも見ている。

同世代でも同じことが言える。言うこととやることが違う「言行不一致」なの

だ。「建前」と「本音」を使い分ける。正論らしく「建前」を言い、管理職側

に立っているのだ。そんな連中が「生徒のため」とぬけぬけと言うのだ。

真面目に余計なことを言わずに仕事をするタイプも校長には好まれる。

いわゆるイエスマンだ。学校の場合、「権力」つまり「人事権」は校長にある。

その校長にしても、県教委には従順なのだ。イエスマンでないと管理職にはな

れない。あえて具体例をあげる。私の麻雀仲間の一人(県採用は私よりも後だ

が1歳年上)のKは、県教委学校教育課の指導主事になり、教頭になり、

副校長(今の呼称は准校長)で終わった。指導主事が校長になれなかった例は

あまりないだろう。何故か。「慢心」の一言で片づけていい。指導主事及び

管理職としての評判が悪すぎたからだ。私の後輩も校長になり、定年を迎えて

いる。彼らのレベルを知っている。世渡りがうまく賢いという共通点がある。

信用に足るほどの人物ではない。管理職になっていない同僚の方が優秀で、

立派な人物は多くいる。これが教員の世界の現実だ。人間のやることには、

どこの世界も同じことが言える。外から見ると、きれいであるべき世界ほど、

内実は汚いとはっきり言える。人間の「性」であろうか。またそういう世界は

「隠蔽体質」だと言っても過言ではない。私の師の言葉を引用する。

「一生涯同じ志に生きる。絶対に『信頼』を裏切らない。 青春の『信念』と

『信義』を貫いた人は、それ自体、勝利の人生である。『人間』として勝った

人である。『誓い』とは、人間だけができる、いわば人間の人間としての

『証し』だからだ。」(名言100選)

「全体があって、一人一人があるのではない。まず一人一人の人間があって、

強く団結していくのである。すべては、『一人』に帰着する。(四季の励まし)

組織は個人の幸福のためにあるのであって、組織のために個人があるのでは

ない。個人を犠牲にしてはいけないのだ。「一人の人を大切に」というのが

私の師の言葉である。「目的論」と「本質論」の視点から思索すると見えてく

るものだ。指導者はそのことがわかっていなければならない。内実は自己の

「名聞名利」に走っている人間が、指導者の仮面をつけていることを見抜かな

ければならない。今日のようなグローバルな「情報社会」では、自分で

「見極める力」をつけて、「判断する力」を身につけないと、権力者の意の

ままにされる危険が高いのだ。組織の目的は個人の幸福のためにあることを

忘れてはならないというのが、私の「組織論」の帰着である。