内藤さん、議長の立ち位置を教えてもらえますか。
一般論としての私の個人的見解は、多くの人は、規則や慣例に縛られている
ことです。作ったのは誰か、それは人です。では「何のために」作ったのか。
この点が形骸化していくのが通例です。
私は教員の世界しか知りませんが、同じことが言えます。
学校の規則でも、なぜその規則があるのかを考えずに、「ルールだから守りなさい」
としか指導できない教員を見てきました。私は生徒に規則だからとかルールだから
守れと云う指導はしたことがありません。服装指導など特にそうです。判断の仕方
が難しいから、
数値化してほしいとの意見がありましたが、例えば、スカートの
長さを数値化できるかどうかを考えない教員が多くいました。
数値化とはひざ上何センチかということです。すべて個人差があり、
一律にするのがおかしいというのが私の持論です。若い時には
当然意見が通りませんでしたが、中堅の立場にたってからは、そのような意見に
反対し説得するようになりました。要するに、自分の目で判断できるかどうかが
問題なのです。それを言うと、個人の差が出て平等性に欠けるということを言い
だします。私は基本的には自分の目で見て自分で判断して指導してきました。
全体とのバランスには常に悩みましたが、場合によっては、学校全体で伝えなけれ
ばならない場合でも、私の考えと違う場合は、それが分かるような話し方もしました。
上意下達では駄目です。自分で「咀嚼」してこそ「納得」できる説明ができるものです。
人間のやることに組織が違っても変わらないと私は考えています。私が校務分掌で課長
をしていた時はまとめ役です。意見をまとめて運営委員会で責任を持って発言してきま
した。この場合は、個人的な考えは抑えてきましたが、明らかにおかしいと判断すれば
簡単には引き下がりませんでした。感情的なことになりかねないのですが。日本人は
議論が下手です。国会を見ていればわかります。「着地点」をいかにお互いに見いだす
かの考え方をもっていなければなりません。その時に「何のために」が基準になるのです。
国会議員なら「国民のために」の意識がなければならないのです。永田町の論理は国民の
非常識です。市政の場合は「住民のために」住民の声を聞き、正当な意見であれば
、いかにそれを実現するかではないですか。議員の論理で議論しても、私に言わせれば
、価値がないということになります。議長が議会の代表として、行政に向き合うのか
、それとも単なる名誉職なのかそのあたりの事を知りたいのです。大臣も待機待ちの
ような話しですが、そこが問題です。本当の意味で「適材適所」が行われているのか
、国民は信用していません。常に大臣の不用意な発言がでますが、謝罪ですむことでは
ないのです。本音が見えているのです。市議会のことは広報ぐらいでしか情報がない
と思います。教員も議員もすべて「人」によるということです。議長の適性や役割
は私にはわかりません。学校の責任者である校長の役割は知っています。校長を経験し
ていませんが、身近な同僚が校長になっているからわかります。「適正能力がない人」
も多くいるのが現実です。私は教員の世界でも、おかしければおかしいとはっきりといいます。
しかし、決定する立場には立っていませんので、その立場からの意見を言うことはできま
せん。一気に書いたので読みずらい点はお許しください。相川 隆