体調が良くなってきたために、私の「心」が開かれている。躁うつ病なのか

と思うことがある。いわゆるテンションが高くなっている自分を見ている。

現在朝の5時半。右の肩甲骨に痛みを感じ、右手が少ししびれる感じがして

いる。原因はわからない。特に問題はないだろう。そのせいで目が覚めて

寝ていられないので、起きてパソコンに向かっている。高齢の故だろうが

このところ目覚めが早くなっている。以前も同じようだったのだが。

「心」は元気になっている。体調と一致している。人の心は不思議な世界だと

しみじみと感じている。仏教の言葉に「色心不二(しきしんふに)」とある。

「色(しき)」とは身体、肉体を意味する、「心(しん)」は心である。

不二(ふに)は二つであって一つの意味になる。簡単な解釈では、「心と体は

一体である」ということだ。この言葉が、理屈(頭)ではなくて、「実感」として

わかるのだ。体調の悪い時の自分と、体調が良い時の自分の両方がわか

っている。「色心不二」の言葉が浮かんでくる。

 5月の初めに風邪をひき長引いた。体調が落ちると同時に「気力」が落ちて

しまった。何もする気になれない状態になった。また始ったと思ったが、

解決する方法がなく「心」が苦しくなる。時の経過をじっと待ちながら、

「耐える」しかない。何もする気になれないのだから、どうにもならない。

好きなこともできなくなる。話しをするのが好きだし、文を書いたりすることも

好きだ。外に出て写真を撮ることも好きになってきていた。好きなことができ

ないことほど「辛い」ことはない。また家族へ与える影響も大きい。妻とも必要

な事しか話さないし、孫ともほとんど話すこともない。子どもは敏感だ。私の

様子を見ている。孫にとっては、妻は親と同じくらい大事な存在だが、私の

存在感は低い。もともと子どもの遊び相手が苦手な人間だ。「人間好き」なの

だが。体調が悪くなると、孫は「かわいい」との気持ちには変わりないが、

うるさいと感じてしまう。それが顔の表情に表れる。孫にとって私はどんな存在

だろうかと考えてしまう。

 今月になって体調が完全に良くなり、外出する機会も増えてきた。カメラ

を持ち歩いて、富士山の写真を撮ったりしている。ブログの更新もしている。

グーブログで写真付きの日記も70件になった。もう忘れていることのほう

が多い。このブログでは、基本的には「文を書く」ことにしている。長文を

書いたりしているので、読みにくいと感じている人もいるとは思っている。

私の時々の気持ちを「正直に」書いていることだけは理解してほしい。

私の「記録」というか、「備忘録」と言えるかもしれない。残して伝えて置き

たいという気持ちも強い。読んで楽しいことを書いているわけではない。

こんなブログでも読んでくれる人がいることが素直に嬉しいと思っている。

しばらくブログの更新もしていなかった時に、作家の山崎洋子さん(高校の

同期生)から誕生日のメッセージで、心配して頂いていることを知り、有難い

との思いを感じていた。また友人も心配しているとのメールを送ってくれた。

他の友人もブログの更新で私の体調を判断してくれている。卒業生も同じよう

な気持ちでいてくれているだろう。つい最近知ったのだが。次男もブログを

通して私のことや孫のこともわかっていると言っていた。ブログが私の近況

報告にもなっている。最近の変化は、フェイスブックに投稿していることを

「私のフェイスブック」としていくつかまとめて、このブログに載せているので、

より詳しく私の「近況」と「心境」がわかるのではないかと思っているが。

友の言うように、ブログが「バロメーター」になっていることは確かだ。

 一昨日、近所の友人と河口湖を巡り、東京富士美術館へ行ったことはブログ

(グーブログ)に書いてある。それに加えて昨日のことを触れておく。孫に買っ

てきたお土産のことだ。喜んでもらえればいいと思っていたが、二人の孫が

「大喜び」している様子を見ていたら、本当に「嬉しい」気持ちになった。買って

きてよかった。「こんなに喜んでくれるのなら安い買い物でしょ」と妻も言っていた。

これが孫とのコミュニケーションの「きっかけ」になるように感じている。ただし、

私の体調次第だとは思っている。孫が喜んでいる姿を見ると、とても嬉しく感じる。

そんな「心」の状態になってきて「嬉しい」と。