昨夜、突然次男(横浜市在住)から電話がかかってきた。「これからちょっ
と寄るから」と言った。つい「何かあったのか」と思ってしまう。
No news is good news. とのことわざがある。離れていると、用事がなければ
連絡がない。連絡がないことが無事であるということなのだが。
中学校の恩師が亡くなり、お通夜に三島へ来たとのことだ。まだ60代との
ことだ。定年になってから数年しか経っていない。犬を連れて散歩中の出来事
だったようだ、車に引かれて即死したという。まさに「一寸先は闇」だ。何が
起こるかわからない。他人事ではない。車の運転手は75歳の高齢者だと聞い
た。私も高齢者ということだ。高齢者の事故が多発している。
私は、ここ数年車の運転に「不安」を抱えている。「不安感」はただ気持ち
の問題と片づけることはできない。次男に話したが、実感としての理解は無理
だろう。事実として話しておいた。高所恐怖症であり、高速道の運転をしたく
ない。夜間の運転もしたくない。スピードへの恐怖心がある、長いトンネルや、
暗い場所、狭い場所の運転を避けたい思う心はどうにもならない。本質的には、
「死」への恐怖心からのものだ。「生老病死」の四苦は誰にも避けられないこ
とだ。次男にも話したが、「父親の年齢を超えるまでは生きたいと思っている」
と。「まだ10年は死ぬわけにはいかない」と。明日のことは誰にもわからな
い。「運命」としか言いようがない。亡くなった先生も同じ思いでいたのでは
ないかと。多くの卒業生が来ていたと聞いた。次男は「ライン」のグループから
の情報で知ったと。退職後に大勢の卒業生が駆け付けることだけで、「良い先生」
だったことがわかる。教師としての人生、ひと言で「人柄」を感じる。
面識はないので私には分からないが、「ご冥福をお祈りいたします」。
まだやり残したことがたくさんあるだろう。突然自分が事故で亡くなるとは、
想像もつかなかったことだろう。私も今できることはやっておくことにしたい。
次男は、私の近況を「ブログ」を通して知っているようだ。何でも正直に書い
ている。そのことが息子に伝わっている。お墓の移設についても詳しく話しを
した。私の気持ちを話しておいた。良い機会と思ったからだ。親子と言っても、
いつでも、何でも話しが出来るわけではない。私の場合がそうである。話した
い気持ちがあっても、タイミングが合わない。次男も同じだろう。
私の家は、「妻」が私と子どもとの話しの「橋渡し」をしてきた。何でも妻か
ら聞いている。決断が必要な時は私が決定してきた。子どもと私が直接じっく
り話すことはない。そんな機会を持ちたいとは常々思ってはいるが。私に時間
があっても、息子たちは仕事で忙しく日々に追われている。長男は隣に住んで
いるが、話しらしい話しをしない。次男は離れているので、年に2回の帰省が
普通で、あとは今回のような特別の場合に限られる。先生の御不幸で来たの
だが、わずかな時間ながら、私も話しができて嬉しかった。それだけ私の体調が
良くなっている。次男も安心したようだ。ついでながら、私の好きなカルチェの
財布をあげた。次男は「どうも」と言い、受け取った。喜んでもらえれば嬉しい。