担任として、最初にしなければならないことは、生徒の名前を覚えることで
あった。生徒のことを知るために、個人面接をする。授業を担当しているだけ
では、個人面接をすることはない。個人面接は、すべての担任がやっているこ
とで、要は面接の仕方、内容である。その中に、教員の個性がでる。結論する
と、どうやって「信頼関係」を築くかである。その鍵は、もちろん「授業」に
あるが、生徒を信頼できなくて、信頼されるはずがない。人間は感情の動物で
もある。好き、嫌いの「感情」はどうすることもできない。人の「相性」の問
題もある。平等に接するように心掛けるが、一人ひとりの受け止め方は違う。
英語では、相性がいいことを、good chemistry と言い、化学反応である。
信頼関係は感情を越えると私は考えている。好き、嫌いでは、嫌われないこと
である。嫌われたら、女子高では務まらない。私が実感したことだ。女子の持
つ特性からきている。女子高の怖さは、それが集団化されることだ。影響力の
ある生徒が、「あの先生は嫌いとか駄目」と言うと、全体の空気感、雰囲気に
なる。前述したY君のケースがそうである。授業を通じて、生徒をひきつけ、
信頼を得られるかどうかがキーになる。そのためには、教材を研究して、わか
りやすい授業をすることだと私は考えた。その努力をした自負はある。ただ若
く経験が浅い故に、精神的なゆとりはなかったと思う。少しゆとりを感じるよ
うになったのは、この学年の生徒を3年間担任として卒業させてからである。
継続して教えることが大切である。担任として生徒を入学から卒業まで面倒を
みることに尽きると思っている。この学年を担当した経験からの実感である。
この3年間担当した生徒は、個性的な生徒がいたとの印象が強い。賢い生徒も
多かった。ある生徒が、「先生とはもっと話したかった」との言葉は特に印象
に残っている。御殿場の青年の家での研修の時だと記憶しているが。新体操部
のI・Tという生徒だ。私はバレーボール部の顧問であったが、指導はコーチ
に任せていた。I・T(別の生徒)が「たまには来てくださいね」との言葉は
よく覚えている。とても利発で、私のあだ名を面と向かって言える生徒だった。
少し具体的な話しを書いておくことにする。女子生徒は、男の先生に関心があ
ることはすでに書いたが、実際にどこを見ているかというと、やはり外見であ
る。頭髪・服装に関心が強い。教員も生徒に対して外見で判断する傾向がある
と言える。実際に生徒指導の中心になっていた。人は、外見で人を判断する傾
向は、教育の世界に限ることではないが。「人は見た目が9割」との本がある
くらいだ。私が床屋で髪を切った翌日に、教室に入っただけで反応がある。
くすくす笑っていて、授業に入りにくい経験は常であった。定時制の時には経
験したことがないことだ、服装に関して言うと、私はおしゃれな方で、関心が
高い。生徒の目を常に意識していた。30歳くらいの時が、一番派手だったか
もしれない。教員になりたての定時制の頃のほうが地味だったように思う。
派手な代表的な服装は、ライトグレーの三つ揃いのスーツに、赤のネクタイを
して学校に着て行った時期である。妻も首をかしげていたようだ。本人も度が
過ぎているかなと感じていた。当然生徒の反応は大きい。キザと感じた生徒と
ダンディだと感じた生徒に分かれるようだ。最近、その時のクラスの集合写真
を含め4枚をフェイスブックにアップした。今はFBで友だちになり、2年と
3年で私のクラスだったS・Kがシェアしてくれ、コメントをもらった。
とても懐かしい思い出の写真だ。その服装は別にしても、教師臭い服装はした
ことがない。外見的にも教師には見られなかった。本人が承知してやっている
ことだった。「相川先生は、先生に見えない」との見方をされていた。教員生
活の間、ずっと変わっていない。外見、考え方の両面から教師らしくない。
それが私の「アイデンティティ」だと自負しているくらいである。とにかく、
「教師らしくない教師」を志向していた。この傾向が強く出ていたのが吉原高
校の頃だと思う。女子の目の意識が強かったのだろう。私が、アスコットタイ
をするようになったのもこの頃からである。生徒は、スカーフをしていると思
ったようだ。そんな教員を目にしたことがない。私のネクタイにも注目してい
た。少なくとも1週間以上同じ服装をしたことがなかった。ネクタイだけでも
50本以上は持っていた。スーツやジャケットに合わせてネクタイを選んでい
た。単なる私の好みと言えるが。実際に使うのは10本もいかない。生徒の私
の服装に対する見方は、「キザ」「ダンディ」に分かれていた。好意的に見る
か否かであった。
私は、授業の中で、私の「物の見方・考え方」を教材に応じて、生徒に話し
をした。すでに書いたが。恋愛についての考え方や妻とのいきさつの話しには、
特に関心を示していた。妻の話しは別にして、話しをした内容は覚えていない。
しかし、女優で言うと、八千草薫がタイプとの話しをしたことは記憶にある。
各学期の最初の授業や定期試験のテスト返却の授業で、教科書を使った記憶が
ないくらいである。普通、教員はプライベートに関することを話したがらない。
私が普通ではなかった。生徒に話すべきではないこと以外は何でも話しをした。
こういうこと自体も教師らしくないことだった。私が、1年と3年のクラスで
担任をした生徒に言われて反省したことがある。この生徒S・Yは、運動能力
に優れていて、影響力があり、多くの教員も知っている生徒の言葉である。
「先生は、奥さんのことを良く言っていない。その点の評判は良くない。他の
ことでは、先生が一番人気があるのに」と。私は、妻のことを悪く言ったつも
りはないが、謙遜しているつもりで話したが、ほめるような言い方をしなかっ
た。そのことが良く言っていないと受け止められたのだと思う。女子生徒は、
率直な言い方で話した方がいいと感じると共に、言葉の使い方に神経を使うこ
とを再認識した。こういう経験が次につながっていく。
あった。生徒のことを知るために、個人面接をする。授業を担当しているだけ
では、個人面接をすることはない。個人面接は、すべての担任がやっているこ
とで、要は面接の仕方、内容である。その中に、教員の個性がでる。結論する
と、どうやって「信頼関係」を築くかである。その鍵は、もちろん「授業」に
あるが、生徒を信頼できなくて、信頼されるはずがない。人間は感情の動物で
もある。好き、嫌いの「感情」はどうすることもできない。人の「相性」の問
題もある。平等に接するように心掛けるが、一人ひとりの受け止め方は違う。
英語では、相性がいいことを、good chemistry と言い、化学反応である。
信頼関係は感情を越えると私は考えている。好き、嫌いでは、嫌われないこと
である。嫌われたら、女子高では務まらない。私が実感したことだ。女子の持
つ特性からきている。女子高の怖さは、それが集団化されることだ。影響力の
ある生徒が、「あの先生は嫌いとか駄目」と言うと、全体の空気感、雰囲気に
なる。前述したY君のケースがそうである。授業を通じて、生徒をひきつけ、
信頼を得られるかどうかがキーになる。そのためには、教材を研究して、わか
りやすい授業をすることだと私は考えた。その努力をした自負はある。ただ若
く経験が浅い故に、精神的なゆとりはなかったと思う。少しゆとりを感じるよ
うになったのは、この学年の生徒を3年間担任として卒業させてからである。
継続して教えることが大切である。担任として生徒を入学から卒業まで面倒を
みることに尽きると思っている。この学年を担当した経験からの実感である。
この3年間担当した生徒は、個性的な生徒がいたとの印象が強い。賢い生徒も
多かった。ある生徒が、「先生とはもっと話したかった」との言葉は特に印象
に残っている。御殿場の青年の家での研修の時だと記憶しているが。新体操部
のI・Tという生徒だ。私はバレーボール部の顧問であったが、指導はコーチ
に任せていた。I・T(別の生徒)が「たまには来てくださいね」との言葉は
よく覚えている。とても利発で、私のあだ名を面と向かって言える生徒だった。
少し具体的な話しを書いておくことにする。女子生徒は、男の先生に関心があ
ることはすでに書いたが、実際にどこを見ているかというと、やはり外見であ
る。頭髪・服装に関心が強い。教員も生徒に対して外見で判断する傾向がある
と言える。実際に生徒指導の中心になっていた。人は、外見で人を判断する傾
向は、教育の世界に限ることではないが。「人は見た目が9割」との本がある
くらいだ。私が床屋で髪を切った翌日に、教室に入っただけで反応がある。
くすくす笑っていて、授業に入りにくい経験は常であった。定時制の時には経
験したことがないことだ、服装に関して言うと、私はおしゃれな方で、関心が
高い。生徒の目を常に意識していた。30歳くらいの時が、一番派手だったか
もしれない。教員になりたての定時制の頃のほうが地味だったように思う。
派手な代表的な服装は、ライトグレーの三つ揃いのスーツに、赤のネクタイを
して学校に着て行った時期である。妻も首をかしげていたようだ。本人も度が
過ぎているかなと感じていた。当然生徒の反応は大きい。キザと感じた生徒と
ダンディだと感じた生徒に分かれるようだ。最近、その時のクラスの集合写真
を含め4枚をフェイスブックにアップした。今はFBで友だちになり、2年と
3年で私のクラスだったS・Kがシェアしてくれ、コメントをもらった。
とても懐かしい思い出の写真だ。その服装は別にしても、教師臭い服装はした
ことがない。外見的にも教師には見られなかった。本人が承知してやっている
ことだった。「相川先生は、先生に見えない」との見方をされていた。教員生
活の間、ずっと変わっていない。外見、考え方の両面から教師らしくない。
それが私の「アイデンティティ」だと自負しているくらいである。とにかく、
「教師らしくない教師」を志向していた。この傾向が強く出ていたのが吉原高
校の頃だと思う。女子の目の意識が強かったのだろう。私が、アスコットタイ
をするようになったのもこの頃からである。生徒は、スカーフをしていると思
ったようだ。そんな教員を目にしたことがない。私のネクタイにも注目してい
た。少なくとも1週間以上同じ服装をしたことがなかった。ネクタイだけでも
50本以上は持っていた。スーツやジャケットに合わせてネクタイを選んでい
た。単なる私の好みと言えるが。実際に使うのは10本もいかない。生徒の私
の服装に対する見方は、「キザ」「ダンディ」に分かれていた。好意的に見る
か否かであった。
私は、授業の中で、私の「物の見方・考え方」を教材に応じて、生徒に話し
をした。すでに書いたが。恋愛についての考え方や妻とのいきさつの話しには、
特に関心を示していた。妻の話しは別にして、話しをした内容は覚えていない。
しかし、女優で言うと、八千草薫がタイプとの話しをしたことは記憶にある。
各学期の最初の授業や定期試験のテスト返却の授業で、教科書を使った記憶が
ないくらいである。普通、教員はプライベートに関することを話したがらない。
私が普通ではなかった。生徒に話すべきではないこと以外は何でも話しをした。
こういうこと自体も教師らしくないことだった。私が、1年と3年のクラスで
担任をした生徒に言われて反省したことがある。この生徒S・Yは、運動能力
に優れていて、影響力があり、多くの教員も知っている生徒の言葉である。
「先生は、奥さんのことを良く言っていない。その点の評判は良くない。他の
ことでは、先生が一番人気があるのに」と。私は、妻のことを悪く言ったつも
りはないが、謙遜しているつもりで話したが、ほめるような言い方をしなかっ
た。そのことが良く言っていないと受け止められたのだと思う。女子生徒は、
率直な言い方で話した方がいいと感じると共に、言葉の使い方に神経を使うこ
とを再認識した。こういう経験が次につながっていく。