「教養」とは何か。これは私のテーマである。「語彙力こそが教養である」
に目を通した。明治大学教授の斎藤孝氏の著書である。2年前に読んだ池上
彰氏の著書「大人の教養」では、教養とは「自分を知ること」です。この本
についてはブログに書いている。
「教養」とは語彙力と言えるだろうか。「語彙力」とは「言語力」だと私は
思っている。鳥飼玖美子氏の著書「本物の英語力」の中で、「語彙力」につ
いて書いている。斎藤氏と鳥飼氏の共通する考え方は、「読むこと」によっ
て語彙力を高めることができるということだ。本を読むことが大切だとなる。
鳥飼氏は、「精読」以上に「多読」を勧めている。斎藤氏は名作の「音読」
を勧めている。読むこと、聞くことはインプットであり、話すこと、書くこと
はアウトプットである。言語力とは「表現力」であると、私は考えている。
斎藤氏は「語彙力を身につけるには、その言葉が含まれる文章ごと文脈の中で
覚える方がずっとラクです」と書いている。鳥飼氏は「先立つものは『語彙』、
『コンテクスト』がすべてを決める」と。両氏ともに語彙力を高めるには、
文脈、コンテクストを重視している。単語を丸暗記する方法を否定する。
私も同意見である。ともかく語彙力を高めるには読むことが大事だ。良書を読
むことが「心の食事」であり、心の栄養となる。「心の栄養」が「心の豊かさ」
には欠かすことができない。「豊かな心」が「教養」だと、私は考えている。
聖哲の「心こそ大切なれ」との言葉が私の座右の銘である。
「教養」は、英語の culture に相当する。教養のある人は、a man of culture
との表現だ。culture は「文化」として使われている。カルチャーは日本語に
入っている。culture は、元来「耕地」の意味で、語源は、cultivate (耕す)
と同じである。agriculture(農業)はラテン語で「土地を耕すこと」の意味。
Reading cultivates the mind.「読書(読むこと)は精神を養う」とある。
「教養」は人柄、人間性に関わる。知識が豊富であることは語彙力が豊かであ
ることは確かであるが、テレビで活躍している予備校講師林修氏は知識はある
が、教養のある人と言えるだろうか。斎藤孝氏にも同じような印象を抱く。
二人の読書量はものすごいが、何か違和感を覚えるのは何故であろうか。知識
を誇示する「人間性」に問題があるような印象を持っている。
人の「教養」は人の「文化」である。長い年月をかけて培うものである。読む
こと、学ぶこと、経験を積み重ねて、にじみ出てくるものが「教養」ではない
か。「心の豊かな人」が「教養のある人」だと思っている。
10年以上前に御殿場南高校の図書課長として書いた原稿を載せる。
「自分らしく」生きる 図書課長 相川 隆
先日、全国図書館大会が三島で開催された。その時に、明治大学教授の齊藤
孝氏とヴォーカリストの鈴木重子さんの対談が行われた。「生きることと表現
すること」がテーマであった。お二人とも、地元静岡県の出身で、現在活躍さ
れている人たちである。対談の前に、一人ずつ自己紹介的なトークや歌が紹介
された。まず、齊藤氏は大学で教員養成のための読書術や、私塾で子供たちに
音読による読書の実践をされている。「声に出して読みたい日本語」や「理想
の国語の教科書」等で著名な人である。私自身も、言語を音読することは大切
だと考えている一人なので、その点で、齊藤氏の考え方に共鳴している。言語
のもつ音とリズムを身体で表現することで、文の意味の理解が深まることは確
かだと思っている。全く意味のわからないまま音読しても無意味だが、意味を
理解し声を出すことによって、さらに意味が深まり、自己の内面に触れていく
と私も考えている。私は、「本は心の食事」であり、良い本を読むことが心の
栄養になると確信している。音読に適するものは、時代を越えて受け継がれて
きた名作の中の珠玉の名文がよいと思う。この部分を提唱し、実践されている
のが、齊藤氏の功績だと私は思っている。齊藤氏は、読書のもつ最大の効用は、
「想像性」にあり、読書は感情の世界の豊かさを育むと考えておられる。
齊藤氏は、黙読するよりも音読するほうが、より効果的な読書方法だと考えて
いる。
次に、鈴木さんは、子供の頃から、きれいなものが大好き、本が大好きで、読
んだ本の中には、常に新しい世界の発見があったと話された。時間さえあれば、
好きな本を読んでいたそうだ。私は、鈴木さんのことは全く知らなかったので、
東大の法学部を出ているのに、ヴォーカリストとの紹介に不思議な気がしていた。
学校の成績が良く、周囲の期待どおりに、東大の法学部に進学された。しかし、
法律の本を読むと眠くなってしまったそうだ。司法試験を目指して、そんな学生
生活を6年間送ったとのことだ。趣味で通っていたジャズ教室がきっかけで、
ステージに立ち、人の前で歌った時に、身体が鳴り、心が震え、「生きている
喜びがここにある」と感じたとの話しをされた。彼女は自分の生きる世界を発
見した喜びを語り、歌うことで、その喜びを全身で表現された。
人生は、偏差値では決められないし、決めてはならない。お二人の対談は、それ
ぞれの性格や人柄・その人らしさがよく出ていた。対照的な程、テンポが全く
違うにも関わらず、対談の妙味が伝わってきて、とても楽しかった。個人的に
は、癒しを感じさせる、ゆったりとしたテンポの鈴木さんの話し方に好感を持
ったのだが。
私は、長い間「自分らしく」をテーマに、教師である前に、一人の人間とし
て、生徒に接してきたつもりである。私は、生来不器用な人間なので、自分に
正直に自分らしく生きることを信条として、「信頼」をキーワードに、30年
を越える教師生活を送ってきた。この道を歩いてきたことに後悔はない。私は
人間が好きで、生徒との人間同士の触れ合いを求めて、教師の世界に入った。
その他の点では、ネガティブな理由で、職業の選択をしたと言える。具体的に
言えば、利益を追求し、立身出世を競う実業社会には向かない。生産・販売・
営業の仕事には向かない。デスクワークの事務的な仕事や、役所の仕事には向
かない。研究者・専門職としての能力がない。創造的な仕事をする才能がない
等である。他の職業についていたら、どうなったであろうか。だが、そんなこ
とは一度も考えたこともない。どこの世界でも、自分の思うようにはいかない
し、それなりの困難や苦労が伴う。喜びもあれば、悲しみ、苦しさもある。
自分の前にも、自分自身の中にも、乗り越え難い壁がある。その壁に挑戦する
勇気を心の中に持ち続け、日々努力する人間でありたいと願う。私は、生徒の
笑顔・真剣な眼差しを心の支えに、私を必要としてくれる生徒がいると固く信
じて、今までやってきた。「自分らしく」やってこられたことに、私のプライ
ドと喜びがある。自分らしくは、自分勝手であってはならない。あくまでも、
自分を信じて、自分の長所を伸ばすことである。そのためにも、良い本を読み、
物の見方・考え方を自分なりに身につける必要があると思う。読書は「思考の
世界」だと、私は思っている。良書は自分の思考を映し出し、促す鏡と言える。
良書は人生の友である。
に目を通した。明治大学教授の斎藤孝氏の著書である。2年前に読んだ池上
彰氏の著書「大人の教養」では、教養とは「自分を知ること」です。この本
についてはブログに書いている。
「教養」とは語彙力と言えるだろうか。「語彙力」とは「言語力」だと私は
思っている。鳥飼玖美子氏の著書「本物の英語力」の中で、「語彙力」につ
いて書いている。斎藤氏と鳥飼氏の共通する考え方は、「読むこと」によっ
て語彙力を高めることができるということだ。本を読むことが大切だとなる。
鳥飼氏は、「精読」以上に「多読」を勧めている。斎藤氏は名作の「音読」
を勧めている。読むこと、聞くことはインプットであり、話すこと、書くこと
はアウトプットである。言語力とは「表現力」であると、私は考えている。
斎藤氏は「語彙力を身につけるには、その言葉が含まれる文章ごと文脈の中で
覚える方がずっとラクです」と書いている。鳥飼氏は「先立つものは『語彙』、
『コンテクスト』がすべてを決める」と。両氏ともに語彙力を高めるには、
文脈、コンテクストを重視している。単語を丸暗記する方法を否定する。
私も同意見である。ともかく語彙力を高めるには読むことが大事だ。良書を読
むことが「心の食事」であり、心の栄養となる。「心の栄養」が「心の豊かさ」
には欠かすことができない。「豊かな心」が「教養」だと、私は考えている。
聖哲の「心こそ大切なれ」との言葉が私の座右の銘である。
「教養」は、英語の culture に相当する。教養のある人は、a man of culture
との表現だ。culture は「文化」として使われている。カルチャーは日本語に
入っている。culture は、元来「耕地」の意味で、語源は、cultivate (耕す)
と同じである。agriculture(農業)はラテン語で「土地を耕すこと」の意味。
Reading cultivates the mind.「読書(読むこと)は精神を養う」とある。
「教養」は人柄、人間性に関わる。知識が豊富であることは語彙力が豊かであ
ることは確かであるが、テレビで活躍している予備校講師林修氏は知識はある
が、教養のある人と言えるだろうか。斎藤孝氏にも同じような印象を抱く。
二人の読書量はものすごいが、何か違和感を覚えるのは何故であろうか。知識
を誇示する「人間性」に問題があるような印象を持っている。
人の「教養」は人の「文化」である。長い年月をかけて培うものである。読む
こと、学ぶこと、経験を積み重ねて、にじみ出てくるものが「教養」ではない
か。「心の豊かな人」が「教養のある人」だと思っている。
10年以上前に御殿場南高校の図書課長として書いた原稿を載せる。
「自分らしく」生きる 図書課長 相川 隆
先日、全国図書館大会が三島で開催された。その時に、明治大学教授の齊藤
孝氏とヴォーカリストの鈴木重子さんの対談が行われた。「生きることと表現
すること」がテーマであった。お二人とも、地元静岡県の出身で、現在活躍さ
れている人たちである。対談の前に、一人ずつ自己紹介的なトークや歌が紹介
された。まず、齊藤氏は大学で教員養成のための読書術や、私塾で子供たちに
音読による読書の実践をされている。「声に出して読みたい日本語」や「理想
の国語の教科書」等で著名な人である。私自身も、言語を音読することは大切
だと考えている一人なので、その点で、齊藤氏の考え方に共鳴している。言語
のもつ音とリズムを身体で表現することで、文の意味の理解が深まることは確
かだと思っている。全く意味のわからないまま音読しても無意味だが、意味を
理解し声を出すことによって、さらに意味が深まり、自己の内面に触れていく
と私も考えている。私は、「本は心の食事」であり、良い本を読むことが心の
栄養になると確信している。音読に適するものは、時代を越えて受け継がれて
きた名作の中の珠玉の名文がよいと思う。この部分を提唱し、実践されている
のが、齊藤氏の功績だと私は思っている。齊藤氏は、読書のもつ最大の効用は、
「想像性」にあり、読書は感情の世界の豊かさを育むと考えておられる。
齊藤氏は、黙読するよりも音読するほうが、より効果的な読書方法だと考えて
いる。
次に、鈴木さんは、子供の頃から、きれいなものが大好き、本が大好きで、読
んだ本の中には、常に新しい世界の発見があったと話された。時間さえあれば、
好きな本を読んでいたそうだ。私は、鈴木さんのことは全く知らなかったので、
東大の法学部を出ているのに、ヴォーカリストとの紹介に不思議な気がしていた。
学校の成績が良く、周囲の期待どおりに、東大の法学部に進学された。しかし、
法律の本を読むと眠くなってしまったそうだ。司法試験を目指して、そんな学生
生活を6年間送ったとのことだ。趣味で通っていたジャズ教室がきっかけで、
ステージに立ち、人の前で歌った時に、身体が鳴り、心が震え、「生きている
喜びがここにある」と感じたとの話しをされた。彼女は自分の生きる世界を発
見した喜びを語り、歌うことで、その喜びを全身で表現された。
人生は、偏差値では決められないし、決めてはならない。お二人の対談は、それ
ぞれの性格や人柄・その人らしさがよく出ていた。対照的な程、テンポが全く
違うにも関わらず、対談の妙味が伝わってきて、とても楽しかった。個人的に
は、癒しを感じさせる、ゆったりとしたテンポの鈴木さんの話し方に好感を持
ったのだが。
私は、長い間「自分らしく」をテーマに、教師である前に、一人の人間とし
て、生徒に接してきたつもりである。私は、生来不器用な人間なので、自分に
正直に自分らしく生きることを信条として、「信頼」をキーワードに、30年
を越える教師生活を送ってきた。この道を歩いてきたことに後悔はない。私は
人間が好きで、生徒との人間同士の触れ合いを求めて、教師の世界に入った。
その他の点では、ネガティブな理由で、職業の選択をしたと言える。具体的に
言えば、利益を追求し、立身出世を競う実業社会には向かない。生産・販売・
営業の仕事には向かない。デスクワークの事務的な仕事や、役所の仕事には向
かない。研究者・専門職としての能力がない。創造的な仕事をする才能がない
等である。他の職業についていたら、どうなったであろうか。だが、そんなこ
とは一度も考えたこともない。どこの世界でも、自分の思うようにはいかない
し、それなりの困難や苦労が伴う。喜びもあれば、悲しみ、苦しさもある。
自分の前にも、自分自身の中にも、乗り越え難い壁がある。その壁に挑戦する
勇気を心の中に持ち続け、日々努力する人間でありたいと願う。私は、生徒の
笑顔・真剣な眼差しを心の支えに、私を必要としてくれる生徒がいると固く信
じて、今までやってきた。「自分らしく」やってこられたことに、私のプライ
ドと喜びがある。自分らしくは、自分勝手であってはならない。あくまでも、
自分を信じて、自分の長所を伸ばすことである。そのためにも、良い本を読み、
物の見方・考え方を自分なりに身につける必要があると思う。読書は「思考の
世界」だと、私は思っている。良書は自分の思考を映し出し、促す鏡と言える。
良書は人生の友である。