「ラーニング」(Learning)は「学ぶこと、学習」が基本的な意味である。
英会話学習で「スピードラーニング」がよく宣伝されている。耳から英語を聞
き流す方法で、いろいろな場面を想定して、英会話が流され、その後に日本語
が流れるスタイルだ。聞き流すだけで英会話ができるようになるとの宣伝であ
、
るが。3年前に、無料視聴用と第1巻を買って視聴してみたが、この方法では
英語をマスターすることはできないというのが私の結論だ。
2020年度から新指導要領の実施により、小学校5、6年生に英語が教科
となる。グローバル化の中で自然の流れのように理解されているように思える
が、最大の問題は、教員(の養成)にある。ALT(外国語指導助手)の活用
と同時に、小学校教員の英語力が問われる。どんな教科書が作られるのかには
関心があるが、日常の表現やゲームが主体の授業になるだろう。子どもたちが
楽しく学ぶ授業ができるように、教員の工夫と努力が必要となる。世界で一番
多忙なのが日本の小学校教員の実態だ。更に教員の多忙化を助長しないように、
行政は十分な配慮をすべきだ。
新指導要領の目玉となるのが「アクティブ・ラーニング」と呼ばれるものだ。
旧来の詰め込み式の記憶学習から、能動的学習へと転換する。講義式授業から
生徒参加型の発信能力を高める授業への転換だ。現在の大学では行なわれてい
ると聞く。小学校への英語の導入及び授業のアクティブ化には賛成であるが、
前提になるのは、「基礎・基本」の習得であることを忘れてはならない。
基礎・基本は、反復学習と反復練習によって習得される。人間の特性の一つは
コンピュータと違い、忘れる能力を持つことにあると私は考えている。
学習においては、忘れることはマイナスに働くが、人は忘れることができるか
ら生きて行けるとも言える。記憶の風化も不可避だ。人が行なう何事にも、
プラスとマイナスの二面性がある。「基礎知識」がなければ、考えることも
できないし、自分の考えを「発信」することも、「応用」することもできない。
ここに学習と学校教育の必要性がある。「記憶学習」と「能動的学習」の両方
ともに必要である。日本の教育の歴史は偏り過ぎている。日本人的思考による
のか、オール・オワ・ナッシング(All or Nothing,すべてかゼロ)だ。教育
行政だけではなく、教育の現場でも感じてきたことだが。
AI(人工知能)が進化し、「ディープ・ラーニング」(深層学習)が注目
されている。AIが自ら学び応用する能力を身につけることができるようにな
り、自ら判断する「自律」も可能になっている。コンピュータは人間が作りだ
した「物」である。科学技術は「諸刃の剣」であり、「人間の英知」が問われ
る時代へと変化していることを知るべきだと思う。
英会話学習で「スピードラーニング」がよく宣伝されている。耳から英語を聞
き流す方法で、いろいろな場面を想定して、英会話が流され、その後に日本語
が流れるスタイルだ。聞き流すだけで英会話ができるようになるとの宣伝であ
、
るが。3年前に、無料視聴用と第1巻を買って視聴してみたが、この方法では
英語をマスターすることはできないというのが私の結論だ。
2020年度から新指導要領の実施により、小学校5、6年生に英語が教科
となる。グローバル化の中で自然の流れのように理解されているように思える
が、最大の問題は、教員(の養成)にある。ALT(外国語指導助手)の活用
と同時に、小学校教員の英語力が問われる。どんな教科書が作られるのかには
関心があるが、日常の表現やゲームが主体の授業になるだろう。子どもたちが
楽しく学ぶ授業ができるように、教員の工夫と努力が必要となる。世界で一番
多忙なのが日本の小学校教員の実態だ。更に教員の多忙化を助長しないように、
行政は十分な配慮をすべきだ。
新指導要領の目玉となるのが「アクティブ・ラーニング」と呼ばれるものだ。
旧来の詰め込み式の記憶学習から、能動的学習へと転換する。講義式授業から
生徒参加型の発信能力を高める授業への転換だ。現在の大学では行なわれてい
ると聞く。小学校への英語の導入及び授業のアクティブ化には賛成であるが、
前提になるのは、「基礎・基本」の習得であることを忘れてはならない。
基礎・基本は、反復学習と反復練習によって習得される。人間の特性の一つは
コンピュータと違い、忘れる能力を持つことにあると私は考えている。
学習においては、忘れることはマイナスに働くが、人は忘れることができるか
ら生きて行けるとも言える。記憶の風化も不可避だ。人が行なう何事にも、
プラスとマイナスの二面性がある。「基礎知識」がなければ、考えることも
できないし、自分の考えを「発信」することも、「応用」することもできない。
ここに学習と学校教育の必要性がある。「記憶学習」と「能動的学習」の両方
ともに必要である。日本の教育の歴史は偏り過ぎている。日本人的思考による
のか、オール・オワ・ナッシング(All or Nothing,すべてかゼロ)だ。教育
行政だけではなく、教育の現場でも感じてきたことだが。
AI(人工知能)が進化し、「ディープ・ラーニング」(深層学習)が注目
されている。AIが自ら学び応用する能力を身につけることができるようにな
り、自ら判断する「自律」も可能になっている。コンピュータは人間が作りだ
した「物」である。科学技術は「諸刃の剣」であり、「人間の英知」が問われ
る時代へと変化していることを知るべきだと思う。