「教育実習」で知ったことは、中学には英語の教師がそろっているわけでは
なかった。体育の教員が英語を教えているクラスがあった。その教員は自分で
はいっさい発音をしないで、テープを使っていた。これでは問題だと感じたこ
とである。語学は、先生の「肉声」が不可欠である。生徒は真似をするのだか
ら。「学ぶはまねぶ」である。私も、中学1年生の時は、若い国語の先生に教わ
った記憶があるが、先生の生徒への影響は大きいと言える。
私の授業で、生徒とのギャップを痛感させられ、生徒の実態に合っていない
ことを知ったのが、最初の中間試験の結果である。平均点が20~30点の間
と記憶している。私自身も愕然とし、反省する「自己評価」をしたことを覚え
ている。定期試験は生徒の評価だけではなく、教師自身の評価にもなる。
反省の結果としての結論は、「わかる授業」のために、教材を研究する努力を
するということに尽きる。私が心がけたことは、授業プリントを作成し、板書
の仕方を工夫し、分かりやすく説明することだった。この方法は、私の生涯の
授業の基本になった。私は、授業の中で、余談・雑談を交えた。余談・雑談だ
けで45分(定時制)の授業を終えることもあった。善悪はともかく、私のこ
とを知ってもらうために、自分の経験や考え方をよく話しをした。私は、
おしゃべりではないが、「話し好き」なタイプの人間である。本音で正直に話
すのである。残念ながら、教師の中には、「建前」で話し指導するタイプが実
に多いと感じている。教師としての「立場」を重んじているのだ。教師社会に
限らず、一般社会も同じだと思うが、人間の一般的傾向と言える。例えば、
教師の中で、生徒に話しかける時に、「先生は~だと思う」と、先生の言葉を
頭に使う教員がいる。個人的に、私は、このような話し方を嫌っている。
子どもを対象にしている場合には、問題はないと思うが、高校生は子どもでは
ないとの見方を私はしているからである。生徒に対して「目線」が上にあり、
立場や建前で話す傾向が強いと私は感じている。教師と生徒は、同じ人間で
「対等」であって、上下関係にはないのである。ここを理解していない教師が
少なからずいるのが現実である。教師と生徒は「信頼関係」が基本である。
「信頼」なくして教育は成り立たない。このことは、私が教えていく過程で、
生徒から学んだことである。私が正直に本音で話していることを徐々に生徒は
理解してくれたように感じる。そして、私の話しを好意的に耳を傾ける生徒が
増えていくと共に、生徒との「溝」が少しずつ埋まっていくように感じた。
ある生徒は、私に、「先生は、先生らしくない」言った。私は、その言葉を好
意的に受けとめている。私自身、一般的な教師タイプに見られることを嫌うと
共に、私の「個性」と自負している。
私の記憶に強く残っていることとして、人事異動希望の件がある。私自身、
早く定時制から転勤したいとの想いが強かったことを認めなければならない。
生徒が抱いているコンプレックスと同じような意識がスタートから持ち続けて
いたことも事実である。人事異動希望調査と管理職との面接が、毎年12月に
行なわれる。2年目に、人事異動希望を出すことに悩んだことを鮮明に記憶し
ている。人事異動希望を出しても転勤はないことはわかっていたが、要は気持
ちの問題である。「気持ちの揺れ」が実に大きかったと言える。私自身の心の
葛藤である。生徒を見捨てて、自分の希望を求めるのか否かであった。一ヶ月
ぐらい気持ちが揺れていたように思う。それが、1月中頃に気持ちの整理がつ
いた。人事異動希望を出さなくてよかったと感じられる自分になった。とても
嬉しいと感じた。私は、「今のクラスの生徒を卒業させたい」との気持ちが強
くなり、そういう人間になれたとの想いであり、「現実逃避」を乗り越えた喜
びである。気持ちが楽になり、「生徒のために」との気持ちが強まった。同時
に、定時制で生徒を教えることで、自己の「成長」があったと素直に思えるよ
うになった。ここまでくるのに、約2年かかったが、3年目からは、精神的に
は何のストレスもなく楽しく生徒と関わり、クラスの生徒を卒業させることが
できた。喜びの涙が溢れる卒業式を迎えることができた。私も感動し、定時制
の生徒を教えることができてよかったと心から思えた。卒業の時に、ある生徒
は、「相川先生がいなかったら、卒業までこられなかった」との感謝の言葉を
くれた。また、ある生徒は、3年間で初めて口を開いた。「相川先生は、えこ
ひいきをしなかった。S先生とは違っていた」と言った。
担任として最初の卒業生を出して、転勤希望を出してもよかったが、結果とし
て、5年間定時制にお世話になった。定時制での教師生活は、その後の長い教
師生活の原点となり、「基盤」となった。教師は、担任を持ちその生徒たちを
卒業させることの大事さと「授業が命」であることを身をもって学んだのが私
の定時制での教師生活であった。
なかった。体育の教員が英語を教えているクラスがあった。その教員は自分で
はいっさい発音をしないで、テープを使っていた。これでは問題だと感じたこ
とである。語学は、先生の「肉声」が不可欠である。生徒は真似をするのだか
ら。「学ぶはまねぶ」である。私も、中学1年生の時は、若い国語の先生に教わ
った記憶があるが、先生の生徒への影響は大きいと言える。
私の授業で、生徒とのギャップを痛感させられ、生徒の実態に合っていない
ことを知ったのが、最初の中間試験の結果である。平均点が20~30点の間
と記憶している。私自身も愕然とし、反省する「自己評価」をしたことを覚え
ている。定期試験は生徒の評価だけではなく、教師自身の評価にもなる。
反省の結果としての結論は、「わかる授業」のために、教材を研究する努力を
するということに尽きる。私が心がけたことは、授業プリントを作成し、板書
の仕方を工夫し、分かりやすく説明することだった。この方法は、私の生涯の
授業の基本になった。私は、授業の中で、余談・雑談を交えた。余談・雑談だ
けで45分(定時制)の授業を終えることもあった。善悪はともかく、私のこ
とを知ってもらうために、自分の経験や考え方をよく話しをした。私は、
おしゃべりではないが、「話し好き」なタイプの人間である。本音で正直に話
すのである。残念ながら、教師の中には、「建前」で話し指導するタイプが実
に多いと感じている。教師としての「立場」を重んじているのだ。教師社会に
限らず、一般社会も同じだと思うが、人間の一般的傾向と言える。例えば、
教師の中で、生徒に話しかける時に、「先生は~だと思う」と、先生の言葉を
頭に使う教員がいる。個人的に、私は、このような話し方を嫌っている。
子どもを対象にしている場合には、問題はないと思うが、高校生は子どもでは
ないとの見方を私はしているからである。生徒に対して「目線」が上にあり、
立場や建前で話す傾向が強いと私は感じている。教師と生徒は、同じ人間で
「対等」であって、上下関係にはないのである。ここを理解していない教師が
少なからずいるのが現実である。教師と生徒は「信頼関係」が基本である。
「信頼」なくして教育は成り立たない。このことは、私が教えていく過程で、
生徒から学んだことである。私が正直に本音で話していることを徐々に生徒は
理解してくれたように感じる。そして、私の話しを好意的に耳を傾ける生徒が
増えていくと共に、生徒との「溝」が少しずつ埋まっていくように感じた。
ある生徒は、私に、「先生は、先生らしくない」言った。私は、その言葉を好
意的に受けとめている。私自身、一般的な教師タイプに見られることを嫌うと
共に、私の「個性」と自負している。
私の記憶に強く残っていることとして、人事異動希望の件がある。私自身、
早く定時制から転勤したいとの想いが強かったことを認めなければならない。
生徒が抱いているコンプレックスと同じような意識がスタートから持ち続けて
いたことも事実である。人事異動希望調査と管理職との面接が、毎年12月に
行なわれる。2年目に、人事異動希望を出すことに悩んだことを鮮明に記憶し
ている。人事異動希望を出しても転勤はないことはわかっていたが、要は気持
ちの問題である。「気持ちの揺れ」が実に大きかったと言える。私自身の心の
葛藤である。生徒を見捨てて、自分の希望を求めるのか否かであった。一ヶ月
ぐらい気持ちが揺れていたように思う。それが、1月中頃に気持ちの整理がつ
いた。人事異動希望を出さなくてよかったと感じられる自分になった。とても
嬉しいと感じた。私は、「今のクラスの生徒を卒業させたい」との気持ちが強
くなり、そういう人間になれたとの想いであり、「現実逃避」を乗り越えた喜
びである。気持ちが楽になり、「生徒のために」との気持ちが強まった。同時
に、定時制で生徒を教えることで、自己の「成長」があったと素直に思えるよ
うになった。ここまでくるのに、約2年かかったが、3年目からは、精神的に
は何のストレスもなく楽しく生徒と関わり、クラスの生徒を卒業させることが
できた。喜びの涙が溢れる卒業式を迎えることができた。私も感動し、定時制
の生徒を教えることができてよかったと心から思えた。卒業の時に、ある生徒
は、「相川先生がいなかったら、卒業までこられなかった」との感謝の言葉を
くれた。また、ある生徒は、3年間で初めて口を開いた。「相川先生は、えこ
ひいきをしなかった。S先生とは違っていた」と言った。
担任として最初の卒業生を出して、転勤希望を出してもよかったが、結果とし
て、5年間定時制にお世話になった。定時制での教師生活は、その後の長い教
師生活の原点となり、「基盤」となった。教師は、担任を持ちその生徒たちを
卒業させることの大事さと「授業が命」であることを身をもって学んだのが私
の定時制での教師生活であった。