大学4年生の時に付き合った女性がいる。I・Kさんだ。彼女とは、私が担

当した学会の組織で、私は知った。彼女のほうは前から知っていたことが、

後でわかった。同じ中学の同級生だったらしい。私のほうは、彼女のことを知

らなかった。同じクラスになったことがないからだ。ともかく、私の親友のI

君に橋渡しを頼んだ。それは、彼のガールフレンドを通してI子を紹介しても

らおうと思ったからだ。そのガールフレンドは、私の高校の後輩で、そのお兄

さんのところへと何度も足を運んでいたために、その姉妹ともよく話しをした

関係にある。事実を言うと、その彼女が、I子との橋渡しをする前に、私に話

しがあるとのことだった。そのために、駅の近くの小さな喫茶店で会うことに

なった。そのとき、彼女は、I子を紹介する前に、自分の気持ちを伝えておき

たいと言った。「私は、相川さんのことが好きです」と。私自身も異性として

ではなく好意を抱いていたことも事実で、そのことは言わなかったけれど。

彼女は自分の気持ちをストレートに表現できる頭のいい子であったが、そう言

われるとは驚きだったと記憶している。

学会の組織の中で、私が担当した地域で、私に好意を抱いてくれた女子が数人

いたことは気づいていた。それがわからないほど鈍感ではないと私は思ってい

る。その辺の機微はわかる人間だとも思っている。そうでなくては教師の道を

歩くことはないだろう。私は人が好きで、「人間関係」を大切にしてきたつも

りだ。しかし、男女の問題は理屈ではない、「感情」の問題である。その微妙

なあやが難しいのだ。彼女にはいやな役目をさせてしまったと思っている。

私とI子が交際する前にそのようなことがあった。I子は知らないことだけど。

私はそのことは何も言わなかった。そのI子との交際は、お互いに大学卒業ま

で続くのだが、その関係は、「友だち以上、恋人未満」だったと言える。

まったく、プラトニックな関係のままだった。彼女とは、さまざまなことを話

し合ったと記憶している。彼女のおかげで、大学の単位を取った科目もある。

大学は違うが、彼女に協力してもらったことは感謝している。彼女はT私立大

学の社会学専攻である。社会科学の分野の科目のレポートを書いてもらったと

記憶している。お互いに好意を抱いていたことは確かだが、男と女の関係には

ならなかった。実際に手もつないだこともなかった。それは彼女の意思だった

からだ。私はその意思を尊重したというときれいだが、非常に複雑な気持ちを

抱えていたことは、紛れもない事実だ。普通には考えにくい交際だ。彼女は、

私のことを「自己顕示欲」が強いとみていた。それは当てはまっているように

思うが、私の言葉に変えて言うと、「自己意識」が強く「プライド」が高いと

いうことである。後に彼女と別れてから、偶然私の妻と付き合っていた時に、

駅で出会ったことがあった。私と妻が一緒にいた時に。彼女は私の妻(結婚す

る前)に、「相川さんは、自分の考えを押し付けるでしょ」と言ったが、妻は

黙って聞いていたことが記憶として残っている。彼女が私をそのように捉えて

いたとは思っていなかった。そこにお互いの「ずれ」があったのだと初めて感

じた。妻とのことは、後に詳しく書くことになるが、その一点の捉え方に違い

がある。この時点で、簡単に言うと、妻に対してのほうが、自分の考え方を押

し付けていたように思う。それを妻は、押し付けとは捉えなかったことに、

彼女との大きな違いがある。私と妻とは、時間的には、比較的早く恋人の関係

になったように思う。I子は男女関係には考え方が古いタイプで、私は強引な

タイプではなかったことが、男女の関係まで発展しなかった理由だと思う。

これはこれでよかったと思っている。彼女と別れるきっかけは何だったかを考

えてみることにする。私たちが大学を卒業して、私が静岡県の教員として、

下田への赴任が決まり引越しの時、学生部の組織の仲間が5・6人手伝いに来

ていた。その時に、彼女が私の家に来た。私は引越しの準備を仲間にまかせた

まま、彼女と二人で近くの多摩川の土手に行って、じっくり話し合った。

それはおそらくお互いの将来を見据えて、結婚のことを考えていたように思う。

二人ともそのことは、口には出して言ってはいない、彼女の気持ちは、私の推

測に違いない。その後、私が下田に赴任した直後に、彼女は女性の消防官にな

ったのだが、おそらく、初の女性消防官だったと認識している。その彼女が

宿泊研修で、下田の手前の蓮台寺に来たときに、下田で会う約束をした。

下田駅へ出迎えに行った時に、私が彼女を一瞬で認識できなかったと、彼女が

感じたことを後になって知る。彼女は髪を切ってショートカットにしていた。

そのために彼女の言う通りだったのかもしれない。お互いに環境が変わって新

しい世界に入った直後ではあったが、それも時間的には、一月ぐらいのことで

ある。その彼女の感覚を後で彼女の手紙で知った。私は彼女に会ったときに、

どのように感じたのかはよく覚えていないが、久しぶりに会えてとても嬉しい

という感情ではなかったように思う。お互いの気持ちの「ずれ」が顕在化した

というか、もともと考え方に違いがあったというのか、よくわからないが。

この後会ったのは夏休みの時だ。この時に、どんな話しをしたかは思い出せな

い。それほど「心の距離」が開いたということではないか。その次に会ったの

が最後になったように記憶している。私が妻と交際し始めたことを彼女に話し

たのだ。その手紙に、三日間泣いたことが書いてあったことを記憶しているだ

けである。その手紙が最後である。I子とはそのような関係であった。おそら

くこのような形で、1年余り交際するようなことは、今では考えられないこと

だろう。その後彼女も結婚したことを人づてに知った。どんな人生を送ったの

だろうか。幸せな人生を歩んでくれたならば嬉しい。