話しを戻すと、学生部の活動を通して「生涯の友」を得たのである。その象
徴的な思い出は、3人で活動しての帰りの夜遅くに、あるスナックに立ち寄っ
たことがある。そこのママが「あなたたちは輝いている」と言った言葉が、
強い記憶として残っている。その2人の友は「生涯の友」となる。その2人の
友と一緒に学会活動していた時は、本当に楽しく充実していた。夜遅くまで
よく話しをした。時には夜を明かして、哲学・政治・社会・恋愛論等、実に
よく話しをした。その2人は大学も違うが、同じ地域に住んでいたので、
創価学会の組織で知り合った。そしてその時の活動を通して、自ら学び取った
ことが、私の人生の「土台」になった。その友との活動体験が、何よりも大切
な財産になった。その思いは今でも変わらない。「人生の生き方」を学んだの
は、この頃で、大学4年生の一年間の時間が大きい。その活動経験から、人と
の関わりを学んだ。「自分らしく、正直に」が、私の教師生活の信条になる。
*
大学では、学内の組織で、学部を越えて3人の友と知り合えた。4年間大学
で、ともに学び、ともに活動し、ともに遊び、語り合い、励ましあいながら、
切磋琢磨し、研鑽してきた仲間であり、「生涯の友」になったのだ。卒業して、
一人は学会本部に、一人は公明新聞に勤めた。一人は地元伊豆の信用金庫に
就職し、その後、聖教新聞の販売店主をして、51歳の時に、学会本部職員に
なり、最高幹部である副会長になり、静岡のトップリーダーとして活躍した。
卒業後、彼との付き合いは長く続く。たまにしか会うことはできないが、会っ
て話すと、話しが尽きない。一昨年の9月に会うことができ、ゆったりと話す
機会を持てた。友との語らいは本当に嬉しい。
*
学内組織の基盤ができたと同時に、昭和43年(1968年)10月に、
私たちの“人生の師”である会長の池田先生(現在・SGI会長)が、私たち
学生のことを深く思い、大学組織発展のために、全国に大学会を作ってくださ
った。その一つに、神奈川三大学会があり、その中に、横浜市大会ができた。
私たち学友と先輩の方たちが、大学の代表として参加させていただいた。
幸いなことに、私はそのメンバーの一員になれた。その大学会発足の会合で、
数人の質問者が、挙手した学生の中から選ばれ、幸運なことに、その数名の
一人に私を指名して頂き、池田先生と直接お話しをすることができた。
池田先生に、「自分の進路について、教師の道を進むか、大学院に行ってみよ
うかと迷っています」と話しました。すると即座に、池田先生は、瞬間に私を
洞察し、私に答えてくださいました。「君は電車に乗り遅れるね。文は書ける
のかい?」「いいえ、書けません」と答えると、「それでは大学院は無理だね。
教師のほうがいいね」また「君は大器晩成タイプだね。回り道するね」とおっ
しゃいました。その時になんとも表現することのできないほどの空気感という
か空間的な感じを味わった。その光景は今でも私の脳裏に鮮烈に焼き付いてい
る。この時が、私の“人生の原点”になった。”人生の師”にお会いでき、
直接お話をしていただく機会を得たことで、私の生涯の宝の日になった。
私の3人の友も、ともに喜んでくれていた。この時、私は教師の道へと進むこ
とに決めた。
*
大学4年の時に、大学が封鎖され、前期は講義がなかった。それは昭和43年
(1968年)に、東大紛争が起き、その紛争が、燎原の火のごとく、全国の大
学へと拡大していったからだ。私の大学も例外ではなかった。創価学会学生部に
も新学道が組織され、代々木公園のデモに一度参加したことが記憶に残っている。
その当時、私たちの世代の学生は、団塊の世代と呼ばれ、政治や権力に対抗する
意識が強かったとも言える。当時バリケード封鎖された大学内で、全共闘や共産
党の民青の学生とも議論を戦わしたと記憶している。その後、全共闘は、内部崩
壊をきたし、内ゲバを起こし、社会を混乱に巻き込み、自滅していった。
私たち団塊の世代には、忘れることのできない事件と言える。その団塊の世代も、
時を経るとともに、権力者側へと転向して行った。
以上書いてきたことが、大学時代の中心的な記憶である。その中に、学問に対
するものはなく、ただ読書をした記憶だけである。その読書の一つに、吉川英治
の「三国志」がある。中国の魏・蜀・呉の三国時代に登場する人物、蜀の劉備玄
徳、関羽、張飛、諸葛孔明は、特に印象深い。この本は、実にスケールが壮大で、
読んでいて実に楽しく人間を学べる本であった。劉備、関羽、張飛の人間及び
その人間関係に感銘を受け、桃園(とうえん)で義兄弟の契りを結んだ故事にちな
んで、大学の同志、親友のOとKの3人で、生涯義兄弟の誓いをしたことをよく
記憶している。私には、大切な思い出になっている。
このようにして、大学に入学した時の三つの目標のうちの二つ、大切な
“人生の生き方”を学び、“生涯の友”を得たことが、私の人生の誇りであり、
財産である。
徴的な思い出は、3人で活動しての帰りの夜遅くに、あるスナックに立ち寄っ
たことがある。そこのママが「あなたたちは輝いている」と言った言葉が、
強い記憶として残っている。その2人の友は「生涯の友」となる。その2人の
友と一緒に学会活動していた時は、本当に楽しく充実していた。夜遅くまで
よく話しをした。時には夜を明かして、哲学・政治・社会・恋愛論等、実に
よく話しをした。その2人は大学も違うが、同じ地域に住んでいたので、
創価学会の組織で知り合った。そしてその時の活動を通して、自ら学び取った
ことが、私の人生の「土台」になった。その友との活動体験が、何よりも大切
な財産になった。その思いは今でも変わらない。「人生の生き方」を学んだの
は、この頃で、大学4年生の一年間の時間が大きい。その活動経験から、人と
の関わりを学んだ。「自分らしく、正直に」が、私の教師生活の信条になる。
*
大学では、学内の組織で、学部を越えて3人の友と知り合えた。4年間大学
で、ともに学び、ともに活動し、ともに遊び、語り合い、励ましあいながら、
切磋琢磨し、研鑽してきた仲間であり、「生涯の友」になったのだ。卒業して、
一人は学会本部に、一人は公明新聞に勤めた。一人は地元伊豆の信用金庫に
就職し、その後、聖教新聞の販売店主をして、51歳の時に、学会本部職員に
なり、最高幹部である副会長になり、静岡のトップリーダーとして活躍した。
卒業後、彼との付き合いは長く続く。たまにしか会うことはできないが、会っ
て話すと、話しが尽きない。一昨年の9月に会うことができ、ゆったりと話す
機会を持てた。友との語らいは本当に嬉しい。
*
学内組織の基盤ができたと同時に、昭和43年(1968年)10月に、
私たちの“人生の師”である会長の池田先生(現在・SGI会長)が、私たち
学生のことを深く思い、大学組織発展のために、全国に大学会を作ってくださ
った。その一つに、神奈川三大学会があり、その中に、横浜市大会ができた。
私たち学友と先輩の方たちが、大学の代表として参加させていただいた。
幸いなことに、私はそのメンバーの一員になれた。その大学会発足の会合で、
数人の質問者が、挙手した学生の中から選ばれ、幸運なことに、その数名の
一人に私を指名して頂き、池田先生と直接お話しをすることができた。
池田先生に、「自分の進路について、教師の道を進むか、大学院に行ってみよ
うかと迷っています」と話しました。すると即座に、池田先生は、瞬間に私を
洞察し、私に答えてくださいました。「君は電車に乗り遅れるね。文は書ける
のかい?」「いいえ、書けません」と答えると、「それでは大学院は無理だね。
教師のほうがいいね」また「君は大器晩成タイプだね。回り道するね」とおっ
しゃいました。その時になんとも表現することのできないほどの空気感という
か空間的な感じを味わった。その光景は今でも私の脳裏に鮮烈に焼き付いてい
る。この時が、私の“人生の原点”になった。”人生の師”にお会いでき、
直接お話をしていただく機会を得たことで、私の生涯の宝の日になった。
私の3人の友も、ともに喜んでくれていた。この時、私は教師の道へと進むこ
とに決めた。
*
大学4年の時に、大学が封鎖され、前期は講義がなかった。それは昭和43年
(1968年)に、東大紛争が起き、その紛争が、燎原の火のごとく、全国の大
学へと拡大していったからだ。私の大学も例外ではなかった。創価学会学生部に
も新学道が組織され、代々木公園のデモに一度参加したことが記憶に残っている。
その当時、私たちの世代の学生は、団塊の世代と呼ばれ、政治や権力に対抗する
意識が強かったとも言える。当時バリケード封鎖された大学内で、全共闘や共産
党の民青の学生とも議論を戦わしたと記憶している。その後、全共闘は、内部崩
壊をきたし、内ゲバを起こし、社会を混乱に巻き込み、自滅していった。
私たち団塊の世代には、忘れることのできない事件と言える。その団塊の世代も、
時を経るとともに、権力者側へと転向して行った。
以上書いてきたことが、大学時代の中心的な記憶である。その中に、学問に対
するものはなく、ただ読書をした記憶だけである。その読書の一つに、吉川英治
の「三国志」がある。中国の魏・蜀・呉の三国時代に登場する人物、蜀の劉備玄
徳、関羽、張飛、諸葛孔明は、特に印象深い。この本は、実にスケールが壮大で、
読んでいて実に楽しく人間を学べる本であった。劉備、関羽、張飛の人間及び
その人間関係に感銘を受け、桃園(とうえん)で義兄弟の契りを結んだ故事にちな
んで、大学の同志、親友のOとKの3人で、生涯義兄弟の誓いをしたことをよく
記憶している。私には、大切な思い出になっている。
このようにして、大学に入学した時の三つの目標のうちの二つ、大切な
“人生の生き方”を学び、“生涯の友”を得たことが、私の人生の誇りであり、
財産である。