「高校生活はどうでしたか」と問われて、「楽しかった」とはとても答えるこ

とができない。2年生の秋の「修学旅行」は、唯一つの楽しい思い出であった。

「東京オリンピック」が開催されていた時期と重なっている。行きは九州へと

夜行列車での旅行であった。その車中と旅行先での友だちとの語らいが懐かし

い。帰りの西鹿児島駅で待っている時に、マラソンで裸足のアベベ選手の走る

姿をテレビで見ていたことが今なお記憶として強く残っている。

私は、同じクラスの男子二人(F君とS君)と、他の女子クラスの二人の5人

の班編成で、班別行動の時間が一番楽しかった。宿のロビーでトランプをした

ことが思い出される。二人の女子とは初対面で、お互いに慣れるのに少し時間

がかかったが、その中の一人のS・Kさんとは、旅行中に親しくなったが、

それだけである。できれば交際したいとの気持ちがあったことは確かである。

その女の子の気持ちはわからないが、写真ができた時に、学校で話しをしたの

が最後になった。彼女は帰りの昼の列車(男女は別車両)で会うとの約束は果

たしてくれた。横浜で下車するまでの30分ぐらいの時間であったような記憶

であるが、彼女の人柄を感じた。私の頃は、高校生の男女交際は、今の時代と

は異なり、一般的ではなかった。グループでの交際はあったように記憶してい

るが、はっきりは覚えていない。その修学旅行での写真は今でも残っている。

懐かしい「思い出」である。

 私は、修学旅行を最後に、「受験生活」に入るつもりだった。修学旅行前ま

では、勉強の面では、学校の授業を軸に、学校での成績を上げるようにしてい

た。特に「実力試験」の結果に重点をおいた。英語の成績だけではなく、5教

科総合での成績順位で、何番になるかを試してみた。その結果の最高位は、

学年15番だった。英語は1番をキープするように頑張った。日常の家庭学習

は、1年の時から英語の勉強しかしていなかった。英語だけは、学校の誰にも

負けられないとの気持ちでいた。私自身は、「ワンポイント主義」と名付け、

毎日4時間から5時間の勉強をしていたと記憶している。だからこそ負けられ

ないとの「プライド」が支えであった。英語のライバルは一人いた。クラスは

違っていたが、彼も英語だけに力をいれていた。彼とのトップ争いになってい

た。もちろん彼に負けることもあったが、「切磋琢磨」することは、お互いに

プラスになることは確かだ。当時の私は、不安でたまらなかった。

「井の中の蛙大海を知らず」の心境であった。私の学校には、先輩がいなかっ

たので、当然ながら、過去のデータがなかった。そのために、学校の

「授業中心」の勉強では駄目だと思い、受験参考書を何冊も買って勉強するこ

とになった。いわゆる「独学的学習」になった。それが間違いの基であった。

修学旅行の後、予習をやらなくなり成績が下降し始めた。「学習の基本」は、

予習・復習にあることを見失ってしまった。基本を大事にして、そこにプラス

することの大切さを知らなかった。このことは、教師になって、受験する生徒

を教えるようになってから再認識したのである。受験の勉強も学校の勉強も同

じである。学校の勉強から離れて、自力で参考書や問題集に取り組むのは、

ロスが多く効率も悪く時間もかかる。難しいことをやるのが、「受験勉強」だ

と思い込んでいたが、間違いであった。入試問題を解く時に、問題の難しさに

悩まされ、この問題の解答ができなくてはと思い込んでいた結果であったのだ

が。自分ができない問題は、ほかの人もできないと考えるべきなのだ。それで

も解答できる人は当然いるが、レベルが違うということなのだ。学習はやはり

教わって学ぶことが一番の近道である。いったん下降線に入ると、自信を失い、

再び上昇するのは、本当に大変である。これは私が実際に体験したことで、

3年生の時は、悩み苦しんだといっても過言ではなかった。私は浪人していな

いので、浪人生の気持ちはわからないが、私自身は「背水の陣」をひいた受験

生の気持は理解できる。それほどのプレッシャーを感じていた。「受験心理」

は人一倍わかるつもりだ。私は、大学は一校2学部しか受けていない。浪人も

許されない状況で、大学に進学するためにはどうしても合格するしかなかった。

高校の古文の先生に、「君はどこの大学を受けるのか?」と聞かれて、

「横浜市立大学です」と答えた時に、「難しいな。君は浪人するつもりか」と

言われたことを記憶している。模擬試験の結果は、E判定で、合格の可能性は

25%以下であった。当時の横浜市大は、受験科目が4科目で500点満点。

その内容は、英語200、国語100、社会100、数学・理科が選択で

100点だった。前にも書いたが、倍率が高く、合格ラインはほぼ60%弱で

あった。現在のセンター試験のようなマークシートの選択肢の問題ではなく、

二次試験のような記述式であった。私は、過去10年間の問題を調べて、自分

で「傾向と対策」を徹底的に考えた。その対策に従って、そのタイプの問題に

対応できるような勉強をしていた生徒であった。今私が振り返っても、辛く苦

しい時期であったし、それを乗り越えて、よく合格できたと思っている。

この経験が、私の「生き方」の方向性を決めることになったと言ってもよいと

思う。「受験」のための勉強は二度としないと決めこと。大学生の時に、教員

採用試験のための試験勉強をしなかったことは、その一つの例でもある。

今振り返ると、片意地を張っていたようにしか思えない。受験対策はともかく、

基本となる知識は勉強すべきであった。何事も「基礎」・「基本」を大切にす

ることが肝要であることをこの当時はわかっていなかった。