先月24日に、「裾野市長・高村謙二様」への手紙を書いた。その手紙を
「裾野市長への要望」と題してブログへとアップした。手紙をプリントアウト
して、裾野市役所の秘書課を訪れ、職員に見てもらい高村市長へと渡して頂く
ことになった。その後、学校教育課に寄り、中学の英語の教科書を見せても
らい、近くの取扱店へと予約注文をした。学校教育課で、小・中学の英語の
授業を見せてもらいたいとの要望をした。
私は、小学校に英語を導入することに高い関心を持っている。「英語教育」
が大きく変化している。グローバル化が進む中で、英語のコミュニケーショ
ン能力を子どもの時から身につけることに、文科省も本気で取り組む気にな
ったようだ。子どもの時から自然に英語に触れることは良いことだと思って
いる。中学校までの英語教育は変化しているようだ。授業を見て自分の目で
確かめたいとの思いが強い。
ともかく高校への「継続」が問題である。伝統的な「受験英語」(合格するた
めの英語)から脱却しなければならない。現場の教員の「意識改革」が求め
られているのだが。私は「話す」「聞く」と「読む」「書く」の技能習得は
別であると考えている。日本の英語教育の歴史は、「読む」「書く」が中心
であった。明治時代以来、日本は西洋から知識を学び技術力を高め経済大国
へと発展してきた。その原動力は「語学」にあった事実を否定することはで
きない。
20日に、「教育改革へ」と題する長文のブログをすでに書いているので、
重複を避けるが、文科省専門家会議座長・安西祐一郎氏の「記述式導入は教
育改革」の考え方に賛同している。高校教育は「大学入試改革」がなされない
限り変わらないのが現実である。私の教師経験においても、「学習活動」から
「言語活動」へと指導要領が改定されたが、実質は何も変わることはなかった。
現在は、「コミュニケーション活動」へと変化しているが、英語教育の流れに
変化はみられるが、大きな変化があるようには思えない。先日後輩のW君に聞
いてみたが、進学校の実態は「受験対応」になっていることに何の変化もない
と感じた。退職直後に指導要領が改訂され、教科書も「英語I」が「英語コミ
ュニケーションI」へと名前が変わり、原則英語で授業をすることになってい
るが、半分程度とのことを聞いた。私の想定内の内容であった。世間の「学校
評価」が大学入試結果にあることは、昔から何も変わっていない。大学入試を
根本的に変えなければならない。センター試験に、記述式導入は教育改革の必
然の流れだと考えている。更に言うならば、日常の学習をしていれば、特別な
受験対策が必要がないようにするのが理想である。大学もブランドで選ぶので
はなく、「教育内容」を規準に選ぶ時代であると思う。大学そのものが淘汰さ
れる時代になっている。入学希望者が全入できる時代だ。その反面「経済格差」
が広がり、一流と言われる高校、大学には親の経済状況が反映している。
チャンスに不平等が生じていることも見すごせない。
「過去の成功体験だけでは今後の持続的成長は望めない」と日本のトップ企業
トヨタ自動車の豊田章男社長が入社式で言っている。世界的に競争ができる
「人材」が求められている。これが現在の社会的背景である。
先日、市役所秘書課の職員から私の携帯に電話があり、高村市長が会って話
しをしたいとのことで、昨日の10時にお会いする約束で、市役所へと出かけ
た。退職後着用していないスーツを出して着た。気持ちが締まる思いを感じた。
高村市長と互いに挨拶を交わした直後に、市長の出身の高校と大学の話しから
始まった。「名古屋大学は、沼津東高校には珍しいのでは」と私が言ったら、
「最初は東北大学を希望していた」との話しであった。英語は得意だが、数学
に自信がなかったことが大学志望理由になったとのことだ。私も同じ文系であ
るが、私の方がずっと数学が苦手であったと思う。私の友として付き合いの長
いF君やEさんも共に沼津東高校から国立一期校に進学した。二人とも理系で
あるが。F君も大阪大学の理学部、沼津東高校では珍しいので、昨年その辺の
事情を聞いた。難易度で京都大学農学部よりも上であることが主な理由だ。
選択を間違えたとも言っていた。二人とも優秀な教師である。現在も非常勤講
師として教壇に立つ「高齢者」でもある。高村市長が優秀な方であることはす
ぐにわかった。私のブログやフェイスブックの投稿に目を通されたようだ。
それで「会って話しをしたい」とのことで時間を割いて頂いたということだ。
前述したような話しをさせて頂き、「小学校の先生の英語の研修のサポートを
したい」とお話しした。昨日の毎日新聞の投稿に「最大の人的資源は高齢者」
との声があり、私も同様な考えであることを伝えた。一昨日の投稿では、
「伝える力のない政治家たち」の内容を話した。高村市長は「政治家だけでは
ないですね。人の問題です」と語った。その通りだと私も考えている。これか
らの教育で重視されることは「伝える力」ということになる。英語を含め、コミュニケーシ
ョン能力を養成しなければならない。自ら学び、考え、判断し、そのことを
「伝える力」と他人を認め「思いやる心」を育てることが教育の根幹となるべ
き「理念」と考えているのが私の教育観である。私も健康である限り、何らか
の社会貢献をしたいと思っている。英語教師としての経験からのアプローチで
あるならば、私は可能だと考えている。団塊の世代も「社会的価値」である。
裾野市の「創生」のためにも、微力ながら協力を惜しまない。高村市長の行政
手腕に期待している。
「裾野市長への要望」と題してブログへとアップした。手紙をプリントアウト
して、裾野市役所の秘書課を訪れ、職員に見てもらい高村市長へと渡して頂く
ことになった。その後、学校教育課に寄り、中学の英語の教科書を見せても
らい、近くの取扱店へと予約注文をした。学校教育課で、小・中学の英語の
授業を見せてもらいたいとの要望をした。
私は、小学校に英語を導入することに高い関心を持っている。「英語教育」
が大きく変化している。グローバル化が進む中で、英語のコミュニケーショ
ン能力を子どもの時から身につけることに、文科省も本気で取り組む気にな
ったようだ。子どもの時から自然に英語に触れることは良いことだと思って
いる。中学校までの英語教育は変化しているようだ。授業を見て自分の目で
確かめたいとの思いが強い。
ともかく高校への「継続」が問題である。伝統的な「受験英語」(合格するた
めの英語)から脱却しなければならない。現場の教員の「意識改革」が求め
られているのだが。私は「話す」「聞く」と「読む」「書く」の技能習得は
別であると考えている。日本の英語教育の歴史は、「読む」「書く」が中心
であった。明治時代以来、日本は西洋から知識を学び技術力を高め経済大国
へと発展してきた。その原動力は「語学」にあった事実を否定することはで
きない。
20日に、「教育改革へ」と題する長文のブログをすでに書いているので、
重複を避けるが、文科省専門家会議座長・安西祐一郎氏の「記述式導入は教
育改革」の考え方に賛同している。高校教育は「大学入試改革」がなされない
限り変わらないのが現実である。私の教師経験においても、「学習活動」から
「言語活動」へと指導要領が改定されたが、実質は何も変わることはなかった。
現在は、「コミュニケーション活動」へと変化しているが、英語教育の流れに
変化はみられるが、大きな変化があるようには思えない。先日後輩のW君に聞
いてみたが、進学校の実態は「受験対応」になっていることに何の変化もない
と感じた。退職直後に指導要領が改訂され、教科書も「英語I」が「英語コミ
ュニケーションI」へと名前が変わり、原則英語で授業をすることになってい
るが、半分程度とのことを聞いた。私の想定内の内容であった。世間の「学校
評価」が大学入試結果にあることは、昔から何も変わっていない。大学入試を
根本的に変えなければならない。センター試験に、記述式導入は教育改革の必
然の流れだと考えている。更に言うならば、日常の学習をしていれば、特別な
受験対策が必要がないようにするのが理想である。大学もブランドで選ぶので
はなく、「教育内容」を規準に選ぶ時代であると思う。大学そのものが淘汰さ
れる時代になっている。入学希望者が全入できる時代だ。その反面「経済格差」
が広がり、一流と言われる高校、大学には親の経済状況が反映している。
チャンスに不平等が生じていることも見すごせない。
「過去の成功体験だけでは今後の持続的成長は望めない」と日本のトップ企業
トヨタ自動車の豊田章男社長が入社式で言っている。世界的に競争ができる
「人材」が求められている。これが現在の社会的背景である。
先日、市役所秘書課の職員から私の携帯に電話があり、高村市長が会って話
しをしたいとのことで、昨日の10時にお会いする約束で、市役所へと出かけ
た。退職後着用していないスーツを出して着た。気持ちが締まる思いを感じた。
高村市長と互いに挨拶を交わした直後に、市長の出身の高校と大学の話しから
始まった。「名古屋大学は、沼津東高校には珍しいのでは」と私が言ったら、
「最初は東北大学を希望していた」との話しであった。英語は得意だが、数学
に自信がなかったことが大学志望理由になったとのことだ。私も同じ文系であ
るが、私の方がずっと数学が苦手であったと思う。私の友として付き合いの長
いF君やEさんも共に沼津東高校から国立一期校に進学した。二人とも理系で
あるが。F君も大阪大学の理学部、沼津東高校では珍しいので、昨年その辺の
事情を聞いた。難易度で京都大学農学部よりも上であることが主な理由だ。
選択を間違えたとも言っていた。二人とも優秀な教師である。現在も非常勤講
師として教壇に立つ「高齢者」でもある。高村市長が優秀な方であることはす
ぐにわかった。私のブログやフェイスブックの投稿に目を通されたようだ。
それで「会って話しをしたい」とのことで時間を割いて頂いたということだ。
前述したような話しをさせて頂き、「小学校の先生の英語の研修のサポートを
したい」とお話しした。昨日の毎日新聞の投稿に「最大の人的資源は高齢者」
との声があり、私も同様な考えであることを伝えた。一昨日の投稿では、
「伝える力のない政治家たち」の内容を話した。高村市長は「政治家だけでは
ないですね。人の問題です」と語った。その通りだと私も考えている。これか
らの教育で重視されることは「伝える力」ということになる。英語を含め、コミュニケーシ
ョン能力を養成しなければならない。自ら学び、考え、判断し、そのことを
「伝える力」と他人を認め「思いやる心」を育てることが教育の根幹となるべ
き「理念」と考えているのが私の教育観である。私も健康である限り、何らか
の社会貢献をしたいと思っている。英語教師としての経験からのアプローチで
あるならば、私は可能だと考えている。団塊の世代も「社会的価値」である。
裾野市の「創生」のためにも、微力ながら協力を惜しまない。高村市長の行政
手腕に期待している。