高校受験」のことを書き残しておかなければならない。私の頃の神奈川県の

高校入試は、3年の1月に県下一斉に実施されるアチーブメントテスト(神奈

川方式と呼ばれる)が公立高校受験の基準だった。1教科50点満点の9教科

で450点満点である。県立普通高校への進学基準の最低が7割弱の300点

で、トップクラスの進学校は8割の350点、当時の県下No1の湘南高校

(東大合格が全国で7位くらい)は、約9割の400点が必要だと言われてい

た。ちなみに当時の全国のトップは東京の日比谷高校(全盛時代)であった。

アチーブメントテストは1年次のときから行われていたが、受験指導の基準に

なるのは3年次の点数であった。私の3年次の得点は318点で目標の8割の

点数が取れなかった。試験の結果に落ち込んだ記憶がある。

当時の高校入試は中学での学校の成績に関係なく、「一発試験」であった。

私たちは、いわゆる団塊の世代と言われ、出生率が一番高かった世代である。

私の家は経済的に楽ではなかったので、私立高校との併願を親から許してもら

えなかった。公立の試験に落ちたら中学浪人になってしまう。私の志望校は

県立多摩高校で、川崎市のトップ高校になりかけていた学校である。

この静岡県の沼駿地区における沼津東高校のレベルと同じくらいだと思う。

多摩高校に合格するには、最低350点から360点が必要とされていた。

私のテスト結果での受験は、危険な冒険だった。主要5科目では8割の200

点には達したが、技能4教科で6割の成績で、志望校の受験変更を担任

(2年間受け持っていただいた)のI先生から面接指導を受けた。

その時に呼ばれた生徒が3人いた。成績順に呼ばれたと記憶している。

私は3番目に呼ばれた。 前の2人は志願変更をした。私が多摩高校を受験す

る条件として、私学との併願を言われた。私の家では併願は無理だったので、

私も、結局は先生の指導に従って、新設の普通高校に受験することになった。

沼駿地区の御殿場南高校と同じ昭和38年(1963年)に設立された高校で

ある。

私のクラス(50数人)から5人が多摩高校に進学し、3人が新城高校に進学

した。あとで聞かされたことだが、多摩高校を受験していても合格していたと

の入試での成績だった。私の人生の最初の「分岐点」になったことに違いない

と、今の私は過去を振り返りながら感じているところである。多摩高校に進学

していたら、その後の人生は変わっていたかもしれない。おそらく高校で

挫折」していたように思えてならない。ともかく私が最初の挫折感を味わっ

たのがこの時期であった。このときの悔しさが高校生活でのバネになり、学習

のモチベーションになったのだ。大学受験では負けたくないと。ほぼ同学力の

同級生が多摩高校に進学した。英語では、私よりも劣る者も何人もいた。彼ら

には負けられない。私の中の心に火をつけてくれたのだ。高校でのリベンジを

誓ったことをよく記憶している。

私の知る範囲で、近年の高校入試のことを書いて置く。筆記試験は、選抜試験

から「選考試験」に変更されている。中学の「内申書」が重視されるようにな

った。「面接」実施されるようになった。大きく変化していることは確かだ。

内申点数は9教科の90点満点に換算される。私が御殿場南高校で教えた生徒

で最も内申点数が高かったのは82点の女子生徒であった。とても真面目な生

徒で、陸上部に所属していた。大学受験の相談に私のところによく来た生徒で

印象に残っている生徒だ。彼女の内申点数はトップで入学したが、実力試験に

は弱さが出ていた。沼津東高校を選択しなかったことは正しい選択だったと思

っている。本題からそれてしまった。

今の高校入試制度は、内申点数の上位者の70%が、筆記試験で失敗しない限

り、優先的に合格が内定する。筆記試験で、募集定員の下位5%に入ると、

総合審査」に回される。総合審査では、筆記試験の点数を段階評価した数値

と、内申点数が総合的に判断される。「面接」は実質的には合否の対象になっ

ていないと言える。総合審査は、進学校では筆記試験の評価が重視される傾向

にあると考えてもいい。選抜の仕方が多様化してきたことは確かだ。大学の選

抜は更に多様化しているので、現職でも分かりにくい状況にある。

私の世代の高校受験と今の高校受験との本質的な違いを考える時に、「違い」

があるとは感じていないのが私である。結論すると、筆記試験において募集定

員の中に入っていないと合格することはできないということである。希望する

学校に合格するか不合格になるかのどちらかしかないのが「受験」である。

入学の順位は全く関係がないことである。一般的には、昔から女子生徒の方が、

学校の成績が良いことも事実である。男女の「特性」の違いであると思う。