私の中学時代に教わった先生への記憶をたどってみる。

中学1年の英語は、S先生、KM先生で、2年次はM先生、3年次はKB先生

である。S先生は若い国語の先生で、1学期の途中まで英語も教わった記憶が

ある。その後を英語のKM先生が教えてくれたとの記憶だが、あいまいだ。

S先生は話しやすかったとの記憶が残っているが、国語の印象の方が強い。

2年次に教わったM先生とは卒業後長い間、年賀状のやりとりをしていた。

毎年の年賀状の返事に色々な事を書いてくれていた。先生が高校の定時制に移

ったことも知った。年賀状の記憶では、管理職を目指していたようだ。それが

かなわなかったことへの恨みのようなこも書いてあったが、一番残念なことは、

先生が定年と同時に今までの関係を絶つという内容の年賀状を受け取った時で

ある。定年を境に、教え子との関わりもやめるとのことで、年賀状も最後との

ことであった。こんな先生だとは思ってもいなかった。真面目で熱心な先生と

の印象が崩れた。建前と本音が違うということだった。普通の教員に過ぎなか

ったということだ。この経験が私の教え子に対して、「私は何も変わっていな

いよ」と伝え、伝えることができなかったことをブログで「ありのまま」伝え

ているのだ。私にとって、教え子はいつまでも変わらない存在だ。「失望させ

たくはない」との気持ちが強い。

S先生とKM先生は仲が良かったような印象が残っているが、卒業してからの

ことは知らない。3年次に教わったKB先生は、英語の授業が厳しいことと、

英語の力があることが生徒の間で広まっていた。英語の力とは、「発音の正確

さ」「文法力」「読解力」に基ずく教え方を言う。今日では、英語での「コミ

ュニケーション能力」が盛んに言われているが、「文法読解力が」が全てと言

っても言い過ぎとは言えない時代であった。「文法訳読教授法」が支配的だっ

た。3年でKB先生に教わることになった時は、楽しみでもありまた緊張感も

あった。英語は、1年の中頃で脱落者が、2年でも脱落者が、3年の初めを乗

り切れるどうかがポイントであった。英文法の難易度と関係していた。したが

って、英語はすべて英文法への理解と英文を読めるかどうかにかかっていた。

私の世代の中学3年の教科書は、後の高校1年生のレベルであった。仮定法な

どのような難しい文法事項は高校へと移される前のカリキュラムだった。

教える先生にしても、高校で教えることができるかできないかのレベルになる。

昔は、中学と高校の先生では学力の差があったことは事実だと思っている。

有名私学の中高一貫教育で、中学1年から高校卒業まで学年の責任体制ができ

ている中で、継続して教える教員は優秀でなくては務まらない。英語と数学は

その典型と考えてもいいだろう。教える内容と求められる教えるスキルが異な

るだけに難しいのである。生徒の「成長度」もかなり違うことを理解しておか

なければならない。ただし、生徒が教師よりも優秀な素材が集まっていること

も事実である。

 中学で印象に残っている先生は、女性の国語のI先生で、2年と3年で担任

の先生であった。この先生には、亡くなるまで年賀状を書いていた。達筆な字

で、ひと言返事を頂いていた。生涯独身を通されたようだ。女の先生だったが、

なかなか厳しい先生だった。この先生から学んだことは多い。

一人嫌いだった先生のことを書いて置く、名前も覚えていない。2年生の時に、

数学を教わった。数学の図形問題を出され、質問した時にそばに来て私のノート

を見て、これでいいので黒板に書くように言われた。その解答は間違っていた。

間違った例として私を利用した。彼女は、気に入る生徒には丁寧に個人指導を

していた。明らかに依怙贔屓をしていることがわかった。それ以来私は数学へ

の苦手意識ができてしまった。高校の数学まで影響したのだ。「反面教師」と

してきたが、私は生徒に対して、「依怙贔屓」することはなかった。人間だか

ら、「相性」が合うか合わないかは難しいところだが。生徒には同じように接

してきたことだけは自信をもって言える。受け止める側の生徒にとっては違い

があるかもしれないが、そのことを耳にしたことは一度もない。教師は生徒に

応じて対処の仕方は異なるが、気持ちの上では同じであるべきだと思っている。

私は教師になる気は全くなかったが、先生とは比較的よく話す生徒だった。

自分なりに先生を見極めていた生徒だったと言えるかもしれない。