最近「人との関わり」がいかに大切であるかを感じている。

この十数年体調を崩してる時が長く、家にいることも多かった。家でネット碁

で時間をつぶしていた。外に出る気はしないし、本も読む気も無くなる。それ

故に、人と触れ合う機会もない。妻とも話しをする元気もない。人の心とは、

不思議なものだ。人の心は目には見えない。しかし、心は外に表れる。

心が健康であるには、体が健康でなければならない。心と体は一体で不二であ

る。英語で、A sound mind in a sound body.のことわざがある。日本では、

「健全な精神は健全な身体に宿る」と昔から言われている。心の健康が幸せと

いうことだと思っている。「健幸」と書くことを好むようになっている。

 この2月の下旬から1か月はよく外に出かけるようになった。体調が良くな

ると外へ出たくなる。これが自然であろう。外に出ることによって、久しぶり

の人に出会って話しをする。その時間がとても楽しい。近所の散歩でも何年か

ぶりに話す人がいる。三島の友人F君とも会って話しをしたり、Eさんとメー

ルでやり取りをして情報を交換したりもする。3月は外出の記録としているグ

ーブログを7回更新している。最近では、F君と時之栖のイルミネーションに

行き、予期せずに美味しい中華料理を味わった。御殿場には、名鉄菜館という

中華の名店があるが、時之栖のレモングラスは穴場だ。

 東山・旧岸邸には、花粉症で外に出たがらない妻を連れて行った。東山界隈

は箱根を背に静かな風情のある場所だ。岸信介元総理が好んでいた場所だ。

近くに「秩父宮記念公園」がある。ゆっくり散策するのもいいだろう。5月に

でも妻と散策しょうと思っている。

 一年ぶりに後輩の友とボウリングに行けば、以前のボウリング仲間や女子プ

ロと話しの花が咲いた。人と話すことはとても楽しい。私は話し好きな人間で

ある。人のうわさ話や週刊誌的話題を好まないが、所謂「雑談」が好きである。

御殿場の帰りに岩波のボウリング場に立ち寄ると、ボウリング仲間と立ち話と

なる。競技ボウリングではなく、健康のために楽しむボウリングを勧められた。

確かにそうなのだ。英語では、play bowling ではない。 enjoy bowling が正

しい使い方だ。考え方を切り換える必要がある。



 ボウリング場の支配人のS君から話しを聞いた。Iグループの経営が大変な

ことは、会員更新の時に聞いていたが、狐ヶ崎ヤングランド、柿田川、御殿場

岩波のボウリング場が5月17日に、社員が集まられ破産宣告を受けたようだ。

事前に何の話もなく、突然のことだったと知った。このグループのスタッフは

ほとんど顔見知りで、亡くなったM専務とも何度も話しをしながらボウリング

をやった。専務には、教員の社会研修の3日間はお世話になった。研修として

会社へ行くことを強要され、行く会社に困り、M専務に頼み、3日間ボウリン

グ場で研修させてもらった。ほとんど形式的な勤務にして、実質的には1日フ

ロント体験をしただけだ。ボウリングの知り合いが「ここでなにしているの?」

と聞かれ、いちいち説明しているだけで、中に立っているだけの何の役にも立

たない始末だった。今では懐かしく思い出される。M専務は60代で亡くなっ

てしまった。多くのボウリング仲間に惜しまれた。その仲間の一人が、岩波の

ボウリング場を救ったと聞いた。「時之栖」の会長に、コミュニティをなくさ

ないでほしいと頼んだそうだ。会長がボウリング場の視察にきて、経営状態を

聞き、売りに出しているのが事実ならと買収してくれたようだ。時之栖の41

番のグループになり、スタッフは正社員として雇用されたと聞き安心した。

人との関わり」がいかに大切かの良い例である。そこに4月から、アマの

トップクラスのボウラーのI君が働くことになる。彼には、ボウリングに関し

て多くのことを教わり、一緒にも投げた。もちろん彼にはかなわないが、

選考会で一度だけ勝ったことがある。私は競技のボウリングは引退している。



 昨日は「東静歩こう会」へお試し参加した。修善寺駅集合で、修禅寺を出発

地点に「奥の院」までの往復10キロコース(Cコース)で歩いた。人との出

会いがある。130人ほどの会で、平均年齢が67歳とのことだ。女性が多い。

おばちゃん集団のような感じだが、二人のH(一人はこの会の幹事)さんと話

し、沼津に住むHさんとはFBになった。もう一人沼津でボランティア活動を

している人と話しをしたが、名前を聞き落としてしまった。

最近では、健康志向の年寄りが退職後にいろいろな活動をしている。その一つ

がウオーキングである。ここでも団塊の世代が活躍している。

人は「人との関わり」で生きてこそ人であることを実感している日々である。

そう実感できるようになったことが「嬉しい」のである。人と関わりながら、

エンジョイ・ライフで人生の晩年を生きていきたいと思っている。