私が中学に入学したのは、昭和35(1960)年である。小学校の所で書

いたように電車通学していたために、学区外の宿河原にある稲田中学に入学す

ることになったあめに、稲田小学校の出身者がほとんどであった。彼らにとっ

ては、私は「よそ者」のような存在だった。友だちがいないことはハンディに

はなってもプラスになることはない。転校生に近い存在だったかもしれない。

学区が違うために、知っている友達は誰もいなく、不安な思いで中学生活が

スタートした。学校は歩いて15分程度の場所にあり、通学は楽だった。

最大の問題は、小学校の同級生が一人もいないために、「よそ者扱い」で、

いじめではないが、嫌がらせを受け、いやな思いをしたことを覚えている。

自分がやられていやなことを、私は他人にはしない」と心に決めたのは

この頃のように思う。

 小学校6年から中学1年の夏休み前まで、夕刊の新聞配達をしていた経験が

ある。新聞の配達がそれほど大変だとは思わなかったが、時間の制約が、私に

とって厳しいことだったと思う。その状況の中で、私は中学に入ったときに、

野球部に入部する選択をした。また、新聞配達を続ける許可も顧問の先生にも

らっていた。

 私が中学入学で一番楽しみにしていたのは、「英語」があることだった。

同じスタートラインに立てることが理由であった。国語、算数、理科などの

教科は、小学校での「学力差」がついていた。英語にしても、一部の生徒が6

年生の時に、英語を習っていた人がいたようだ。英語の単語を得意げに話す連

中がいた、私はその輪の中には入らなかった。ともかく英語という教科に興味

を持ったことは確かである。何も知らない状態でということだ。

 部活は野球部に入った。当時の稲田中学野球部は強豪チームで、川崎市の大

会で3連覇しているほどだった。野球部の新入生の中には、子供会の野球で戦

ったことのある部員もいたが、仲良くはなれなかった。その部員は先輩たちか

らかわいがられていたが、私は逆に先輩たちから嫌われていた。はっきりとし

た理由はわからない。1年の球技大会で、ある先輩はクラスのリーダーシップ

を取って野球をしている私の姿を見て、「生意気」な奴だと感じたのか、練習

の途中で早退することが腹立たしかったのかわからないが、とにかくにらまれ

ていたことは確かだ。新聞配達のために、早退することは顧問の先生には了解

してもらっていたことだ。夏休みの初めに、高熱をだして練習を休んだときに、

3年生の先輩たちに呼び出されて、炎天下でグランドを何週も走らされた後、

暗くなるまで先輩たちのユニホームの洗濯をさせられた。その結果、私は日射

病にかかってしまった。このようなことは明らかに「いじめ」である。

先輩かぜをふかして後輩をいじめる風習が、運動部にはよくあるようだが、

とんでもないことだ。いじめる人が100%悪い。上級生になり、逆の立場に

なっても、私は自分にされたようなことは絶対にしないと自分に誓ったのであ

る。この「経験」は私の「考え方」に大きな影響を及ぼす出来事となった。

立場を利用してえばったり、後輩をいじめたりする人は、最低の人間である。

今でもこのことは、私の考え方の基本の一つである。この出来事の後、私は

野球部をやめたのである。このような先輩たちの中ではとても野球を続けるこ

とはできなかった。退部してから2年生になって軟式テニス部に入ったが、

初心者の私では試合に出させてもらうまでにはならなかった。一緒に入部した

中に、一人早々とレギラーを取った同級生がいた。彼の運動神経は素晴らしか

った。彼のようにレギラーにはなれそうになかったので、3年生のときには真

剣になって練習はしなくなった。一度だけおなさけで試合に出させてもらった。

それが実質的な最後となった。とにかく野球を続けていられなかったことが残

念な記憶である。できるならば3年間野球を続けたかった。今でもその気持ち

は変わらない。野球が好きな私だ。

 私の孫が野球をやっているので、孫の相手をしながら、基本的なことは教え

ておきたいと思い、キャッチボールの相手を始めている。野球の試合も見にい

こうと思う。子どもたちのレベルも知りたい。今年は3年生なので、あと1年

練習すればレギュラーが取れるだろう。試合で活躍する姿を楽しみにしている。