私たち「団塊の世代」を含め日本人は、英語に対する「コンプレックス」を
感じているように思える。英語を聞いたり話したりする「日常会話」さえもで
きないという意識だ。現在、多くの外国人が観光客として日本を訪れている。
日本の観光地は外国人に溢れている。彼らは日本語を話していない。日本人が
彼らの言語のパンフレットを作り、にわか学習を始めている。商売のためには
そうしていくしかない。逆に日本人が外国へ観光に行く場合に、多少なりとも
日常言語を学び、挨拶や、買い物ができる程度の語学を準備する人が多い。
外国では日本語は通じないので、日本語を使うことはできない。
今の世界は、日常的な会話は、ほとんどどの国へ行っても「英語」でのコミュ
ニケーションが可能になっている。
日本人の多くは、中学で3年間、高校で3年間、大学で2年間は英語を学ん
でいる。それにもかかわらず、日常会話すらできないと思っている。その原因
は学校の「英語教育」にあると考えている。私もその通りだと思っている。
日本人の英語学習の歴史を振り返ればわかることである。明治時代以来、西洋
の学問や技術を学ぶために、「読むこと」が中心にあったからである。
学校の英語も同じであり、「受験英語」なるおかしな言葉がまかり通ってきた。
英語は英語であって特殊な英語が存在するわけではない。「受験英語」は日本
だけの言葉である。日常表現の英語の文とは違って、やや古いがしっかりとし
た文法に裏付けされた正しい英語である。大学受験で学ぶ英語はハイレベルの
英語で、日常の会話で使うことができないレベルである。ネイティブでも同じ
である。大学受験に使われる表現を使いこなすことができるのは一般のネイテ
ィブにはできない。大学を卒業したネイティブでないととの意味である。
私たちが使っている日本語も同じことが言える。日常会話と文章表現にはかな
りの差があることは誰でもわかることなのに、英語になると別だと思い違いを
している。英語も日本語も言語としては変わりはない。
言語の目的は「コミュニケーション」にあり、それは、話したり、聞いたりす
る「会話」だけではなく、読んだり、書いたりすることでもある。読むにはそ
れなりのレベルの学習をしなければならない。読むことができなければ、当然
書くことはできない。読み書きができなくても、話すことと聞くことはできる。
「読み書き」は「教育」なしには不可能と言える。
英語の「基礎の基礎」とは何だろうか。私の考えでは、アルファベットの正
しい「発音」と英語の基本的な「仕組み」を知ることである。発音はトレーニ
ングで可能である。基本的な「仕組み」の理解も難しくはないが、日本語との
違いを知る必要がある。年齢がいけばいくほど、その理解が必要になってくる。
子供の時には、全く必要がない。自然に身についていくからだ。したがって、
小学校の段階では、ゲームや音楽や漫画のような視覚的なものを使って、英語
の音に触れて慣れればいいのである。小学校の教員は、ネイティブに依存する
とは思うが、英語の発音のトレーニングはしなければならない。ネイティブに
教わればいい。基本の英語の仕組みを知るために、一冊の本を紹介する。
ビッグ・ファット・キャットの「世界一簡単な英語の本」著者・向山淳子教授、
幻冬舎。この本は英語の基本的な「仕組み」を文法用語を使わずに説明してい
る。これはなかなかできないことである。「基礎の基礎」を書いた本としては
俊逸であると思う。高校生用には、私が、「私の英文法対話」を書いてブログ
に公開している。一例を示すことにする。
「僕は野球が好きだ。僕は野球をしたい」
を英語で表現してみてほしい。易しいと思う人が多いかもしれないが、英語の
基本の60%がこの形の応用である。私の言葉で説明すると、英語は「SVO」
言語だと言える。日本語は、「SOV」言語である。世界でも珍しいのが日本
語なのだ。英語だけでなく、中国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語もす
べてSVO言語である。日本語は主語が曖昧であるのに対して、英語は、主語
(S)が必ずある(相手に命令したり、依頼する場合を除く)。術部の中心を
なす動詞(V)は、日本語は最後に来るが、英語では、主語の後ろに来る。
このことが「根本的な違い」になる。「語順の違い」が最大のポイントである。
例にあげた日本文を英語で言うと次のようになる。
I like baseball. I want to play baseball. この二つの英文は同じ仕組み
である。向山さんの説明を使えば、I がAの箱で、baseball がBの箱になる。
Aの箱からBの箱へと矢印(⇒)になり、like である。AがBに影響を与えて
いる。二つ目の英文は、I がAの箱で、to play baseball がBの箱になる。
矢印(⇒)が want である。
カタカナで表記してみる。
アイ・ライク・ベイスボール。アイ・ワオント・ツー・プレイ・ベイスボール。
英語では便利だが、日本人に理解しがたいのが、to play baseball の表現で
ある。I play baseball. と実質的には同じことである。それを望んでいる
( want )と言っているだけである。この to の使い方を「私の英文法対話」
で、基本的なことを説明している。
結論を言うと、英語は、発音の正確さ(流暢さではない)と基礎>的な仕組みの
理解の応用で、大人が勉強するには、このことが基本になる。次は「語彙力」
となる。その単語にしても、日常の単語から学習すればいいのである、それが
できていれば、高校生向けの英字新聞を読んだり、自分の好きな分野のストー
リーへと進めばよいと思う。レベルは自分にあったものを選ぶことがポイント
である。その1冊を読み切れれば、英語はかなり上達する。参考に言うと、
私の好きな本は、The Little Prince (星の王子さま)です。英語、フランス
語、日本語を2冊持っている。難しい単語もあるが、無視して読めばいい、
細部にこだわらず、ストーリーの流れを掴めばいいのである。アバウトでいい。
このような英語の勉強方法がいいと私は思っている。
「受験英語」は役に立たないとよく言われるが、それは間違いである。英語は
英語であって、日常会話では役に立たないともいえるが、英語の基礎があり、
読むことができれば、若い時ならば、英語圏の国へと留学すれば、充分使える
英語を習得できることは確かだ。残念ながら、私にはその留学経験はない。
そのことがコンプレックスになっているのは事実だ。為替レートが360円の
時代では、留学はほとんど不可能であった。裕福な家庭の子女が遊学し、男に
騙されて堕落した話しはたくさんある。「今のような時代に学生時代を過ごす
ことができたならば、1年間は英語圏で生活したであろう」と残念な思いをし
ているのが私である。
これからの世代は、英語とパソコンを道具として使えなければならない時代に
なっていることを認識してほしい。「発信」の時代になっている。日本の文化
や歴史を知らなければ、発信することはできない。それ故に、日本語や歴史の
勉強もしっかりやる必要があると思っている。
感じているように思える。英語を聞いたり話したりする「日常会話」さえもで
きないという意識だ。現在、多くの外国人が観光客として日本を訪れている。
日本の観光地は外国人に溢れている。彼らは日本語を話していない。日本人が
彼らの言語のパンフレットを作り、にわか学習を始めている。商売のためには
そうしていくしかない。逆に日本人が外国へ観光に行く場合に、多少なりとも
日常言語を学び、挨拶や、買い物ができる程度の語学を準備する人が多い。
外国では日本語は通じないので、日本語を使うことはできない。
今の世界は、日常的な会話は、ほとんどどの国へ行っても「英語」でのコミュ
ニケーションが可能になっている。
日本人の多くは、中学で3年間、高校で3年間、大学で2年間は英語を学ん
でいる。それにもかかわらず、日常会話すらできないと思っている。その原因
は学校の「英語教育」にあると考えている。私もその通りだと思っている。
日本人の英語学習の歴史を振り返ればわかることである。明治時代以来、西洋
の学問や技術を学ぶために、「読むこと」が中心にあったからである。
学校の英語も同じであり、「受験英語」なるおかしな言葉がまかり通ってきた。
英語は英語であって特殊な英語が存在するわけではない。「受験英語」は日本
だけの言葉である。日常表現の英語の文とは違って、やや古いがしっかりとし
た文法に裏付けされた正しい英語である。大学受験で学ぶ英語はハイレベルの
英語で、日常の会話で使うことができないレベルである。ネイティブでも同じ
である。大学受験に使われる表現を使いこなすことができるのは一般のネイテ
ィブにはできない。大学を卒業したネイティブでないととの意味である。
私たちが使っている日本語も同じことが言える。日常会話と文章表現にはかな
りの差があることは誰でもわかることなのに、英語になると別だと思い違いを
している。英語も日本語も言語としては変わりはない。
言語の目的は「コミュニケーション」にあり、それは、話したり、聞いたりす
る「会話」だけではなく、読んだり、書いたりすることでもある。読むにはそ
れなりのレベルの学習をしなければならない。読むことができなければ、当然
書くことはできない。読み書きができなくても、話すことと聞くことはできる。
「読み書き」は「教育」なしには不可能と言える。
英語の「基礎の基礎」とは何だろうか。私の考えでは、アルファベットの正
しい「発音」と英語の基本的な「仕組み」を知ることである。発音はトレーニ
ングで可能である。基本的な「仕組み」の理解も難しくはないが、日本語との
違いを知る必要がある。年齢がいけばいくほど、その理解が必要になってくる。
子供の時には、全く必要がない。自然に身についていくからだ。したがって、
小学校の段階では、ゲームや音楽や漫画のような視覚的なものを使って、英語
の音に触れて慣れればいいのである。小学校の教員は、ネイティブに依存する
とは思うが、英語の発音のトレーニングはしなければならない。ネイティブに
教わればいい。基本の英語の仕組みを知るために、一冊の本を紹介する。
ビッグ・ファット・キャットの「世界一簡単な英語の本」著者・向山淳子教授、
幻冬舎。この本は英語の基本的な「仕組み」を文法用語を使わずに説明してい
る。これはなかなかできないことである。「基礎の基礎」を書いた本としては
俊逸であると思う。高校生用には、私が、「私の英文法対話」を書いてブログ
に公開している。一例を示すことにする。
「僕は野球が好きだ。僕は野球をしたい」
を英語で表現してみてほしい。易しいと思う人が多いかもしれないが、英語の
基本の60%がこの形の応用である。私の言葉で説明すると、英語は「SVO」
言語だと言える。日本語は、「SOV」言語である。世界でも珍しいのが日本
語なのだ。英語だけでなく、中国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語もす
べてSVO言語である。日本語は主語が曖昧であるのに対して、英語は、主語
(S)が必ずある(相手に命令したり、依頼する場合を除く)。術部の中心を
なす動詞(V)は、日本語は最後に来るが、英語では、主語の後ろに来る。
このことが「根本的な違い」になる。「語順の違い」が最大のポイントである。
例にあげた日本文を英語で言うと次のようになる。
I like baseball. I want to play baseball. この二つの英文は同じ仕組み
である。向山さんの説明を使えば、I がAの箱で、baseball がBの箱になる。
Aの箱からBの箱へと矢印(⇒)になり、like である。AがBに影響を与えて
いる。二つ目の英文は、I がAの箱で、to play baseball がBの箱になる。
矢印(⇒)が want である。
カタカナで表記してみる。
アイ・ライク・ベイスボール。アイ・ワオント・ツー・プレイ・ベイスボール。
英語では便利だが、日本人に理解しがたいのが、to play baseball の表現で
ある。I play baseball. と実質的には同じことである。それを望んでいる
( want )と言っているだけである。この to の使い方を「私の英文法対話」
で、基本的なことを説明している。
結論を言うと、英語は、発音の正確さ(流暢さではない)と基礎>的な仕組みの
理解の応用で、大人が勉強するには、このことが基本になる。次は「語彙力」
となる。その単語にしても、日常の単語から学習すればいいのである、それが
できていれば、高校生向けの英字新聞を読んだり、自分の好きな分野のストー
リーへと進めばよいと思う。レベルは自分にあったものを選ぶことがポイント
である。その1冊を読み切れれば、英語はかなり上達する。参考に言うと、
私の好きな本は、The Little Prince (星の王子さま)です。英語、フランス
語、日本語を2冊持っている。難しい単語もあるが、無視して読めばいい、
細部にこだわらず、ストーリーの流れを掴めばいいのである。アバウトでいい。
このような英語の勉強方法がいいと私は思っている。
「受験英語」は役に立たないとよく言われるが、それは間違いである。英語は
英語であって、日常会話では役に立たないともいえるが、英語の基礎があり、
読むことができれば、若い時ならば、英語圏の国へと留学すれば、充分使える
英語を習得できることは確かだ。残念ながら、私にはその留学経験はない。
そのことがコンプレックスになっているのは事実だ。為替レートが360円の
時代では、留学はほとんど不可能であった。裕福な家庭の子女が遊学し、男に
騙されて堕落した話しはたくさんある。「今のような時代に学生時代を過ごす
ことができたならば、1年間は英語圏で生活したであろう」と残念な思いをし
ているのが私である。
これからの世代は、英語とパソコンを道具として使えなければならない時代に
なっていることを認識してほしい。「発信」の時代になっている。日本の文化
や歴史を知らなければ、発信することはできない。それ故に、日本語や歴史の
勉強もしっかりやる必要があると思っている。