「教育改革」の必要が叫ばれて久しいが、待ったなしの状況を迎えている。

アルファ碁が世界一流棋士のイ・セドル九段に4勝1敗で勝利した。AIの

進化の速度と実力を証明した。画期的な出来事である。そのことはすでにブロ

グで書いた通りである。難解と言われるゲームだが、人工知能が人間に勝利し

たことは事実である。囲碁を知らない人にはわかりにくいことだとは思う。

将来は、人工知能ロボットが人間の職業領域に入り、人間の仕事がなくなって

いくことが予想される。OAの普及によって、事務職の仕事がなくなったこと

を思い出してほしい。仕事もコンピュータの操作ができなければ、就職もでき

ない時代になっている。私たち「団塊の世代」の仕事上での役割が終わったと

言っても言い過ぎではないだろう。これが「時代の変化」というものだ。情報

化社会というよりも「グローバル世界」との表現がふさわしい。人間生活の基

本となる経済が、一つの国では解決しない。世界の先進国が協力していかない

と世界の経済が成り立たなくなっている。私たちの生活に直結しているのだ。

アベノミクスもうまくいっているとは言えない。国民の期待だけで、内閣支持

率が維持されているのが事実だと私は認識している。経済の基盤の上に政治は

成り立つ。家庭も同じだ。収入がなければ生活ができないし、消費は上がらな

い。GDPの60%が個人消費を占めている。「経済的格差」が拡大した。

デフレ経済による「非正規雇用」が根本的原因だ。大企業の内部留保があまり

にも増大した。その大企業の社員だけが賃金が上がっただけだ。

トリクルダウン」の「したたり落ちる」との経済理論は間違っていると言わ

ざるを得ない。上が留保して流さないのだから、3段階目まで流れ落ちるはず

がない。単なる幻想である。現在は、大卒の「売り手市場」の状況を呈してい

るが、行先は不透明である。かつての大手ブランド東芝やシャープの状況を見

ればわかるのではないか。安定・安全な企業は存在しない。都市銀行は合併し、

メガバンクとなって生き残っている。自治体にしても合併は流れであり、

地方創生」は自分たちの「アイデア」で生き残っていくしかない。

まさに「サバイバル」の時代になっている。

 前置きが長くなったが、この「時代背景」を抜きにした「教育改革」は存在

しない。教育は「何のため」にあるのかから問い直さなければならない。

教育の基盤となる「理念」が必要である。「理念なき教育」が行われてきたの

が実態だ。「人間の幸福」と「平和な社会」のために教育があるということを

理念として掲げる必要がある。従来の価値観から脱却しなければならない。



 教育改革の第一歩は「大学入試改革」だ。ここを変えなければ何も変わらな

い。近現代の教育の中心は「受験教育」であり、根本は何も変わらなかった。

知識偏重教育」であり、生徒の関心は入試に合格できるかどうかの一点にし

かなかった。試験方式だけは変わってきたが、本質的には何も変わらなかった

ということを実感してきた。私は、昭和35(1960)年に中学入学してか

ら、平成24(2012)年の退職までの52年間、生徒として学び、教師と

して教えてきた。受験方式は変わったが、受験の本質は変わっていないという

ことだ。一流高校、一流大学、一流企業の価値観そのものが変わっていないの

だ。その価値観に誤りがあることに、教員を含めてあまりにも多くの親や、

社会の人たちがいまだに気づいていない。私は20年以上前から気づいていた。

ある大手会社の一橋大学出身のエリートの部長が解雇された新聞記事に、ショッ

クを受けたことをよく記憶している。学歴社会の「崩壊」の兆候だと感じた。

やがて「終身雇用形態」が崩壊すると感じたのである。価値観を変える必要が

あると思った。その後、日本経済は「バブル経済」が崩壊し、その象徴的な出

来事として、4大証券の一つである「山一証券」の倒産(1997年)、

北海道拓殖銀行の倒産がある。日本の護送船団方式の経済や終身雇用制の崩壊

となっていく。現在は「非正規雇用」が40%を占め、「格差社>会」に変質し

たことがなりよりも証明している。「一億総中流社会」と浮かれていたのが、

バブル崩壊以前の話しだ。にもかかわらず、「学校信仰」は変わっていない。

グローバル経済に取り残されているのが日本社会である。様々な分野で、

人材」が不足してるのが現実の日本だ。日本の教育を変える必要がある所以

だ。そのためには「受験教育」を変えなければならないと私は考えてきた。

一般的にはその意識が低く、何も変わらなかった。その結果が現在の人材不足

を招いているとの認識を持っている人がどのくらいいるだろうか。目先の結果

だけを見ていてはわかりようがない。最近の与党の政治家の体たらくを見てい

ても人材不足である。



 3月16日の毎日新聞での安西祐一郎氏(文科省専門家会議座長)のインタ

ビュー記事の見出しが、「記述式導入は教育改革」とあった。その記事の内容

を紹介したい。

記述式導入の狙いはとの問いに対して、「現在のセンター試験のような多岐選

択式の場合、問題の解き方は与えられた選択肢の中から正解を一つ見つける、

という方法になりがちです、すると勉強の仕方もそれに合わせた形になってし

まいます」

 現場で教えてきた人間からするとまさにその通りなのである。4つ選択肢か

ら2つの選択肢に変える学習スキルは簡単にできるようになる。私たちもその

方法を教えてきた。そのことによって高得点を取ることと学力が向上すること

とは違うのである。このことを理解しておかなければならないのである。

だれでもよい点数をとりたいと思う。そのためには、「傾向と対策」が必要と

なる。

私の過去を振り返ると、高校受験、大学受験と「一発勝負」であった。自分自

身で過去問を調べて対策を練ったことが事実である。ポイントを整理して学習

する方式だ。実に時間がかかることだ。既製品を使わずに自分で作るのだから。

必然的に自分なりの「ノウハウ」が出来上がる。それが自分の勉強方法になる。

教師になっても同じことが言える。自分の勉強スタイルで「試行錯誤」して学

んでいく。時間はかかるが教えられたものではなく、自分で学び取ったことに

なる。つまり「自得」したことになる。


「これから労働生産性が低迷し、グローバル化が進むなど厳しい時代を生きてい

くためには、主体性を持って問題に取り組み、文章を書いたり図を描いたりし

て自ら答えを見つける総合力が求められる。そうした力は『大学の個別入試で

みればいい』という指摘もあるが、国の共通テストでやることに意味がある」

と安西氏は語る。

私はこの考え方に全面的に賛成である。

 どのような効果が期待できるのかに対して、

「現在の高校の教育では、従来型の知識を詰め込む授業が主流です。少中学校

では、自ら課題を見つけ討論しながら解決策を浸透しつつ見いだすような授業

が浸透しつつありますが、高校では、まだまだという状況です。それには大学

入試が主に基礎知識問われるものになっていることが影響していると思います。

これからは「基礎知識」に加え、「思考力・判断力・表現力」「主体的に多様

な人々と協働して学ぶ態度」の3要素を評価する入学者選抜に転換する必要が

ある。記述式問題なら思考力や表現力を評価できます。すでに公表された問題

イメージを見てほしいが、例えば、あるテーマに関する1400字程度の新聞

記事を読んで自分の考えをまとめる、というような問題です。国の新テスト

で記述式問題を導入すれば、高校教育が変わることが期待できます。入試だけ

の改革ではなく、教育改革なのです」と語る。

 私も従来型の「詰め込み教育」から脱却すべきと考えている。「基礎知識」

は大事である。暗記型の学習ではいけないということだ。

思考力・判断力・表現力」を身につけなければならない。自分で読み、考え、

判断する力を養成することは、大学入試のためではない。人間として生きてい

くために必要な能力である。受動的学習では習得できない能力だ。アクティブ

ラーニングの名の通り、能動的・主体的学習なしには得られない能力である。

受信だけではなく、「発信」できる必要がある。私は特に、「日本語」と

「歴史」教育に重点を置くべきだと考える。また、すべての分野で基礎的知識

を学習させるべきだと考える。その上で、「人間としての在り方」を教える必

要がある。そのためには、「教育理念」が不可欠となる。道徳や倫理は教科書

で学習することではない。過去の偉大な人物の生き方を通して学び、物事の

」と「」を考えさせ、しっかりと教えることで、知識を覚えさせるよう

な学習をさせてはいけない。ましてやペイパーテストをやって評価してはいけ

ない。教師も生徒の活動から、記述の評価をすべきだと考えている。そのため

には、教師の事務的な仕事を削減する努力を、行政はしなければならない。

教育改革」は「教育行政改革」でなければならない。教育現場を優先する

教育行政でなければならない。教員の「多忙化問題」を解決する努力を望む。

教師も親も地域社会も、「進学実績」で学校評価をしている現実は変わらない。

高校が大学入試に左右されるのは無理もないことであり、生徒も同じである。

入試の中味を変えない限り、入試形態を変えるだけでは何も変わらないことが

過去の入試改革の歴史が証明している。

 記述式問題の採点の公平性については、

「そもそも大学入試を受けるまでの段階で公平なのか考えてほしいと思います、

家庭の所得格差が学歴格差の要因になっている。トップレベルの大学の入学者

には高所得層の家庭の子どもが多いという状況もあります。そうした中で、新

テストの記述式問題の採点部分だけを取り出して公平性を問うのは違和感を覚

えます。機会均等の面から入学者選抜や評価に関する公平性をとらえる必要が

あります」

 個別入試については、

大学には三つのポリシー(方針)を打ち出すことが義務づけられます。

① ディプロマポリシー(学位授与の方針)

② カリキュラムポリシー(」教育課程編成・実施方針)
 
③ アドミッションポリシー(入学者受け入れ方針)

ディプロマポリシーはその大学が、卒業段階で学生にこういう力をつけえほし

いという「公約」です。

大学には、アドミッションポリシーに基づき、多様な価値観からのきめ細かな

方法が求められます。

 きめ細かな入学者選抜によってさまざまな学生が入学してくるので、大学の

授業も、各学生が自分に合ったカリキュラムを組めるような方向に変えていく

のが望ましい。大事なことは、卒業生が社会でどんな人生を歩んでほしいかを

具体的に描き、それを実現できるような教育を実践し、その教育に堪えうる潜

在力を持つ入学者を選抜することです」と語っている。

 要するに、大学は「どのような人材を育てるのか」を具体的に示し、学生が

選択できる教育内容の質の向上が求められている。学生もどのような人生を歩

みたいのかを考えて、大学を選択すべきであり、ブランドで選んではいけない

ということになる。社会もブランドで大学を評価することを止め、出身大学を

記入する必要のない入社試験を行うべきだと思っている。脱学歴社会であり、

学力社会」へと転換すべきである。グローバル化した世界では、「人材」こ

そが財産である。高校も、大学も、社会も旧来の価値観を転換して、

人材育成」を重視する日本へと取り組むことが求められる時代を迎えている

との認識を持ってほしい。「人間の幸福」と「世界の平和」へと貢献する人材

育成が急務であると、私は考えている。