私は、昭和22(1947)年6月15日に生まれた。
所謂「団塊の世代」のトップバッターである。昭和22(1947)年から
昭和24(1949)年のベビーブームに生まれた世代だ。アメリカでは、
ベビーブーマーと呼ばれ、民主党大統領候補選に立候補しているヒラリー・
クリントン氏が同じ年齢だ。日本の団塊の世代は、競争世代であり、高度経済
成長からバブル景気、失われた20年のデフレ経済を経験している。
堺屋太一の小説から「団塊の世代」との言葉が定着した。そのまま英語に直訳する
と、「マス・ジェネレーション」になる。最も人口の多い世代だ。
日本社会に大きく貢献した世代も、大部分の人が退職している。高齢化社会の
ど真ん中にいる。
私が生まれた場所は、疎開先の千葉県松戸市と聞いている。生後半年間住ん
でいたと。子どもの頃から一度は松戸を訪れたいと思っていたが、実現しな
いまま現在に至っている。
その後、川崎市の武蔵新城に移り、昭和33(1958)年の夏まで過ごし
したのである。近くに野原があり、その奥に神社があった。私たち子どもの
遊び場だった。川崎市の住宅であったのだろう。木造の家で小さな庭があった。
道路も舗装されていなく、車も走っていなかった時代だ。家の庭、道路、空き
地で飛び回って遊んでいた。ベーゴマや缶ケリ、鬼ごっこをしてよく遊んだ。
貧しいがのびのびと遊んでいた。食べ物もあまりなく、白米のおにぎりがごち
そうである時代だ。「闇米」が行われていたことを記憶している。いくつの時か
は覚えていないが、今でも鮮烈な記憶として残っていることがある。
私の母の実家は埼玉県の羽生市にあり、農家であった。田舎へとお米をもら
いに行くときに、父親に連れていかれた。その田舎での唯一の楽しみは、「白米」
のおにぎりだった。お米が貴重な時代で、白米はごちそうだった。とても美味し
かった。おにぎりが美味しかったとの記憶は忘れていない。塩むすびで中に
何も入っていなかった。息子や孫には想像もつかないことだろう。
埼玉からの帰りの電車が大宮駅に停車した時に、警察が乗り込んできた。
ほとんどの人たちが逃げていった。私と父は大宮の警察へと連れていかれた。
もちろん話の内容はわからないが、どんな事態になっているのかは子ども心に
わかっていた。父は田舎からの帰りで、お米をもらてきたことを繰り返し説明
していたのだろう。闇米の取り締まりに遭遇してしまったのだ。皆が一斉に
逃げていく様子は今でもはっきりと記憶に残っている。5・6時間拘束された
ようだ。とても長く感じていた。
所謂「団塊の世代」のトップバッターである。昭和22(1947)年から
昭和24(1949)年のベビーブームに生まれた世代だ。アメリカでは、
ベビーブーマーと呼ばれ、民主党大統領候補選に立候補しているヒラリー・
クリントン氏が同じ年齢だ。日本の団塊の世代は、競争世代であり、高度経済
成長からバブル景気、失われた20年のデフレ経済を経験している。
堺屋太一の小説から「団塊の世代」との言葉が定着した。そのまま英語に直訳する
と、「マス・ジェネレーション」になる。最も人口の多い世代だ。
日本社会に大きく貢献した世代も、大部分の人が退職している。高齢化社会の
ど真ん中にいる。
私が生まれた場所は、疎開先の千葉県松戸市と聞いている。生後半年間住ん
でいたと。子どもの頃から一度は松戸を訪れたいと思っていたが、実現しな
いまま現在に至っている。
その後、川崎市の武蔵新城に移り、昭和33(1958)年の夏まで過ごし
したのである。近くに野原があり、その奥に神社があった。私たち子どもの
遊び場だった。川崎市の住宅であったのだろう。木造の家で小さな庭があった。
道路も舗装されていなく、車も走っていなかった時代だ。家の庭、道路、空き
地で飛び回って遊んでいた。ベーゴマや缶ケリ、鬼ごっこをしてよく遊んだ。
貧しいがのびのびと遊んでいた。食べ物もあまりなく、白米のおにぎりがごち
そうである時代だ。「闇米」が行われていたことを記憶している。いくつの時か
は覚えていないが、今でも鮮烈な記憶として残っていることがある。
私の母の実家は埼玉県の羽生市にあり、農家であった。田舎へとお米をもら
いに行くときに、父親に連れていかれた。その田舎での唯一の楽しみは、「白米」
のおにぎりだった。お米が貴重な時代で、白米はごちそうだった。とても美味し
かった。おにぎりが美味しかったとの記憶は忘れていない。塩むすびで中に
何も入っていなかった。息子や孫には想像もつかないことだろう。
埼玉からの帰りの電車が大宮駅に停車した時に、警察が乗り込んできた。
ほとんどの人たちが逃げていった。私と父は大宮の警察へと連れていかれた。
もちろん話の内容はわからないが、どんな事態になっているのかは子ども心に
わかっていた。父は田舎からの帰りで、お米をもらてきたことを繰り返し説明
していたのだろう。闇米の取り締まりに遭遇してしまったのだ。皆が一斉に
逃げていく様子は今でもはっきりと記憶に残っている。5・6時間拘束された
ようだ。とても長く感じていた。