私の孫は二人いる。男の子(翔)と女の子(煌)だ。長男の子どもだ。

二人とも元気で順調に育っている。長男が私の駐車場に、3階建てを新築し、

2011年4月から私の家の隣に住んでいる。そのために、孫たちは私たち

夫婦はいつでも家にいると思っているようだ。家を空けると、「どこへ行って

た?どうして」とよく言われる。

妻から聞いたのだが、「ババちがここにいなければ、俺はどうしたらいいのか

わからないよ」言ったそうだ。素直な気持ちを表現している。

長男は、2006(平成18)年4月1日に入籍した。翌年2007年12月

6日に、「初孫」が誕生した。長男はどんな名前をつけるのだろうかと考えた。

「翔」と命名した。実は私が考えていた名前と同じであった。大きく飛翔して

ほしいとの想いであった。同じ気持ちであったようだ。長男から命名した名を

聞いてやはりと思った。不思議なものだ。以心伝心とはこのことではないか。

翔は、両家の「希望」であった。初孫は女の子がいいと私は勝手に思っていた。

女の子を知らない故の願いであった。生まれてからはどちらでもよくなった。

W家では、お父さんが。男の子の誕生を楽しみにしていたようだ。お父さんは、

初孫が男の子であることをとても喜んでいた。「かわいいですね」と保育器の

中の翔をずっと長い時間見ていた。その様子を見て、こういうものかと思った

のだ。私とは全く違うようだった。嬉しい気持ちは同じだが、言動には私と大

きな違いがあった。その後の翔との接し方も全く違っている。Wのお父さんは、

翔がかわいくてたまらないようで、実に「甘い」ということになる。猫かわい

がりなのだ。おそらく翔の言うことは何でも喜んで聞いたであろうと想像する。

私は、甘やかさないようしてきたつもりだが、もちろんかわいいことには違い

ない。思いだすエピソードがある。隣に引っ越してくる前は、すぐ近くのコー

ポに住んでいた。私の家によく連れてきた。翔はいつも勝手口(少し近い)か

ら入れられていた。そこからの景色が定着していた。ある時、長男が玄関から

連れて入って来た時に、初めての家に来たように感じたようだ。居間に来ると

同じ景色だった。不思議な顔をしていたのが印象に残っている。とにかく顔だ

ちが「かわいい」との言葉がふさわしい子だった。ジジ馬鹿であろうが。

私の長男の小さい頃とよく似ていた。長男は女の子と間違えられたようだ。

親馬鹿ながらかわいいと思っていた。長男は下田で生まれた。1歳くらいで歩き

だした。その時の様子が私の脳裏に焼き付いている。かわいい子だった。

当然であるが今からはとても想像できない。長男の写真を、友のF君が撮ってく

れて引き延ばしてくれたモノクロの写真が私の部屋の本棚に飾ってある。

これがパパの小さい頃の写真だよと説明してあげたが、数年たってからは、

「俺の写真」だと思い込んでいるのだ。この写真は私にとっても思い出がある。

海岸の名前は忘れてしまったが、1歳過ぎの写真でF君が一緒に来て撮ってく

れた貴重な写真だ。28×23のパネル2枚だ。F君との付き合いはずっと続

いている。大事な友であり、友の大切な作品だ。

W家ではお母さんが保育士の現役で働いているので、子どものことは専門家だ。

その家でも好きなように振る舞っている。自宅でも、W家でも、私の家もすべ

て「俺の家」と思っている。翔の天下である。怖いものはない。

2013年の3月に、あまりにもわがままを言って騒いでいるので、私の我慢

の限界を超えた。初めて厳しく叱りつけて、きちんと座らせて謝らせた。泣き

ながら「ごめんなさい」と言った。妻がフォローしてくれていた。しばらく私を

避けていた。私はそれを承知で怒ったのだ。祖父が孫を叱りつけることはない

ことだ。翔は何事か思いながら小さくなっていた。妻からは怒りすぎだと言わ

われた。最初で最後のつもりだった。それ以降、注意することはあるが、怒っ

たことはない。

 私は自分の子どもに対して厳しかった。私が慣れてなかった故であるが、特に長

男には厳しく言った。子どもの全ての情報を妻から聞いていた。普段は、妻に

任せていた。私は外での仕事、妻は家のことすべてとの役割分担をしていた。

妻には家にいて働いてほしくなかった。そういうタイプを私は配偶者として

選んだ。寂しさは人一倍わかる人間だと思っている。私は9歳の誕生日の翌日

の未明に生母を亡くしている。その思いは今でも強烈にに残っている。母親の

笑顔を知らない私だ。それだけが残念だ。今でも「母に会いたい」との気持ち

は強い。母のこと思うと自然に涙が出てくる

私の子どもには、「寂しい思い」だけはさせたくないとの気持ちが強かった。

教育と言っても、根底は「愛情」だ。愛情がなければ、何を言っても嘘になる。

次は「責任」だ。親の責任を自覚することが大事だ。他人の責任にする物の

考え方は間違っている。成人するまでは、子どもに対する「全責任」が親にあ

る。そういう気持ちで子どもを育ててきた。教育方針は「自立・自律」である。

これは普遍的概念であると思っている。私の自立心は、母を亡くした時についた。

したがって、私には所謂「反抗期」はなかったが、父親が「半面教師」であった。

父親にどれほどかわいがってもらったかはよくわかっている。十分「愛情」は

受けている。真っすぐな心で育った。私自身が「努力」したことである。私の

世代は父親に物を言えなかったのだ。今の時代とは違う。後で煌のことを書くが、

孫の煌は、私に対して、「ジジは食べ残している。食後の片づけをしない」

と怒るのだ。私に怒れるのは煌だけだ。妻が言っても無視できるが、煌が言う

ことは無視できない。「わかったよ」と答えている。時代は大きく変化している。

時代の変化に流されないように、その流れに乗っていくように努力したいと

思う昨今である。



翔のエピソードを書き残しておきたい。本人も忘れているので。5歳くらいの時

だとの記憶だが、はっきりはしていない。

翔は母親の胎内のエコー写真を見て、「僕はこの写真が好きなんだよ。泣けて

くるんだよ。この人がパパで、この人がママで、この人がジジで、この人がババ

だと知っていたんだよ」との言葉を聞いて、ものすごく感動した。胎内ですでに

認識しているということだ。「胎教」が大切であることを物語る話しだ。子ども

の持つ「感性」は本当に素晴らしいことを教えられた。

 もう一つのエピソードを書いて置く。翔が保育園の年中組の発表会の時のこと

だ。翔は縄跳びが出来なくて、朝から気持ちが沈んでいた。外で縄跳びの発表の

時に、座り込んだままだった。そのうちに泣き出してしまった。ずっと引きずっ

ていた。中での発表の前に、飛べなかった子は、拭き掃除をさせられた。翔は

頑として拒んで泣いていた。どうなるのかと家族は心配だった。発表会では泣き

止んでなんとか無事に終わった。「よく頑張ったね」と妻は翔に言った。翌日か

ら縄跳びの特訓が行われた。コツさえわかればできる。それがわかったようだ。

翔は、物事をやるのに、人の様子を見ていて、できそうかどうかを判断する。

できそうにないと思うとやらない性格の子だ。慎重すぎる。やってみてできなけ

れば練習すればいいだけだ。

現在は、プールに通って水泳の練習をしている。泳げるようになったらやめる

つもりでいるようだ。一番やりたいことは野球のようだ。3世代にわたる野球好き

になった。少年野球チームに誘われ、「自分の意志」で選んだと聞いている。

土日、休日は野球漬けになっている。長男がキャッチボールの相手をし教えている。

私も一度キャッチボールの相手をしたが、だいぶ上達している。昨日も2階から

長男と翔のキャッチボールを見ていた。投げる時の足の使い方ができていないので、

家に来た時に、翔に言ったら、同じことをパパから言われたと言っていた。

所属チームが優勝して県大会出場が決まって、夜は祝勝会へと出かけた。

あと1年もすれば、選手として出られると私は思っている。自分で選んだことだ。

応援していきたい。親子が果たせなかった夢を実現してくれることを願う。



煌は、平成22年2月22日生まれだ。6歳になり、今月卒園式で、来月小学校の

入学式だ。両方に出席すると言ったら、妻に止められた。翔の時にしなかったのだ

から不公平になると言われ、「そうだな」と思い直した。体調が良いので、こんな

気持ちになったのだろう。せっかくスーツにネクタイと考えたのだが、やむをえな

い。私は煌には甘いと妻にいわれるが、そうかもしれない。女の子を育てたことが

ないのでわからないが、女の子がほしいと思っていたことは確かだ。逆に妻は

女の子がいなくてよかったかもと言っている。同性だと張りあって口喧嘩になると

言っている。その辺りのことは私の理解を超えている。男同士とは違うということだ。

私の家では、男同士で話すことは稀である。子どものころからそうである。妻を

通して話しを聞くことがほとんどと言ってもいい。大事なことは、それを聞いて

決断する。最終決定は本人に任せる。それが私の教育方針だ。長男とじっくり

話したのは、2002年11月30日で、徹夜で話しをしてしまった。深夜の2時

頃に話しをやめようと思ったが、いい機会だから、妻には内緒で男同士の話しを

しようといい、朝まで話しをしようとなった。次男が同じ場所にいなかったのが

残念だった。私はこの時のことをよく覚えている。私の精神状態が現在と同じよう

だったからだ。私の性格というか特徴がよく表れている。

煌の話しに戻すと、生まれた時の周りの反応が翔の時とは明らかに違っていた。

二人目なので、扱いも軽くなっている。煌はなにかと「にいに(翔)」と違うこと

に怒っている。写真にしても、「にいにのはたくさんあるのに私のは少ない」と言う。

確かにその通りである。2番目は損をしているとも言えるだろう。

煌は何かと翔の真似をし、張り合っている。負けず嫌いな性格だ。負けると悔しがり

方がものすごい。泣き方もものすごい。うるさくてしょうがない。でも翔のそばに

行って遊んでもらおうとする。翔はめんどくさがって、喧嘩になる。妻は二人を

預かると本当に大変だと言う。片方が右と言えば、片方が左という。両方とも

譲らない。私は自分の部屋に入っている。「また始まったな」と思っているが、

相手をしようとは思わない。すべて妻が相手をし、対処している。あと何年でも

ないだろうし、面倒をみることができるのも今のうちと、たかをくくっているようだ。

やはり女は強い。妻は芯が強い。私とは違う。私は弱い人間だ。ちょうどバランスが

とれている。煌も実にきつい性格だ。Wのお母さんもそう言っていると妻から聞いた。

同年代の子を扱ているので、比較ができる。私も高校生ならわかる。多くの生徒を

見てきているので。女の子の共通した特徴は感情的で、好き嫌いがはっきりしている。

これは年齢に関係ない特性である。女子高校で充分に経験させられた。嫌われたら

駄目だ。この一点に気をつけなければならない。私の孫も同じだ。煌は私に対して

注意する。とても生意気だ。でも相手をしてほしくてそばへくる。「こちょこちょして」

と言い、くすぐってあげると喜んでいる。そういう気分でない時に、くすぐって

かまうと怒っている。最近私が2階にいることが多い。パソコンに向かってブログを

書いているからだ。2階へと静かに上がって来る。

一つエピソードを書いて置く。今年の誕生日前のことである。誕生日のプレゼントに、

しかけえほんのサファリと女の子の好むストリーの本に英単語が入っているのを選んで

買ってあげた。それを見て、2階へと上がって来た。私のそばにくっついてきた。

煌へプレゼントの中身の話しをした。「ジジは高校の英語の先生だった」と話した。

この言葉が通じるはずがないので、説明してあげた。黙って聞いていたが、戻る時に、

「エイ、ビー、シー」と言ったので、「ジジが発音してあげるから聞いてな」と

言って、アルファベットを英語で発音した。今の子どもは教育番組で英語を聞いている。

私が最後に、「バーイ」と声をかけた。「英語みたい」と言ってニコニコしながら階段

を下りて行き「ながいなあー」と言っていた。いつか英語の発音を教えることになるだろ

と思っている。その布石を打っておいたのだ。私は、コミュニケーションは得意では

ないが、発音には自信がある。



二人の孫たちの時代は、私の世代の時代とは全く違う時代に生きることになる。AIが

学ぶ時代になっている。「人間とは何か」が問われる時代になるだう。

しかし、人間として学ぶ「基礎・基本」は変わらない。土台をしっかり作って、自分

らしく世界へと羽ばたいてほしいと願っている。

このブログは愛する孫へのメッセージなのだ。