私たちが、無意識で使っている「言葉」の持つ「意味」を考えたことがある
だろうか。
「幸せ」「平和」はすべての人の願いである。すべての人が口にする言葉であ
る。この言葉の持つ「意味」を深く考えたことがあるだろうか。そうすると、
「難しい」となって、それ以上進まなくなるのではないか。人によっては、
そのことを考えるために、本を読むことになるであろう。しかし、本を読んで
も正解は出てこない。著者がわかっていないのだから無理もない。
私も何冊かは読んだ。学ぶことはたくさんある。自分の身に充てると、答え
が出ない。「幸せ」・「幸福」は、「生き方」に関わってくることだ。ひとり
一人違うのだ。ひと言で言えば、幸福とは「生きる喜び」である。その喜びの
「価値」を何に見出すかがポイントである。お金や、地位や、名声に価値を
求める人生には「幸福」はない。「自身を向上させる心」の中にあるのだ。
今、私が追求しているのは、人生の経験にてらしながら、「自身の心の改革」
をすることにある。これが私の人生の「集大成」である。「生老病死」の
「死苦」に挑んでいるのである。人生の最後に、「生まれてきてよかった」と
自身に言える人生が「幸福」ではないだろうか。
「平和」に関して言うならば、平和を口にすることは誰にでもできる。
大統領候補選出が全米の話題であるが、ドナルド・トランプのような人間を
リーダーにしてはならない。彼の発言は、ナチスドイツのヒットラーと変わら
ない。アメリカの良識を疑ってしまう。クレージーだ。メディアも危機感を抱
いて報道している。民主主義の時代を逆行させるような発言を堂々としている。
その背景に、「貧困・格差」の問題がある。白人の「優越意識」があることを見
逃してはならない。
昨年、安全保障論議がなされ、安全保障法案が可決した。シールズのような
若者が、政治行動に出ることは大歓迎である。若者が政治に関心をもってもら
いたいと願う一人の人間である。私のような「団塊の世代」は学生運動を経験
している。シールズの気持ちは十分理解できる。しかし、考えて欲しい。
「戦争反対!」とだけ叫んでいれば、戦争はなくなるのか。共産党のような非
現実的イデオロギーに踊らされてはいけない。憲法学者が憲法違反と言うこと
は自由だ。しかし、日本国憲法だけで、日本の安全保障になるわけではない。
「立憲主義国家」にとって、日本国憲法は根幹である。私は「護憲派」のスタ
ンスだが、「専守防衛」を強化することは賛成している。理想と政治は違うと
の認識が必要だ。「外交」が大事であることは言うまでもない。
二度と戦争をおこさないために、国民はどうやって平和運動を行うべきかとい
う問題になる。端的に言うと、「文化」「教育」であり、「対話」であると
私は考えている。人の「異文化交流」を進めていくことにある。人間の
「多様性」を認めることである。「教育」は人を育ってるという原点に戻る
べきだ。日本の教育は、旧来の価値観を捨てるべきだ。つまり教育は知識を詰
め込むことではない。知識を学ぶことで、自分で物事を考え、判断する力及び
「人としてのあり方」(倫理)を教えるべきなのだ。明治以来の欧米に追いつくた
めの受験教育から脱却すべきだ。
大学入試制度改革に着手したことは評価したい。「アクティブラーニング」は
大賛成である。「道徳教育」導入はよいが、余分な教科書はいらない。道徳を
知識として教えることに何の意味もない。文科省の官僚は、そのことがわかっ
ていない。現場の教員もマニュアルがなければ教えられないと言うが、そこに
こそ本質的な誤りがあることを指摘したい。これからの時代は、「人間の生き方」
が問われている。「知識」は大事であるが、「知恵」にまで高めていかなけれ
ばならないと考えている。「基礎・基本」は徹底的に教えるべきだ。それが
土台(基礎)の部分である。土台さえしっかりしていれば、どんな建物でも立
つ。地震にも耐えうる建物を建てることができる。その建物を経てるのは、
ひとり一人の人間である。そこにこそ「多様な文化」が存在する。
英語では、「文化」はカルチャー(culture)である。語原は、cultivate
(耕す)と同じである。元来は土地を耕すの意味から、拡大すると、人間の
精神(心)を耕すことになる。その人間が築いたものが「文化」である。
カルチャーには、「教養」の意味もある。深く味わう必要がある言葉だ。
教育は、英語では education である。その動詞の educate はラテン語で、
(その人の持っている能力を)導き出すの意味だ。ここにこそ、教育の根本的
意義があると言える。誤解してほしくないから重ねて言う。私は知識は大事だ
と考えているが、知識に留まるようでは駄目だと言っているのだ。それ故に、
「知識偏重教育」を批判している。「知恵の文化」が求められる。
*
私の師の言葉を引用する。
文化とは「文をもって化す」ことであり、人間の心を耕す作業といってよい。
暴力や権力、金力といった人間を脅かす外からの力に抗して、人間性の勝利を
もたらす力である。
人間生命の改革を基盤に、野蛮を平和へと転じて、社会の繁栄をめざす広宣
流布の運動(布教活動)こそ、文化の最先端を行くものにほかならない。
そのためにも、人材の育成に力を注ぎ、数多(あまた)の逸材を育てること
が大切になる。
では、人材育成の「要諦」とは何か。
それは、リーダーが「成長」し続けることだ。人は「触発」があってこそ
奮起する。「触発」をもたらすには、日々、自分が「成長」していかなければ
ならない。+注)(~)と「~」は、私がしたこと。
*
教育は、「共育」と言える。教師と生徒が互いに触発し合いながら、共に学
んでいく。立場は違うが、教師の「精神」のあり方を言う。教員との違いで
ある。教師・医師・看護師は、時間で区切ることはできない職務である。だか
らこそ、「師」の言葉がついている。他にも「先生」と呼ばれる人たちがいる。
例えば、政治家だ。今の政治家の「資質」が問題になっているが、「先生」と
呼ばれる「責任」の重さを自覚しなければならない。私は、政治家を先生と呼
ぶことは絶対にあり得ない。毎日新聞の投稿欄で、日本の政治 今は三流以下」
の意見があり、今日の投稿に、「全くその通りで、政治家の自己本位」を指摘
していた。同感である。
私は、同僚の教員に対しても、先生とは言わなかったのだ。私の持つプライド
がさせたのだが。心から尊敬している人には「~先生」と常に呼んでいる。
私が直接会った人の中で、「先生」と呼ぶのは二人だけである。このことはす
でに、ブログで書いている。教員も「資質」が問われているのだ。医師も看護師も
そうだ。
私が体験した例を出す。ある耳鼻科の女医にセカンドオピニオンを求めた。
その女医は90%医療的に問題ないと言った。体調が落ちた時に、再びその
女医に見てもらった。その時に、その女医は、「あなたの言葉が私のストレス
になる」と言ったので、「あなたには、医師の資格がない」と喉から手が出か
かったが、やめて帰ってきた。私は生徒に、「お前の言葉がストレスになる」
と言ったら、生徒はどんな気持ちになるだろうかは、簡単に想像ができる。
そう思う時点で、教師の資格はないということだ。私は生徒の言葉にストレス
という言葉さえ浮かばない。今の教員は、親の言葉がストレスになって、
うつ状態になったり、うつ病になると聞く。モンスターペアレントである。
本当に大変だと思う。私は一度経験しているからよくわかる。およそ30年
前からでてきた現象である。
*
「幸福」「平和」「文化」「教育」との言葉は簡単に使われているが、突き詰
めると、実に難しくしっかりと取り組むべき問題が内在している。
あえて結論すると、「人間の生き方」の問題にいきつくことになる。
だろうか。
「幸せ」「平和」はすべての人の願いである。すべての人が口にする言葉であ
る。この言葉の持つ「意味」を深く考えたことがあるだろうか。そうすると、
「難しい」となって、それ以上進まなくなるのではないか。人によっては、
そのことを考えるために、本を読むことになるであろう。しかし、本を読んで
も正解は出てこない。著者がわかっていないのだから無理もない。
私も何冊かは読んだ。学ぶことはたくさんある。自分の身に充てると、答え
が出ない。「幸せ」・「幸福」は、「生き方」に関わってくることだ。ひとり
一人違うのだ。ひと言で言えば、幸福とは「生きる喜び」である。その喜びの
「価値」を何に見出すかがポイントである。お金や、地位や、名声に価値を
求める人生には「幸福」はない。「自身を向上させる心」の中にあるのだ。
今、私が追求しているのは、人生の経験にてらしながら、「自身の心の改革」
をすることにある。これが私の人生の「集大成」である。「生老病死」の
「死苦」に挑んでいるのである。人生の最後に、「生まれてきてよかった」と
自身に言える人生が「幸福」ではないだろうか。
「平和」に関して言うならば、平和を口にすることは誰にでもできる。
大統領候補選出が全米の話題であるが、ドナルド・トランプのような人間を
リーダーにしてはならない。彼の発言は、ナチスドイツのヒットラーと変わら
ない。アメリカの良識を疑ってしまう。クレージーだ。メディアも危機感を抱
いて報道している。民主主義の時代を逆行させるような発言を堂々としている。
その背景に、「貧困・格差」の問題がある。白人の「優越意識」があることを見
逃してはならない。
昨年、安全保障論議がなされ、安全保障法案が可決した。シールズのような
若者が、政治行動に出ることは大歓迎である。若者が政治に関心をもってもら
いたいと願う一人の人間である。私のような「団塊の世代」は学生運動を経験
している。シールズの気持ちは十分理解できる。しかし、考えて欲しい。
「戦争反対!」とだけ叫んでいれば、戦争はなくなるのか。共産党のような非
現実的イデオロギーに踊らされてはいけない。憲法学者が憲法違反と言うこと
は自由だ。しかし、日本国憲法だけで、日本の安全保障になるわけではない。
「立憲主義国家」にとって、日本国憲法は根幹である。私は「護憲派」のスタ
ンスだが、「専守防衛」を強化することは賛成している。理想と政治は違うと
の認識が必要だ。「外交」が大事であることは言うまでもない。
二度と戦争をおこさないために、国民はどうやって平和運動を行うべきかとい
う問題になる。端的に言うと、「文化」「教育」であり、「対話」であると
私は考えている。人の「異文化交流」を進めていくことにある。人間の
「多様性」を認めることである。「教育」は人を育ってるという原点に戻る
べきだ。日本の教育は、旧来の価値観を捨てるべきだ。つまり教育は知識を詰
め込むことではない。知識を学ぶことで、自分で物事を考え、判断する力及び
「人としてのあり方」(倫理)を教えるべきなのだ。明治以来の欧米に追いつくた
めの受験教育から脱却すべきだ。
大学入試制度改革に着手したことは評価したい。「アクティブラーニング」は
大賛成である。「道徳教育」導入はよいが、余分な教科書はいらない。道徳を
知識として教えることに何の意味もない。文科省の官僚は、そのことがわかっ
ていない。現場の教員もマニュアルがなければ教えられないと言うが、そこに
こそ本質的な誤りがあることを指摘したい。これからの時代は、「人間の生き方」
が問われている。「知識」は大事であるが、「知恵」にまで高めていかなけれ
ばならないと考えている。「基礎・基本」は徹底的に教えるべきだ。それが
土台(基礎)の部分である。土台さえしっかりしていれば、どんな建物でも立
つ。地震にも耐えうる建物を建てることができる。その建物を経てるのは、
ひとり一人の人間である。そこにこそ「多様な文化」が存在する。
英語では、「文化」はカルチャー(culture)である。語原は、cultivate
(耕す)と同じである。元来は土地を耕すの意味から、拡大すると、人間の
精神(心)を耕すことになる。その人間が築いたものが「文化」である。
カルチャーには、「教養」の意味もある。深く味わう必要がある言葉だ。
教育は、英語では education である。その動詞の educate はラテン語で、
(その人の持っている能力を)導き出すの意味だ。ここにこそ、教育の根本的
意義があると言える。誤解してほしくないから重ねて言う。私は知識は大事だ
と考えているが、知識に留まるようでは駄目だと言っているのだ。それ故に、
「知識偏重教育」を批判している。「知恵の文化」が求められる。
*
私の師の言葉を引用する。
文化とは「文をもって化す」ことであり、人間の心を耕す作業といってよい。
暴力や権力、金力といった人間を脅かす外からの力に抗して、人間性の勝利を
もたらす力である。
人間生命の改革を基盤に、野蛮を平和へと転じて、社会の繁栄をめざす広宣
流布の運動(布教活動)こそ、文化の最先端を行くものにほかならない。
そのためにも、人材の育成に力を注ぎ、数多(あまた)の逸材を育てること
が大切になる。
では、人材育成の「要諦」とは何か。
それは、リーダーが「成長」し続けることだ。人は「触発」があってこそ
奮起する。「触発」をもたらすには、日々、自分が「成長」していかなければ
ならない。+注)(~)と「~」は、私がしたこと。
*
教育は、「共育」と言える。教師と生徒が互いに触発し合いながら、共に学
んでいく。立場は違うが、教師の「精神」のあり方を言う。教員との違いで
ある。教師・医師・看護師は、時間で区切ることはできない職務である。だか
らこそ、「師」の言葉がついている。他にも「先生」と呼ばれる人たちがいる。
例えば、政治家だ。今の政治家の「資質」が問題になっているが、「先生」と
呼ばれる「責任」の重さを自覚しなければならない。私は、政治家を先生と呼
ぶことは絶対にあり得ない。毎日新聞の投稿欄で、日本の政治 今は三流以下」
の意見があり、今日の投稿に、「全くその通りで、政治家の自己本位」を指摘
していた。同感である。
私は、同僚の教員に対しても、先生とは言わなかったのだ。私の持つプライド
がさせたのだが。心から尊敬している人には「~先生」と常に呼んでいる。
私が直接会った人の中で、「先生」と呼ぶのは二人だけである。このことはす
でに、ブログで書いている。教員も「資質」が問われているのだ。医師も看護師も
そうだ。
私が体験した例を出す。ある耳鼻科の女医にセカンドオピニオンを求めた。
その女医は90%医療的に問題ないと言った。体調が落ちた時に、再びその
女医に見てもらった。その時に、その女医は、「あなたの言葉が私のストレス
になる」と言ったので、「あなたには、医師の資格がない」と喉から手が出か
かったが、やめて帰ってきた。私は生徒に、「お前の言葉がストレスになる」
と言ったら、生徒はどんな気持ちになるだろうかは、簡単に想像ができる。
そう思う時点で、教師の資格はないということだ。私は生徒の言葉にストレス
という言葉さえ浮かばない。今の教員は、親の言葉がストレスになって、
うつ状態になったり、うつ病になると聞く。モンスターペアレントである。
本当に大変だと思う。私は一度経験しているからよくわかる。およそ30年
前からでてきた現象である。
*
「幸福」「平和」「文化」「教育」との言葉は簡単に使われているが、突き詰
めると、実に難しくしっかりと取り組むべき問題が内在している。
あえて結論すると、「人間の生き方」の問題にいきつくことになる。