2014年8月15日にブログを開設して1年半が経過した。

「ブログ」とはどういうものかを知らずに入ってしまった。

「weblog 」と知ったのは後からだ。「ウエブ上の記録」という意味だ。

写真を添えた日記のようなものが多いことがわかってきた。アフリエイト

の要素が強い。サイトも宣伝効果を望んでいる。広告ビジネスである。

タレントや有名人ならば、それでいいだろう。ファンが見てくれている。

また反応もしてくれる。私のような誰も知らないような人間が、ブログを

書き始め、今まで続けてきた。一度「出発点」に戻ってみようと思った。

私の「出発点」とは何だろうか。ブログを書く「動機・目的」ということ

になる。

 私の基本の「スタンス」は、他の人がやっていないであろうこと。

オンリーワン」を目指して、「自分らしく、正直に」文章に綴ることだ。

そういう気持ちを「本音」で書き、公開してきた。私にとっては、「発信」

の居場所を得たことになる。読んでもらえる人の顔は見えない。

自分の歩んできた「人生」を振り返って「記録」として残して置きたい

との想いが強くある。所謂「自分史」である。将来、私の孫の目に触れる

期待を抱いている。本として残さなくても、「クラウド」に残すことがで

きる時代だ。パソコンの OneDrive (マイクロソフト)に保存できること

を知った。孫が将来アクセスして、祖父がどんな人生を歩み、どのような

生き方をして、どんな考え方をしていたかを知る機会があるかもしれない。

 時代の流れは、「コンピューター革命」の時代と言える。「情報化社会」

と呼ばれているが、一つの情報が一瞬にして世界を駆け巡る状況になって

いる。「情報化世界」という言葉のほうが適切だと私は思っている。

それ故に、「地球規模」で物事を考えられる人間が求められている。

世界規模の経済となり、一国の経済問題ではすまない。環境問題も同じこ

とである。地球規模で解決していかなければ、人類の滅亡になりかねない。

一方、北朝鮮問題、世界の火薬庫と言われる中東問題(紛争が絶えない)、

残虐非道なイスラム国問題、後進国のこどもの貧困問題等いろいろな問題

が山積している。日本の教育の世界では、「いじめ」の問題が深刻化して

いる。社会でも残忍非道な犯罪が増えている。「人間の」が濁り歪んで

いる。このことが「元凶」と見る。

 科学の進歩による「宇宙」への夢が実現するような時代にもなっている。

希望」と「悲惨」が入り混じる世界だ。悪の力も強くなっている。善と

悪との壮絶な戦いである。その本質は「人間自身」の中にある。あらゆる

人間の持つ「善性」と「悪性」にある。このことにどのくらいの人が気づ

いているのだろうか。「倫理・哲学不在」の時代とも言える。人類を救済

できる「宗教」の存在が必要な時代を迎えている。

科学技術」がどんなに進んでも、「精神文化」が衰退すれば「人間の幸せ

はない。人間の目的は「幸福」であり、「世界の平和」であるはずだ。

智慧の文化」を構築しなければならない。「平和」「教育」「文化」が

大きな柱とならなければならない。日本の教育も大きな転換期になっている。

アクティブラーニング」の導入である。AI(人工知能)は「ディープ

ラーニング」だ。人間対ロボットが競争する時代になった。AIは人間が

創りだしたものである。教育における「アクティブラーニング」とは何か。

ひと言で表せば、「表現力」であり、「発信力」である。自分で学び、

思考を重ね、自分の言葉で表現する「能動的学習」である。従来の受動の

知識による「記憶学習」からの転換となる。記憶力ではコンピューターには

及ばない。コンピューターが学習する時代だ。最近では、コンピューターが

プロの囲碁棋士に勝ったことが報道された。私は、囲碁では人間に追いつか

ないと、かつては思っていた。その考えが崩された。囲碁は宇宙に匹敵する

ゲームの世界で、人間が生み出した最高のゲームだと思っている。最近では、

プロ棋士にAIが勝つには、あと10年はかかるだろうと思われていた。

近いうちに、世界のトップクラスの棋士との対戦が予定されている。注目し

ている。このように、私たちは、時代の「大転換期」に生きている。

 私たちは、次の時代の後継者を養成し、「平和」と「文化」を伝えていか

なければならない責任を負っている。人間は一人一人違う。文化も同じで

ある。文化は人間が生み出した知恵とも言える。「人権」の尊重が重視され

ているように、「多様な文化」を尊重すべきである。排除の論理であっては

ならない。「調和」の論理が求められている。そのためにも、「教育」が

肝要なのである。

 今の私にできることは、学びながら、自分で考えて整理して、自分の

意見」を「発信」することだと考えている。私にできることは小さいが、

一人一人の「意識」が変われば、良い方向に向かうことができると信じたい。

私が発信できる居場所が「ブログ」という方法だ。目指す目的のための手段

であり、方法でもある。私に知名度と文才があれば、出版という方法が考え

られるが、その両方とも持ち合わせていない。私のブログの目的は、「記録

と「発信」ということになる。したがって、「私の人生の記憶」の不足部分

内面)を補い、余分なことをカットして整理したいということだ。

もちろん大部分は変わることはない。読みやすくしたいとの想いである。

自ら書いたものを読み返して、書き直すという「トライアル」だ。