自分の「性格」について、「正確」に書ける人はあまりいないだろう。
自己を客観的に見ることができなければならない。人は、往々にして自己中心
的な存在である。他人のことを知ろうとした時に、自分を規準に見てしまう。
自分の「好み」や「見た目」から入ると言ってもいいだろう。その人と話しを
してみると最初の印象が変わることが多い。私は「見た目」がとっつきにくい
ことは、若い頃からよく言われていた。見た目の印象で、私と話すのを避けた
生徒はどのくらいるのかは想像できない。妻の第一印象には、とっつきにくい
ということはなかったようだ。結婚してから、妻は私ほどわかりやすい人は
いないと言う。
*
30代前後の頃に女子高で教えていた時に、忘れられないエピソードがある。
「私の人生の記憶」で書いてあることだが、K・Hには、私の印象が非常に悪
く入学の面接(私が直接面接はしてないと思うが)の時から、「この先生には
教わりたくない」と思ったようだ。怖いとの印象を持っていたと、後で直接聞
いた。この生徒の思惑と違って、英語の授業に来たのは私だった。「いやだな」
との思いを引きずって授業を受けていたのだろう。彼女にとって英語の時間は
さぞ苦痛だったと想像する。彼女の英語の学習にも影響を与えていたのではな
いか。中間試験の結果が悪かった。当時私は3クラス18時間の授業を持って
いた。正確には記憶していないが、30点以下の生徒を放課後集めて補習授業
をやった。人数にして20人くらいとの記憶だ。彼女は、補習で私に対する
印象が180度変わったようだ。「怖い先生」から「おもしろい先生」へと。
何がそうさせたのかはわからないが、ここまでの例はないが、見た目と話した
印象が違うとは、多くの生徒から言われている。簡単に言うと、「とっつきに
くい」ということだ。私の持つ醸し出す雰囲気が原因なのだが。私は初対面で
の印象ではずいぶん損をしてきた。歳とともにだいぶ変わってきてはいる。
*
昨日、大学時代の親友と電話連絡が取れて、近況を話したら、相川は真面目
だからと言っていた。そいつにしても真面目だが、物事を割り切れる性格で行
動力のあるタイプで、私の対極に位置すると言えるかもしれない。でも私は彼
という人物が好きである。自分にないものを持っているからだが、お互いさま
かもしれない。信頼の厚い親友だ。お互いに元気なことがわかり安心している。
これからはメールでやり取りすることにした。連絡が取れなかったのは、
携帯が変わっていたからだが。葉書を書いて連絡を取り、Cメールで「Oです」
でわかったが、Cメールの開き方がわからないので、23日に携帯ショップに
立ち寄った。それで携帯の番号がわかった。代えた時に、教えてくれればすむ
ことだったのにとは思った。忙しく飛び回っているから忘れていたのだろう。
今回はメールアドレスを教え合い、お互いにメールで「届いた?」との確認ま
でしている。
*
私の性格は真面目だが、考え方の柔軟性と自分の判断力を持っている。弱点
は、「世渡りが下手」だと言うことだ。性格は「頑固」である。自分の主張を
曲げないが、人の意見はしっかり聞く耳を持っている。親友のKは「相川は話
しをよく聞くから、お年寄り(義母)は喜ぶだろうよ」との言葉(3年前)は
よく覚えている。
*
K・Hは、私の教員生活で一番多く話しをした生徒である。退職してからそ
う思うのだから間違いはない。よく話しをした生徒は数多くいた。でも彼女に
は及ばない。今でも毎年必ず年賀状に近況を添えてくれる。かつての顔が浮か
ぶ。そのような教え子は少なからずいるのだが。
*
昨夜のブログに書いたIさんの言葉だが、「共有感」との言葉が、ブログを
書いている時に、でてこなかった。私の好きなことばであるのに。私の流れの
揺れと書いたが、「共有感」との言葉で、それがあるかどうかで離れていくと
いうことを言いたかったのだ。話題がそれるのは「持ち味」でもあるとも言って
いた。まさにその通りなのだ。場面の転換は説明するよりは、*を使えば簡単
だと教わった。実際に彼が書いたエッセーはそうなっていた。こうすると場面
が変わることに違和感を抱くことはない。「こうするものなの?」と聞くと、
自分のやり方だと言った。利用させてもらうことにした。
*
Iさんの得意分野は、短歌であり、古典、歴史に造詣が深い。
私が知っている場所のことを書いた彼のエッセーを一部「引用」する。
*
私が勤務している高校は、富士山の裾野に広がる愛鷹山麓に位置し、伊豆の
山脈や駿河湾を眼下に望む丘陵地帯にある。そこから二キロほど上がると山の
中に忽然として美術館が現れる。ビュッフェ美術館である。建物を含め全体の
空間構成が気に入っている。特に冬がよい。平日はほとんど客足がないのがよい。
私は昼時麓に下りて、埃っぽい国道沿いに建っているハンバーガー屋に寄る。
けばけばとして安直なたたずまいや、都会と同じ店員の制服が妙に田舎じみて
見えるのが気に入っている。平日半額のチーズバーガーを買い、山の中に引き
返して、閑散とした公園の駐車場に車を置き、落葉の匂いを楽しみながら美術
館に向かう。彫刻の点在する小道を進むと左手に野外劇場が現れ細長い広場に
出る。
美術館の正面右手に洒落たラウンジがある。庭に向かっている面は全面ガラス
張で温室のような雰囲気もある。美術館が閉鎖的で巨大なコンクリートのオブ
ジェになっているのに対して、こちらは開放的な空間に仕立ててある。
私が本当に楽しみにしているのは、美術館の入り口にそびえ立つ堂々とした
楠の大木である。自販機で勝った紙コップのカフェオーレを右手に、左手にハ
ンバーグの包みをもって、その日の気分にあわせて好きな席に座る。ガラス越
しに楠の大木を眺めるためである。ラウンジの天井もかなり高いが、それでも
楠の木全体を見ることはできない。楠の木を眺めながらぼんやりするのもいいが、
本を読んだり雑記帳にものを書きつけながら、ふと顔を上げると目の前に楠の
木が立っている瞬間がなんとも心地よい。眺めているよりもかえって一体感が
あって、やさしく見守ってくるような安らぎがある。周辺は美術館のほかはた
だ雑木林があるばかりで、生活の匂いがない。それで空気に濁りがない。少し
ばかり楠の木から目を話しただけで、光の強さや陰影が微妙に変化しているの
が見てとれて、大地もまた刻々と生きていることを実感する。そうやってしば
らく過ごすのが愉しみである。
尾根から沢にいたる大地の褶曲、建物の幾何学的な線や湾曲面、意味不明の
置物、裸木の幹や枝、さまざまな線が鋭くまた優雅に交錯し、さまざまな素材
がそれ特有の光を反射し、またその反射する光が交錯するといった音楽的な空
間であるが、一方で質的には単調でひどく冷たい空間でもある。しかし、その
庭で楠の木の茂りだけにはうぶ毛のような真冬の光線がまとわりついて、やさ
しい歌を歌っているように見える。
楠の木の大樹のかげによりそへば水の香ぞするそれのみの冬 眞光
*
全文ではないが、私が気に入った4段落と歌を書き移したが、一つの川の流
れのように感じる。文学的な味わいがある。私は、この楠の木を昨年目で見て
いる。表現がよく伝わってくる。プロの作家のエッセイと遜色はない。
*
Iさんはとても頭の良い人だ。彼と会話をすると、勉強になることが多い。
惜しむらくは、人としての「心の温かさ」に欠けている。「心の容量」が
大きくないというのが、私の見方である。昨年と昨日で、3日間、延べ時間が
15時間を超えている。能力は実に高いが、「心の豊かさ」がない。だから
自分自身を楽しむことができない。そこが不幸だと私は思う。私は「楽しむ」
ことを知っている。釈尊の「衆生所遊楽」の言葉が大好きだ。この言葉を感じ
られることはあまりないことである。この言葉にこそ、この世に生きる意味が
あると私は思っている。
*
私の性格の特徴は、「正直さ」・「凝り性」・「受容力」にある。
長所でもあるが、欠点でもある。長短一体である。これが「普遍化」となる。
自己を客観的に見ることができなければならない。人は、往々にして自己中心
的な存在である。他人のことを知ろうとした時に、自分を規準に見てしまう。
自分の「好み」や「見た目」から入ると言ってもいいだろう。その人と話しを
してみると最初の印象が変わることが多い。私は「見た目」がとっつきにくい
ことは、若い頃からよく言われていた。見た目の印象で、私と話すのを避けた
生徒はどのくらいるのかは想像できない。妻の第一印象には、とっつきにくい
ということはなかったようだ。結婚してから、妻は私ほどわかりやすい人は
いないと言う。
*
30代前後の頃に女子高で教えていた時に、忘れられないエピソードがある。
「私の人生の記憶」で書いてあることだが、K・Hには、私の印象が非常に悪
く入学の面接(私が直接面接はしてないと思うが)の時から、「この先生には
教わりたくない」と思ったようだ。怖いとの印象を持っていたと、後で直接聞
いた。この生徒の思惑と違って、英語の授業に来たのは私だった。「いやだな」
との思いを引きずって授業を受けていたのだろう。彼女にとって英語の時間は
さぞ苦痛だったと想像する。彼女の英語の学習にも影響を与えていたのではな
いか。中間試験の結果が悪かった。当時私は3クラス18時間の授業を持って
いた。正確には記憶していないが、30点以下の生徒を放課後集めて補習授業
をやった。人数にして20人くらいとの記憶だ。彼女は、補習で私に対する
印象が180度変わったようだ。「怖い先生」から「おもしろい先生」へと。
何がそうさせたのかはわからないが、ここまでの例はないが、見た目と話した
印象が違うとは、多くの生徒から言われている。簡単に言うと、「とっつきに
くい」ということだ。私の持つ醸し出す雰囲気が原因なのだが。私は初対面で
の印象ではずいぶん損をしてきた。歳とともにだいぶ変わってきてはいる。
*
昨日、大学時代の親友と電話連絡が取れて、近況を話したら、相川は真面目
だからと言っていた。そいつにしても真面目だが、物事を割り切れる性格で行
動力のあるタイプで、私の対極に位置すると言えるかもしれない。でも私は彼
という人物が好きである。自分にないものを持っているからだが、お互いさま
かもしれない。信頼の厚い親友だ。お互いに元気なことがわかり安心している。
これからはメールでやり取りすることにした。連絡が取れなかったのは、
携帯が変わっていたからだが。葉書を書いて連絡を取り、Cメールで「Oです」
でわかったが、Cメールの開き方がわからないので、23日に携帯ショップに
立ち寄った。それで携帯の番号がわかった。代えた時に、教えてくれればすむ
ことだったのにとは思った。忙しく飛び回っているから忘れていたのだろう。
今回はメールアドレスを教え合い、お互いにメールで「届いた?」との確認ま
でしている。
*
私の性格は真面目だが、考え方の柔軟性と自分の判断力を持っている。弱点
は、「世渡りが下手」だと言うことだ。性格は「頑固」である。自分の主張を
曲げないが、人の意見はしっかり聞く耳を持っている。親友のKは「相川は話
しをよく聞くから、お年寄り(義母)は喜ぶだろうよ」との言葉(3年前)は
よく覚えている。
*
K・Hは、私の教員生活で一番多く話しをした生徒である。退職してからそ
う思うのだから間違いはない。よく話しをした生徒は数多くいた。でも彼女に
は及ばない。今でも毎年必ず年賀状に近況を添えてくれる。かつての顔が浮か
ぶ。そのような教え子は少なからずいるのだが。
*
昨夜のブログに書いたIさんの言葉だが、「共有感」との言葉が、ブログを
書いている時に、でてこなかった。私の好きなことばであるのに。私の流れの
揺れと書いたが、「共有感」との言葉で、それがあるかどうかで離れていくと
いうことを言いたかったのだ。話題がそれるのは「持ち味」でもあるとも言って
いた。まさにその通りなのだ。場面の転換は説明するよりは、*を使えば簡単
だと教わった。実際に彼が書いたエッセーはそうなっていた。こうすると場面
が変わることに違和感を抱くことはない。「こうするものなの?」と聞くと、
自分のやり方だと言った。利用させてもらうことにした。
*
Iさんの得意分野は、短歌であり、古典、歴史に造詣が深い。
私が知っている場所のことを書いた彼のエッセーを一部「引用」する。
*
私が勤務している高校は、富士山の裾野に広がる愛鷹山麓に位置し、伊豆の
山脈や駿河湾を眼下に望む丘陵地帯にある。そこから二キロほど上がると山の
中に忽然として美術館が現れる。ビュッフェ美術館である。建物を含め全体の
空間構成が気に入っている。特に冬がよい。平日はほとんど客足がないのがよい。
私は昼時麓に下りて、埃っぽい国道沿いに建っているハンバーガー屋に寄る。
けばけばとして安直なたたずまいや、都会と同じ店員の制服が妙に田舎じみて
見えるのが気に入っている。平日半額のチーズバーガーを買い、山の中に引き
返して、閑散とした公園の駐車場に車を置き、落葉の匂いを楽しみながら美術
館に向かう。彫刻の点在する小道を進むと左手に野外劇場が現れ細長い広場に
出る。
美術館の正面右手に洒落たラウンジがある。庭に向かっている面は全面ガラス
張で温室のような雰囲気もある。美術館が閉鎖的で巨大なコンクリートのオブ
ジェになっているのに対して、こちらは開放的な空間に仕立ててある。
私が本当に楽しみにしているのは、美術館の入り口にそびえ立つ堂々とした
楠の大木である。自販機で勝った紙コップのカフェオーレを右手に、左手にハ
ンバーグの包みをもって、その日の気分にあわせて好きな席に座る。ガラス越
しに楠の大木を眺めるためである。ラウンジの天井もかなり高いが、それでも
楠の木全体を見ることはできない。楠の木を眺めながらぼんやりするのもいいが、
本を読んだり雑記帳にものを書きつけながら、ふと顔を上げると目の前に楠の
木が立っている瞬間がなんとも心地よい。眺めているよりもかえって一体感が
あって、やさしく見守ってくるような安らぎがある。周辺は美術館のほかはた
だ雑木林があるばかりで、生活の匂いがない。それで空気に濁りがない。少し
ばかり楠の木から目を話しただけで、光の強さや陰影が微妙に変化しているの
が見てとれて、大地もまた刻々と生きていることを実感する。そうやってしば
らく過ごすのが愉しみである。
尾根から沢にいたる大地の褶曲、建物の幾何学的な線や湾曲面、意味不明の
置物、裸木の幹や枝、さまざまな線が鋭くまた優雅に交錯し、さまざまな素材
がそれ特有の光を反射し、またその反射する光が交錯するといった音楽的な空
間であるが、一方で質的には単調でひどく冷たい空間でもある。しかし、その
庭で楠の木の茂りだけにはうぶ毛のような真冬の光線がまとわりついて、やさ
しい歌を歌っているように見える。
楠の木の大樹のかげによりそへば水の香ぞするそれのみの冬 眞光
*
全文ではないが、私が気に入った4段落と歌を書き移したが、一つの川の流
れのように感じる。文学的な味わいがある。私は、この楠の木を昨年目で見て
いる。表現がよく伝わってくる。プロの作家のエッセイと遜色はない。
*
Iさんはとても頭の良い人だ。彼と会話をすると、勉強になることが多い。
惜しむらくは、人としての「心の温かさ」に欠けている。「心の容量」が
大きくないというのが、私の見方である。昨年と昨日で、3日間、延べ時間が
15時間を超えている。能力は実に高いが、「心の豊かさ」がない。だから
自分自身を楽しむことができない。そこが不幸だと私は思う。私は「楽しむ」
ことを知っている。釈尊の「衆生所遊楽」の言葉が大好きだ。この言葉を感じ
られることはあまりないことである。この言葉にこそ、この世に生きる意味が
あると私は思っている。
*
私の性格の特徴は、「正直さ」・「凝り性」・「受容力」にある。
長所でもあるが、欠点でもある。長短一体である。これが「普遍化」となる。