今日、久しぶりにIさんのお宅で話しをした。
昨年、何回か携帯に電話がかかってきていた。私の体調が良くなかったので、
こちらからかけることもなかった。前回の話しで最後になるのではと感じてい
た。その後のメールで、私が「老境」という言葉を使ったと書いてきた。
アドバイスのつもりだったかもしれないが、私に覚えがなかった。もう再び会
って話しをすることはないと感じた。それっきりにしていた。
*
近頃、私の体調が良くなってきたので、連絡を取ってみることにした。気持
ちが少しハイになっているのかもしれない。ロウが長く続いていたので、その
反動だろうか。躁と鬱はともにセルフコントロールができない。自分が躁状態
なのかはわからない。アクセルを踏んでいて、ブレーキがかかっていないとは
思っていない。この数日の間、話し過ぎていることは確かだ。そんな気持ちか
ら彼に電話をしたとは思いたくないが。午後3時にお邪魔することになった。
私のブログのクリアファイルを1冊持って出かけた。家の近くまで行けても、
家に行くことが出来なくて、電話して迎えにきてもらった。家の中に入って
驚いた。大きな写真が飾ってあった。人物写真が目に入ってきた。プロレベル
だと感じた。ヨーロッパの風景写真も良かった。私は「すごいね」と言った。
2階の部屋へと上がった。コーヒーの用意がされていた。素敵な家に改装され
ていることは知っていたが、玄関から2階へとギャラリーのようだった。
東京へ通ってプロの写真家から教わったと言っていた。単なるアマチュアとは
違うくらい、直感でわかる。これでも彼は楽しんでいるわけではない。
楽しいと感じない人ということだ。そこが私と違う。前回感じたのは、愛情を
知らない人の寂しさだ。それなりの理由はあるようだが。
彼にとっては、カメラは時間つぶしだけのようだ。お互いに時間はある。
彼は生涯独身のために、お金も余っていて使い道に困るくらいのようだ。私と
は生活レベルが違う。写真の話しから入り、写真家の彼の写真への評価から、
写真家の人の見方へ、そこからある独学で学んだ教員の話しへと展開した。
商業高校から独学で、上智大学英文科(普通は不可能だ)へ、更に大学院へと
行き、渡辺昇一教授と巡り合った人物が高校教員になり、磐田南高校で同僚に
なった人の話しだ。私と同じ「団塊の世代」という。年齢は67歳で、私より
も1歳下ということになる。語学力が抜群で、定時制から進学校へと引き上げ
られたが、本人は定時制の教員を好んだようだ。自分の好きな勉強の時間が持
てるからのようだ。同世代に定時制で教えながら、大学院に通う教員がいたと
いう話しを思い出した。教育よりも学問が好きな教員はいた。高校教員が中学
の教員との大きな違いは「学問好き」がなりいるということだろう。私はその
タイプではない。先輩教員の中に、そのようなタイプを見てきた。私がお世話
になった小林先生もそうだった。私の吉原囲碁OB会のメンバーに、郷土史の
研究をしている人がいる。所謂、学究肌がかなりいる。研究者には今一歩で、
教員になったのだろう。最初の赴任校の全日制には、二人の理学博士がいたく
らいだ。
その教員は、進学の生徒を惹きつけるオリジナルな授業が魅力だったらしい。
この教員も個人商店であった。静岡県では、私の世代は大半が定時制jから
スタートしていたことも事実だ。
*
私の最近のブログ「Oさんとの対話」の文章の感想を求めた。
プロに対してアマチュアの私が意見を求めたということになる。最初のページ
を高く評価してくれたが、次のページに入ってから、すんなりと読めないと言
う。流れが揺れているという。視点が動いていると。そこで読む人が分かれる
ということのようだ。彼は、私に「自己評価」が低いとも言っていた。
私は文章が書けるとは思っていない。経験に基づいたことを書くことはできる。
文を書くスキルを持っていないということだ。どうもこの意識に対して、
自己評価が低いということのようだ。国語の教員は、一般的に文が書けないと
も言っていた。まあ英語の教員が、英語のコミュニケーション能力が低いこと
は認めるところだ。英語を話せない英文学の教授はざらにいたことも確かだ。
私を含めて高校の教員も同じようなものだ。個人差が大きいが、私のような
団塊の世代及び上の世代は外国留学の経験がなくて当たり前の時代だった。
為替レートが360円の世代には、留学は無理な話しだったのだ。私のひけ目
も留学経験がないことだ。英語の教員には、最低1年の留学経験が必要だ。
英語を英語で教えるスキルとは違うが、学生時代に経験する必要がある。
一例を話すと、進学校の社会科の教員(吉原囲碁OB会のメンバー)が言って
いたことを思い出した。留学経験のある英語が堪能な教員が、英語を英語で
教えることに悩み、ノイローゼになったという話しだ。仲の良い私の後輩も
進学校に転勤になって大変な苦労をしていることだろう。県教育委員会から
派遣されて、アメリカ留学を経験している。普通よりもやや低い学校からの
転勤だ。転勤してから一度も会っていない。メールで「忙しくて」と書いてあ
った。春休みにでも会って話しを聞きたいと思っているが、どうかなとは思っ
ている。進学実績が大きな評価という現実は変わっていない。しかし、大学入
試が大きく変わろうとしている。英語教員が受難の時代に入った。
私は退職して良かったとしか言いようがない。パソコンができない世代が不要
な時代だ。これからの入試のキーワードは、「自己表現」につきる。英語だけ
ではない。「記憶力」を競う時代ではないということだ。このことがどれだけ
世の中で理解されているかは疑問だ。
*
Iさんとの会話はレベルが高いことは事実だ。お互いに得意な分野に関して
は、相手の言葉に耳を傾ける。その中に「普遍化」できるものを探ることにな
る。教育経験からの考え方は、方法が違うが、一致した見方をしている。
彼の言葉で印象深いのは「個人商店」ということだが、学校の大部分の教員は、
大型スーパーの店員ということになる。そのような組織の中で、個人の存在を
発揮することは大変なことだと言える。二人とも、自分の「個性」を出して、
生徒と向き合ったということだ。御殿場南高校で出合い、彼は国語の教員、
私は英語の教員で接点はなかったが、耐震工事のために、教科準備室が一緒に
なったために、話すことができたからだ。何か共通感を感じていたように思う。
2・3回、箱根の「小田急山のホテル」のラウンジへとお茶を飲みに行った。
彼がそこのモンブランが気に入っていた。私も一番好きなケーキはモンブラン
だ。私はこのホテルのラウンジが好きだ。ツツジの咲く頃の庭園は見事だ。
見頃に来たのは一度しか記憶がない。ここには5・6回は来ているのでは。
毎年5月の中頃になると、行きたいと思うが実現できないでいる。
今年こそは、妻を連れて行きたいと思っている。
注)* 印は、Iさんのエッセイからの方法を利用させてもらった。
彼から、「授業ノート・第一集(授業ノート2・エッセー7)」を頂いた。
自費出版している。プロの作家にまさるとも劣らない作品に仕上がっている。
昨年、何回か携帯に電話がかかってきていた。私の体調が良くなかったので、
こちらからかけることもなかった。前回の話しで最後になるのではと感じてい
た。その後のメールで、私が「老境」という言葉を使ったと書いてきた。
アドバイスのつもりだったかもしれないが、私に覚えがなかった。もう再び会
って話しをすることはないと感じた。それっきりにしていた。
*
近頃、私の体調が良くなってきたので、連絡を取ってみることにした。気持
ちが少しハイになっているのかもしれない。ロウが長く続いていたので、その
反動だろうか。躁と鬱はともにセルフコントロールができない。自分が躁状態
なのかはわからない。アクセルを踏んでいて、ブレーキがかかっていないとは
思っていない。この数日の間、話し過ぎていることは確かだ。そんな気持ちか
ら彼に電話をしたとは思いたくないが。午後3時にお邪魔することになった。
私のブログのクリアファイルを1冊持って出かけた。家の近くまで行けても、
家に行くことが出来なくて、電話して迎えにきてもらった。家の中に入って
驚いた。大きな写真が飾ってあった。人物写真が目に入ってきた。プロレベル
だと感じた。ヨーロッパの風景写真も良かった。私は「すごいね」と言った。
2階の部屋へと上がった。コーヒーの用意がされていた。素敵な家に改装され
ていることは知っていたが、玄関から2階へとギャラリーのようだった。
東京へ通ってプロの写真家から教わったと言っていた。単なるアマチュアとは
違うくらい、直感でわかる。これでも彼は楽しんでいるわけではない。
楽しいと感じない人ということだ。そこが私と違う。前回感じたのは、愛情を
知らない人の寂しさだ。それなりの理由はあるようだが。
彼にとっては、カメラは時間つぶしだけのようだ。お互いに時間はある。
彼は生涯独身のために、お金も余っていて使い道に困るくらいのようだ。私と
は生活レベルが違う。写真の話しから入り、写真家の彼の写真への評価から、
写真家の人の見方へ、そこからある独学で学んだ教員の話しへと展開した。
商業高校から独学で、上智大学英文科(普通は不可能だ)へ、更に大学院へと
行き、渡辺昇一教授と巡り合った人物が高校教員になり、磐田南高校で同僚に
なった人の話しだ。私と同じ「団塊の世代」という。年齢は67歳で、私より
も1歳下ということになる。語学力が抜群で、定時制から進学校へと引き上げ
られたが、本人は定時制の教員を好んだようだ。自分の好きな勉強の時間が持
てるからのようだ。同世代に定時制で教えながら、大学院に通う教員がいたと
いう話しを思い出した。教育よりも学問が好きな教員はいた。高校教員が中学
の教員との大きな違いは「学問好き」がなりいるということだろう。私はその
タイプではない。先輩教員の中に、そのようなタイプを見てきた。私がお世話
になった小林先生もそうだった。私の吉原囲碁OB会のメンバーに、郷土史の
研究をしている人がいる。所謂、学究肌がかなりいる。研究者には今一歩で、
教員になったのだろう。最初の赴任校の全日制には、二人の理学博士がいたく
らいだ。
その教員は、進学の生徒を惹きつけるオリジナルな授業が魅力だったらしい。
この教員も個人商店であった。静岡県では、私の世代は大半が定時制jから
スタートしていたことも事実だ。
*
私の最近のブログ「Oさんとの対話」の文章の感想を求めた。
プロに対してアマチュアの私が意見を求めたということになる。最初のページ
を高く評価してくれたが、次のページに入ってから、すんなりと読めないと言
う。流れが揺れているという。視点が動いていると。そこで読む人が分かれる
ということのようだ。彼は、私に「自己評価」が低いとも言っていた。
私は文章が書けるとは思っていない。経験に基づいたことを書くことはできる。
文を書くスキルを持っていないということだ。どうもこの意識に対して、
自己評価が低いということのようだ。国語の教員は、一般的に文が書けないと
も言っていた。まあ英語の教員が、英語のコミュニケーション能力が低いこと
は認めるところだ。英語を話せない英文学の教授はざらにいたことも確かだ。
私を含めて高校の教員も同じようなものだ。個人差が大きいが、私のような
団塊の世代及び上の世代は外国留学の経験がなくて当たり前の時代だった。
為替レートが360円の世代には、留学は無理な話しだったのだ。私のひけ目
も留学経験がないことだ。英語の教員には、最低1年の留学経験が必要だ。
英語を英語で教えるスキルとは違うが、学生時代に経験する必要がある。
一例を話すと、進学校の社会科の教員(吉原囲碁OB会のメンバー)が言って
いたことを思い出した。留学経験のある英語が堪能な教員が、英語を英語で
教えることに悩み、ノイローゼになったという話しだ。仲の良い私の後輩も
進学校に転勤になって大変な苦労をしていることだろう。県教育委員会から
派遣されて、アメリカ留学を経験している。普通よりもやや低い学校からの
転勤だ。転勤してから一度も会っていない。メールで「忙しくて」と書いてあ
った。春休みにでも会って話しを聞きたいと思っているが、どうかなとは思っ
ている。進学実績が大きな評価という現実は変わっていない。しかし、大学入
試が大きく変わろうとしている。英語教員が受難の時代に入った。
私は退職して良かったとしか言いようがない。パソコンができない世代が不要
な時代だ。これからの入試のキーワードは、「自己表現」につきる。英語だけ
ではない。「記憶力」を競う時代ではないということだ。このことがどれだけ
世の中で理解されているかは疑問だ。
*
Iさんとの会話はレベルが高いことは事実だ。お互いに得意な分野に関して
は、相手の言葉に耳を傾ける。その中に「普遍化」できるものを探ることにな
る。教育経験からの考え方は、方法が違うが、一致した見方をしている。
彼の言葉で印象深いのは「個人商店」ということだが、学校の大部分の教員は、
大型スーパーの店員ということになる。そのような組織の中で、個人の存在を
発揮することは大変なことだと言える。二人とも、自分の「個性」を出して、
生徒と向き合ったということだ。御殿場南高校で出合い、彼は国語の教員、
私は英語の教員で接点はなかったが、耐震工事のために、教科準備室が一緒に
なったために、話すことができたからだ。何か共通感を感じていたように思う。
2・3回、箱根の「小田急山のホテル」のラウンジへとお茶を飲みに行った。
彼がそこのモンブランが気に入っていた。私も一番好きなケーキはモンブラン
だ。私はこのホテルのラウンジが好きだ。ツツジの咲く頃の庭園は見事だ。
見頃に来たのは一度しか記憶がない。ここには5・6回は来ているのでは。
毎年5月の中頃になると、行きたいと思うが実現できないでいる。
今年こそは、妻を連れて行きたいと思っている。
注)* 印は、Iさんのエッセイからの方法を利用させてもらった。
彼から、「授業ノート・第一集(授業ノート2・エッセー7)」を頂いた。
自費出版している。プロの作家にまさるとも劣らない作品に仕上がっている。