今日は、私の恩人で尊敬する小林数樹先生の祥月命日です。

平成17年(2005年)10月21日。享年78歳。

私が教員生活で多くの教員と出会ってきたが、その中で、唯一尊敬の念を

抱いて心から「先生」と呼ばせていただいた。私にとっての「恩人」である。

昨年の10回忌に、お焼香させていただくために、先生宅に出かけた。

残念ながら、隣の人に奥様が入院されていることを聞き、諦めて帰ってきた。

昨夜、いくつかのUSBで探したが、この弔辞を見つけることができなかった。

やっとバックアップ用のハードディスクを調べ、探して見つかった。

先生への心からの「感謝」の気持ちで、「弔辞」を読ませていただいたこと

を思い出している。「私の人生の記憶」の大切な記録である。


              弔 辞

 小林先生、お身体の具合が良くないとのご様子なので、心配していましたが、

お見舞いにも伺えず、申し訳なく思っていました。奥様からのお電話で、

先生の訃報をうかがい、本当に残念な気持ちでいっぱいです。

 先生には、30年前に、吉原高校でお会いしてから、今日まで、

公私にわたり、本当にお世話になりました。先生は、とても真面目な学究肌で、

寡黙ですが、自分の信念を貫く強さと、他人への思いやりと気配りをされる

優しい方です。誰からも一目置かれる存在でした。私にとって、先生との

思い出は、語りきれないほどたくさんあります。先輩教師として、未熟な後輩

である私の「心の支え」になってくださいました。私が孤立感を感じていた

時には、食事に連れて行っていただき、親身に相談に乗ってくださり、

いつも助けていただきました。私は、先輩でも同僚の先生方には、名前で誰だれ

さんと呼んできましたが、先生を小林さんと呼ぶことはありませんでした。

私は、心から尊敬の気持ちを込めて、小林先生と呼ばせていただきました。

先生の教師としての姿勢は、私の模範でした。特に、権力に対して屈しない

態度と人柄の良い人間性に、私は魅力を感じていました。また、先生は、

20歳も年下の私に、一人の人間として、親しい友人のように、暖かく接して

くださいました。

 私的な思い出としては、先生には、よく麻雀の相手をしていただいたこと。

その麻雀で、私が随分負け続けたことがあって、「しばらく休んだら」と

助言されたこと。先生との時間を少しでも共有したいとの思いで、囲碁を習い

覚え、先生と対局できる日を励みにしていたこと。吉原高校OB職員の囲碁会

は、毎年6月に、芝川で開催され、先生も楽しみにしていらっしゃいましたね。

昨年から参加できず、とても残念な思いだったと察しています。

私個人の思い出としては、その囲碁で、数年前に、先生のお宅で、4子局で

打っていただき勝たせていただいたことが。とても良い思い出になっています。

先生とは一緒にいろいろな場所へと旅行に出かけましたね。

理科の教員を中心とした研修旅行で一番遠くまで行ったのは、鳥取の砂丘で

したね。先生と二人で出かけた信州から開田高原を経由して高山への旅行は、

つい最近のことのように、脳裏に蘇ってきます。開田高原では、お好きな風景

のスケッチをされていましたね。そのお姿がとても印象深く残っています。

私をとてもかわいがってくださり、数々の思い出をいただいたことは、

私の心の中にいつまでも残っています。

本当に本当にありがとうございました。

 これから霊山に旅立ち、安らかに眠られますよう、心からご冥福を祈って

おります。

仏説によれば、「死は次の生への眠りである」とのことです。いつの日か、

霊山にて、再び先生にお会いできると信じています。小林先生、安らかに

お眠りください。

さようなら。

            2005年10月23日  相川 隆