「病は気から」とは、昔からよく言われる言葉だ。市場経済で、景気の動向

への関心が高い日本の経済だ。私には株の知識はない。円高・株安が報道され

ている。人の「心理」が消費に影響し、景気状況を作りだしている。アベノミ

クスが揺らいでいる。GDPの60%が個人消費と聞く。消費者のマインドが

上がってこない。日本銀行のマイナス金利が、日本の経済にはたしてプラスに

なるのか。カンフル剤とのことだが、危険性が高いようだ。20年以上続くデ

フレから脱却できるかの正念場にある。私なりに経済の関心はある。経済もグ

ローバル化し、日本一国の問題ではない。世界経済の動きと連動している。

ニュースで驚いたが、株がコンピュータで処理される時代になっている。

一つの情報で一瞬に株の売買がされる時代になっている。様々な問題も地球規

模で解決しなければならなくなっているということだ。

 今日、私はささやかな「個人消費」をした。孫の誕生日のプレセントを買い

に出かけた。「サファリ・しかけえほん」を買ってあげるよと約束した。

実物をみて確認したかった。御殿場と沼津の書店に電話を入れた。取り寄せだ

と言われた。取り寄せなら、アマゾンですむことだ。沼津の店員が他の店を調

べて連絡するとのことで、携帯への連絡依頼した。沼津北支店に見本があり、

2冊あるとの連絡を受けて、その店に行った。私はその店のある通りはわかる

が、店の場所はわからなかった。通りの左右を見ながらゆっくり車を走らせ、

店の看板を見つけた。連絡してもらっていたので、レジですぐにわかり案内

してくれた。本を開けると動物が動いているように見える。実にリアルな感じ

がする。もう一冊選ぶことにして何冊かの本を手にした。私の感覚で、

女の子の好みそうな表紙の本があった。中を見ると、ストーリーになってい

て、日本語の横が英語になっていた。発音はカタカナで表記してあった。

孫は小学生になる。これから英語に触れるようになり、高学年では必修となっ

ている。いずれ私が孫に発音を教えようとは思っている。この本がきっかけに

なればとの思いがある。アルファベットから始っている。小学校の教員で私よ

りも上手に英単語の発音をできる教員はいないだろうとの自負がある。

小学校には、英語を専門にしている教員がいないだろうと思っているからだが。

私の教え子の中に、小学校、中学校、高校の教員がいるが、英語を専攻した生

徒はいないと思う。小学校に英語を導入するのには、ALTの存在は欠かせな

いが、教員が問題だと考えている。私も小学校の英語を担当する自信はなく、

おそらく駄目だと思う。ゲームや歌を通じて、遊びの中で英語に触れさせるこ

とになるのだろう。私が心配しているのは、日本人の先生の発音である。小学

校教員のレベルでは、非常に難しいと思っている。私は、過去の教育実習の時に、

中学校で、体育の教員が英語の授業で、肉声ではなくテープを聞かせる授業を

見て愕然としたことが忘れられない。私が中学1年の時に、英語を教わったの

が国語の先生だった。まともな英語を教えてもらったのは3年生の時である。

その頃には多くの生徒が脱落していた。今の英語の流れとは、時代が違って

いる。私の頃の中学3年のレベルは高校1年になった。私が高校で教えたので

わかるのだが。英語教育も私の方法は「時代遅れ」になっている。英語を教える難

しさを今の教員は感じていることだろう。英語を英語で教えられた経験がない

から、「試行錯誤」するしかないだろう。大学入試が大きく変わる時代になっ

ている。教科を教えることは入試と不可分の関係にある。これだけは何時の時

代でも変わらない。日本の「教育文化」であるが故に。

 話題がそれてしまった。私本来の調子が戻ってきているように感じる。授業

で話しがそれる時の方が、私の状態が良いとの経験をしている。頭が回転して

いる証明であった。体調が悪い時には、余談ができなかった。生徒との関係が重

要なのだが、生徒の関心に触れなければ成り立たないことだ。自己満足では話

しが通じない。話している私が楽しくなければ、聞いている生徒が楽しいはず

がない。生徒の顔の表情、更に言うと眼で判断した。私は、話しをするのと同

じように文を書くことが好きだと自分で感じている。ブログの難しさは、相手

の顔が見えないことに尽きる。反応を確認できないのが一番きついことだと思

う。SNSの世界とはそういうものだと割り切って考えなければならない。

知名度のある有名人やタレントの場合は別である。気楽に日記を書いているよ

うなものだ。自己ピーアールに利用し、アフリエイトしている人もたくさんい

る。「表現の自由」ということだ。私は、本当のことを書いて公開している。

こういう人間がいてもいいのではないか。「正直に、自分らしく」が、私の

信条であり、アイデンティティーである。私の教え子へのメッセージでもある。

 また話しがそれてしまった。2003年の2月に、蓄膿症だとわかり、

2007年10月に手術をしたが、完治しないまま現在に至っている。医療的

には90%問題無いと言われ、精神的なものだとも言われ、3年以上、

心療内科(精神科)の治療を受けた。鬱と診断された。確かに鬱状態なことは

自分でわかる。心が閉じて、何にもしたくなくなる。自分の好きなこともでき

なくなる。自分の心をコントロールできない。自殺する人の気持ちが理解でき

る。「心の病」は本当に恐ろしい。体調が良い時には、気持ちが前向きになり、

心が開いてくる。この両方を経験しているからよくわかる。躁と鬱の状態が理解

できる。躁も鬱も心ではコントロールできない。10年以上自分と向き合って

きたからわかる。苦しさを知っているから楽しさがわかる。「苦あれば楽あり」

と口で言うのはたやすい。苦しいことのほうがずっと多い。楽しいことは少な

い。人生も同じではないかと思うようになった。私が生きてきた実感である。

 最近になって、気持ちが上向いてきている。体調はいまいちだが、良くなっ

ていると思う。心と体は一致しているからだ。話し好きの私がこの半年間、

妻との会話も減っていた。妻の話しを聞いて孫のことを知るだけで、自分から

話すことはほとんどなかった。この頃私から話すほうが多い。私は話し出すと

きりがない。いくらでも話しができる。頭が回転しだすと関連したことが浮か

んでくる。聞いているほうがうんざりするくらいだ。そのあたりは承知してい

るつもりだ。もう一つの私の特質は「話しを聞く」ことができることだ。

話しを聞きながら考えて冷静な判断ができるタイプでもある。「我田引水」と

受け止められてもやむを得ない。私は特別頭がいいわけでないし、記憶力がい

いわけではない。平均よりはやや良いくらいだろうと自分を見ている。自分を

等身大で見ることは難しいが、そうありたいとの思いは変わらない。

私はもの書きではないし、その才能もないことは自覚している。しかし書くこ

とは好きだと思うようになっている。学校の作文以来、原稿用紙を使って書い

たことがない。文を書きやすくなったのは、パソコンのおかげであるが、自己

表現したいとの気持ちは、話すことも。書くことも同じだと言える。

書き始めると、書こうとしたことと変わっている。今回はその例と言える。

書く予定にないことを書いている。書くことが「楽しい」と感じる自分が嬉し

い。正直な気持ちだ。

 本題に戻す。孫のプレゼントを買った後に、妻がイトーヨーカ堂(沼津店)

に行きたというので、立ち寄った。妻が婦人服の売り場に行っている間に、

私は紳士服売り場を見て歩いた。シャツでも買うつもりで見て回った。

春物の衣料品を見て、よさそうな感じがしたので、店員に聞いてみると、

Lサイズがなかったので、三島店に問い合わせを頼んだ。三島店のラコステ

担当が昼食のために不在とのことを知った。三島店にあれば行こうと思った

からだ。この店に色や柄からより気に入る春物のセーターがあったが、

クルーネックであった。以前は好んでクルーネックを着ていたが、今はジッパ

ーのある襟のタイプを好んで着ている。店にあったクルーネックの商品を確認

したところサイズがMであった。隣のゴールデンベアを見てみた。若草色の系

統のジッパータイプがあった。妻も戻ってきたので、どうかなと聞いてみた。

5色あったが、私に合いそうなのはグリーン系であった。以前はグリーンを好

んで着ていたことがある。組み合わせによくベージュを使った。この数年の好

みは、ライトグレーか明るいブルー系になっている。ラコステで目にとまった

クルーネックはブルー系で私の好みだった。若干の迷いがあった。店員が試着

しませかと言うので、それに合わせたシャツと一緒に試着させてもらった。

そのまま値札をとってもらい、着たまま支払いを済ませた。魅力は半額になっ

ていたことだった。こんな買い方を今までしたことがない。スラックスやジャ

ケット・スーツを除いてだが。お昼の時間が過ぎていたので、飲食街に行き、

久しぶりにスパゲティを食べた。食後に「タリーズ」に入り、ハニーナッツラテを

初めて飲んだ。私には少し甘みが強かったと感じたので妻に言ったら、それ程

ではないとの返事だったので、飲ませたところ甘いと言っていた。妻がSで私が

Tを注文したので、甘さが違うことに気づいた。こんなことがあることを知っ

た。

 先程、孫が私の2階の部屋に上がってきた。プレゼントの中身を説明したら、

話しが長いなあと言いながら階段を降りて行った。英語の話しが余分だったか

もしれない。部屋を出て行く時に、アルファベットを口にしたので、私が発音

してあげたら聞いていた。「英語みたい」と言い残して部屋を出ていった。いつか

「教えて」との言葉を聞きたい。こんな「」の状態になったことを喜んでいる。