B:仏教と国家権力との関係の視点で話してきましたね。
A:国家権力による弾圧が戦時中において最大に表れ、戦争へと暴走した歴史
について話しましたね。
B:戦後の日本は、大日本帝国憲法を排して、「日本国憲法」を制定し、国民
主権国家へ180度の転換をしました。神格化した天皇・国家元首を象徴天皇
に変えました。「国民主権」、「平和主義」(戦争の放棄)、「基本的人権
の尊重」が柱になっています。
A:憲法では、言論の自由、表現の自由、集会の自由、信教の自由を保障して
います。欧米の自由主義の思想が取り入れられました。
B:憲法は、「民主主義の根本」であり、日本の歴史上、戦後初めて私たち国民
に保障された最高法規です。日本国憲法に対して、成立の過程で押しつけであり、
自主憲法の制定を望む考え方が自民党に存在し続けています。私は日本国憲法は、
世界に誇れる「最高の憲法」だと考えています。護憲の立場にいます。しかし、
時代に対応するための議論は必要だと考えます。「根本の三原則」は絶対に守る
べき大切ものだと考えます。
A:池上彰著「日本国憲法」に、「戦後、連合国の占領下にあった日本は、平和
と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を
行なって、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、
改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ち
を抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと
思います」と書いています。
B:「平和と民主主義を、守るべき大切なもの」として、そのために日本国憲法
を作ったと明言されたのですとも書いています。私は、この考え方に全面的に
賛成です。「感謝」は、仏教の大切な概念の一つです。
A:池上氏は、実に明解で大事なポイントをついた説明をしています。
B:仏教において、守るべき大切なものは、「人間の幸福と世界の平和」です。
仏教の根本思想です。この視点から仏教の歴史を学ぶことが大切だと思います。
A:仏教の創始者の釈尊から、仏教の「基本的な流れ」を学びたいと思います。
B:諸説あるが、釈尊の生きた(在世)時代は、およそ3000年前と考え
られています。今日の仏教学では、伝統的な仏教史とは約500年の違いがあ
るとの推定が定着しているようです。それによればおよそ約2500年前にな
ります。
A:釈尊は菩提樹の下で、「悟り」を得てから様々な教えを説きました。
約50年に及びます。すべて説法、対話(問答)の形をとっています。とてつ
もないほど多くの教えです。仏教用語では、「八万四千の法門」と言われてい
ます。釈尊自ら文で書き残したものは全くありません。釈尊滅後に、弟子が
「私はこのように聞きました」(如是我聞)として弟子の代表者が結集し、
そして経典として編纂されました。
B:結集(けつじゅう)とは、仏滅後、教えの拡散と消失を防ぎ、教団を統一
するため、代表者の僧が集まって、仏陀が遺した教えを集め、経典を編集した
こと。(広辞苑)釈尊滅後に最初の結集があり、第2回結集は100年後に
開かれ、保守派の上座部と改革派の大衆部の対立が修復不能なところまで激化
し、小乗仏教(上座部仏教)と大乗仏教へとつながっていきます。
A: 経や戒律が「成文化」されたのは、釈尊滅後400~500年後だといわれる。
釈迦教団内で対立し100年以上かかって分裂した。釈迦の直弟子から更に
その弟子へと「口伝」の形で伝えられた。現代の私たちのように、文献や
書物で学んではいないのです。すべて暗唱したのです。これも修行だったと
考えられます。私たちには信じられないことです。学び方が違うのです。文字
として残された経典(成文経典)は、釈尊滅後、少なくとも400年以上かか
っている。各教団にどれだけ多くの代表の僧が集まり、経典の編纂に関わった
のかは想像がつかないことです。釈迦の直弟子の数そのものがとても多かった
のです。釈尊の説法によって弟子がどんどん増えていった。さらにその弟子か
ら弟子へと口伝されたのです。
B:成文化されるまでに、数百年もかかった最大の理由は、釈尊の教えの量と
質が膨大だったことにある。それに加え、僧の中にも口伝という伝統的方法を
守りたいとの思いもあったのではないかと考えられる。
A:弟子たちによって編纂された経典が「八万四千」と言われると私は理解して
います。大乗仏教はインドから中国へ、そこで漢訳された。その中で重視した
経典を「所依の経典」として、中国では天台大師が、日本では、奈良時代の
鑑真、平安時代の最澄(伝教大師)、空海(弘法大師)、鎌倉時代には、法然
・親鸞・一遍・栄西・道元・日蓮の高僧が独自の宗派を創立したのです。
鎌倉時代の新仏教の成立で、奈良時代からの宗派を含めて13宗ということに
なります。13宗については前述している。これが大まかな日本仏教の流れ
なのです。
A:国家権力による弾圧が戦時中において最大に表れ、戦争へと暴走した歴史
について話しましたね。
B:戦後の日本は、大日本帝国憲法を排して、「日本国憲法」を制定し、国民
主権国家へ180度の転換をしました。神格化した天皇・国家元首を象徴天皇
に変えました。「国民主権」、「平和主義」(戦争の放棄)、「基本的人権
の尊重」が柱になっています。
A:憲法では、言論の自由、表現の自由、集会の自由、信教の自由を保障して
います。欧米の自由主義の思想が取り入れられました。
B:憲法は、「民主主義の根本」であり、日本の歴史上、戦後初めて私たち国民
に保障された最高法規です。日本国憲法に対して、成立の過程で押しつけであり、
自主憲法の制定を望む考え方が自民党に存在し続けています。私は日本国憲法は、
世界に誇れる「最高の憲法」だと考えています。護憲の立場にいます。しかし、
時代に対応するための議論は必要だと考えます。「根本の三原則」は絶対に守る
べき大切ものだと考えます。
A:池上彰著「日本国憲法」に、「戦後、連合国の占領下にあった日本は、平和
と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を
行なって、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、
改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ち
を抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと
思います」と書いています。
B:「平和と民主主義を、守るべき大切なもの」として、そのために日本国憲法
を作ったと明言されたのですとも書いています。私は、この考え方に全面的に
賛成です。「感謝」は、仏教の大切な概念の一つです。
A:池上氏は、実に明解で大事なポイントをついた説明をしています。
B:仏教において、守るべき大切なものは、「人間の幸福と世界の平和」です。
仏教の根本思想です。この視点から仏教の歴史を学ぶことが大切だと思います。
A:仏教の創始者の釈尊から、仏教の「基本的な流れ」を学びたいと思います。
B:諸説あるが、釈尊の生きた(在世)時代は、およそ3000年前と考え
られています。今日の仏教学では、伝統的な仏教史とは約500年の違いがあ
るとの推定が定着しているようです。それによればおよそ約2500年前にな
ります。
A:釈尊は菩提樹の下で、「悟り」を得てから様々な教えを説きました。
約50年に及びます。すべて説法、対話(問答)の形をとっています。とてつ
もないほど多くの教えです。仏教用語では、「八万四千の法門」と言われてい
ます。釈尊自ら文で書き残したものは全くありません。釈尊滅後に、弟子が
「私はこのように聞きました」(如是我聞)として弟子の代表者が結集し、
そして経典として編纂されました。
B:結集(けつじゅう)とは、仏滅後、教えの拡散と消失を防ぎ、教団を統一
するため、代表者の僧が集まって、仏陀が遺した教えを集め、経典を編集した
こと。(広辞苑)釈尊滅後に最初の結集があり、第2回結集は100年後に
開かれ、保守派の上座部と改革派の大衆部の対立が修復不能なところまで激化
し、小乗仏教(上座部仏教)と大乗仏教へとつながっていきます。
A: 経や戒律が「成文化」されたのは、釈尊滅後400~500年後だといわれる。
釈迦教団内で対立し100年以上かかって分裂した。釈迦の直弟子から更に
その弟子へと「口伝」の形で伝えられた。現代の私たちのように、文献や
書物で学んではいないのです。すべて暗唱したのです。これも修行だったと
考えられます。私たちには信じられないことです。学び方が違うのです。文字
として残された経典(成文経典)は、釈尊滅後、少なくとも400年以上かか
っている。各教団にどれだけ多くの代表の僧が集まり、経典の編纂に関わった
のかは想像がつかないことです。釈迦の直弟子の数そのものがとても多かった
のです。釈尊の説法によって弟子がどんどん増えていった。さらにその弟子か
ら弟子へと口伝されたのです。
B:成文化されるまでに、数百年もかかった最大の理由は、釈尊の教えの量と
質が膨大だったことにある。それに加え、僧の中にも口伝という伝統的方法を
守りたいとの思いもあったのではないかと考えられる。
A:弟子たちによって編纂された経典が「八万四千」と言われると私は理解して
います。大乗仏教はインドから中国へ、そこで漢訳された。その中で重視した
経典を「所依の経典」として、中国では天台大師が、日本では、奈良時代の
鑑真、平安時代の最澄(伝教大師)、空海(弘法大師)、鎌倉時代には、法然
・親鸞・一遍・栄西・道元・日蓮の高僧が独自の宗派を創立したのです。
鎌倉時代の新仏教の成立で、奈良時代からの宗派を含めて13宗ということに
なります。13宗については前述している。これが大まかな日本仏教の流れ
なのです。