A:現代において、一般に仏教の基本的な理解がされていない。そこで仏教

の歴史を通して、仏教の現代的意義を考えてみたいと思うが、どうだろうか。 

B:いいですね。仏教の基本的な歴史の学習から始めましょう。

A:仏教の開祖は、誰でも知っているよね。学校で習っているから。

B:釈迦ですね。およそ3千年前に歴史上に実在している。「生老病死」の

四苦の解決の道を求めて、19歳(29歳説)で出家し、30歳(35歳説)

の時に、菩提樹の下で悟りを得て「仏陀」となったと伝えられているね。

A:釈迦は、古代インドの一種族である釈迦族の王子として生まれたのだね。

恵まれた生活を捨てて、人々の苦しみを救いたいと決意して出家したという話

だ。出家した釈迦は、厳しい修行をしたが、その修行によって解脱の法を体得

できないことを知り、苦行を捨てて、菩提樹の下に座して瞑想を続けて「悟り」を

開いたと言われているね。

B:80歳で入滅するまでの約50年間に、膨大な教えを説いた。釈迦の教え

仏教である。「仏陀」(覚者)の漢字の音から、英語では、Buddhismと翻訳

されている。仏教は、インドのカースト制度や部族制度を超越した普遍的な教義

が中心をなしているが、根本は「慈悲」の思想にある。

A:釈迦の教えは経典になっているよね。

B:釈迦の時代には経典はなかったよ。教えは「口伝」として伝わったものだ。

釈尊滅後、弟子によって経典として編纂された。仏滅後100年頃、教団は、

戒律の厳しい保守的な僧集団の上座部と在家信者を含む進歩的な大衆部に分裂

した。

A:小乗仏教(上座部仏教)と大乗仏教に別れたのだね。

B:小乗仏教は南へと伝わり、大乗仏教は北からシルクロードを経由して

中国に伝わり、漢訳された。原典はサンスクリット語(梵語)で、鳩摩羅什

(4~5世紀)の漢訳が伝えられた。

A:その後中国から、韓国、日本(6世紀半ば)へと伝わったのだね。

B:当時の中国は、孔子を祖とする儒教の教えが中心的な思想であった。

A:大乗仏教の特質に、土地の文化に融合する柔軟性・寛容性があると言われ

ているね。中国では、智顗(538~597)が天台宗を広めた実質的な開祖

であり、後に天台大師の称号で呼ばれるようになった。天台大師は、釈迦一代

の説法を五時華厳時(21日間)、阿含時(12年間)、方等時(16年間)、

般若時(14年間)、法華・涅槃時(8年間)に立て分けた。釈迦は最後の

8年間で、自らの成仏の根本を「法華経」とし、最高第一の経と明言している。

B:天台大師は、釈尊の法華経の精神と竜樹(2~3世紀、南インドの僧で、

空の思想を説く)の教学とを独自に体系づけ、随の皇帝の帰依を得た。

「法華文句」「法華玄義」「摩訶止観」の法華三大部の著作が有名だ。

A:最澄(767~822)が804年に遣唐使として唐に渡り、天台大師の

教えを学び、日本天台宗を設立した。没後に伝教大師の称号が与えられた。

B:同時期に入唐したのが空海(774~835・弘法大師)で、真言密教を

学び、日本真言宗の開祖となった。

A:天台宗の比叡山延暦寺と真言宗の高野山金剛峰寺が今日まで、仏教の二大

根本道場として続いていますね。

B:日本への仏教伝来は6世紀半ばに、朝鮮半島の百済から伝わったとされ、

蘇我氏と物部氏との「崇仏論争」があった。崇仏を主張する蘇我氏が物部氏

を倒し、朝廷の実権を握り、仏教が朝廷に公認されることになった。国家の

中央集権化が急速に進展した時期である。

A:蘇我氏に登用された聖徳太子(574~622)は、初の女帝・推古天皇

の即位とともに皇太子となり、摂政として冠位十二階・憲法十七条を制定、

遣隋使を派遣、また仏教興隆に力を尽くし、多くの寺を建立した。特に法華経

を重んじたと伝えられる。