23日、NHKで「スーパースター長嶋茂雄」の番組が放送された。

有働由美子アナウンサーのインタビューに答える形式で、過去の映像を交えて

の放送である。読売巨人軍終身名誉監督長嶋茂雄(79歳)が野球人生を語る。

 長嶋茂雄は私の世代の憧れのヒーローであり、野球ファンを魅了したスーパー

スターである。昭和33年(1958年)に巨人に入団した。契約金は1800

万円で、オファー価格の最低が巨人だったと言う。

9歳の頃に野球に出会い、「プロ野球選手になって母を喜ばせたい」との想い

が原点となっている。デビューの開幕戦での4打席連続三振は、私の記憶にも

残っている。「落ち込まない、いつも勝つ」という気持ちを持ち続けたと語る。

 長嶋茂雄の憧れの選手は、ニューヨークヤンキースのジョー・ディマジオ。

ファンあってのプロ野球の気持ちと技術力のすべてが最高と評価し、少しでも

近づきたいと思っていたと。長嶋茂雄の勝負強さ、華麗な守備や走塁に魅了さ

れたのが長嶋ファンだ。長嶋茂雄はファンへの想いが厚い。サードでゴロの守

備にこだわった。歌舞伎の所作を取り入れたと言う。15のゴロの取り方がある

と言う。ショートへのゴロが一番難しいと。ショートゴロを取りにいき、華麗な

フォームで送球するプレーをファンに見せてくれた。2年目の時、初の天覧試合

でのサヨナラホームランは印象に深いが、長嶋茂雄はそのことをイメージしてい

たと語る。

 スーパースター王貞治の存在について、励みになることと、共に勝つという

気持ちだった。「やっぱり王さんは、王さんだな」と特別な存在と認めている。

 昭和49年(1974年)に現役を引退した。引退セレモニーで「我が巨人

軍は永久に不滅です」との言葉が残っている。セレモニーの後に、外野スタンド

に足を運びファンへの感謝の気持ちを表わし、自然に涙が溢れた。初めての涙

だと語った。

 長嶋茂雄は、孤独や苦悩、努力する姿を見せないのが信念であり、「自分に対

して自分がどうやるか」と。真っ暗の中で素振りでスウィングの「」の場所を

聞くという感覚の世界の鍛錬のようだ。その感覚を伝え理解できたのが、愛弟子

の松井秀喜であると。平成5年(1993年)に監督に復帰し、ドラフトの抽選

で獲得した選手が松井秀喜であり、「一千日構想」で、松井を3年間で4番にす

るためにマンツーマン指導を行った方法が、素振りによる「」の世界を聞くと

いう自分が行なったことだと。松井秀喜からサードをやりたいとの守備位置変更

のエピソードを明かした。長嶋茂雄の憧れのヤンキースのセンターだった

ジョー・ディマジオの名前を出して説得したと。松井秀喜のメジャー移籍には、

複雑な気持ちを語った。「寂しさと憧れの何とも言えない」と。

2013年に、松井秀喜の引退セレモニーで、二人で同時に国民栄誉賞を授賞し

た。国民栄誉賞の第1号は、昭和52年(1977年)王貞治のホームラン世界

新記録756号本塁打)の功績による。

 1994年の「10.8」決戦で、中日との同率での最終戦で勝って優勝を

果たし、西武との日本シリーズに勝利し、監督として初の日本一を果たした。

1996年には広島に最大11.5ゲーム差をつけられるが、リーグ優勝を

果たし、「メークドラマ」の言葉で知られている。2000年には、福岡ダイ

エーホークスの王貞治監督とのON対決で話題になったが、松井秀喜選手の活躍

で日本一になった。2001年に監督を勇退し、原辰徳監督に引き継いだ。

 2004年アテネオリンピックの日本代表監督に決まっていた。この年68歳

の時に、脳梗塞で倒れ、右半身麻痺と言語障害になり、リハビリ生活が始まった。

同じ病気の約200万人の人を励ましたいとの思いで、リハビリをメディアに

公開した。現役選手時代とは逆である。頑張る努力を表に出したと語る。

 長嶋茂雄選手は、私の世代から見ると、トップのスーパースターである。記録

的には王貞治選手やイチロー選手が勝っているが、野球ファンから長嶋茂雄ほど

愛された選手はいないと私は思っている。選手生活が1958年から1974年

の17年、監督生活が1975年から1980年の6年、及び1993年から

2001年の9年、通算15年となり、32年に及ぶユニホーム姿の野球人生で

ある。「スーパースターとしての野球人生は幸せだったか」の問いに対して、

野球選手であって幸せだった」と答えた。現在の夢はの問いに、「走りたい

と答えている。ミスターにふさわしい人だ。