教員の世界については、私の経験に基づいて、すでにブログに書いた。

主観的な見方であることを否定するつもりはない。

今回は「教師の仕事」について書いてみたい。将来就きたい職業のベスト3に

入っているとのことだ。1位は公務員、2位は教師、3位が看護師であると。

教師の仕事は、一般に知られているようだが、正しく理解されているとは言え

ない。私自身も生徒の立場から教師の仕事を見ていたに過ぎない。実際に教師

になってわかったことが多いことが事実である。授業力コミュニケーション

能力が求められることは容易に理解できることだ。「言うは易く行うは難し」

との格言が浮かぶ。人が人に教えることは実に難しい。「信頼」がキーワード

である。もちろん教育の世界に限られることではない。ブランドの信用も揺ら

いでる社会である。

 教師の最も大切な仕事は、「授業」と「生徒との関わり」である。

教科活動と教科外活動がある。教員の世界で書いたように、校務分掌の仕事が

ある。HRの正・副主任と学年業務、各課の分掌業務、部活動の顧問を担当する。

新卒1年目にHR主任をすることは通常はない。私は1年目で経験をしたが。

HR運営は、生徒と関わる大事な仕事になる。朝と帰りのSHRと週1回の

LHR(50分)の時間を担当して、生徒の状況の把握と指導の現場となる。

清掃の監督の仕事もある。私はずいぶんと手抜きをしたが。私の場合は必ず

自分のクラスの授業を担当した。授業とクラス運営は両輪であった。教科に

よってはクラスの授業を持つことができないこともある。その難しさは私に

はわからないが。自然な形は、入学時から卒業までクラスの授業を担当しな

がらクラス運営をしていくことだと考えている。

 新入学生は、学校生活への期待と不安を抱いている。初めて担任をする教師

は立場は違っていても、生徒と同じような気持ちでいる。スタートへの新鮮さ

と若さの武器がある。この「新鮮さ」は、何回も経験することができる。教師

の仕事の魅力ではないだろうか。3年をサイクルにして、新しい生徒と触れ合

うことになる。「責任」を伴う緊張感とも言えるだろう。この気持ちを失った

ら教師としての資格を失うことになると、私は思っている。人としての成長も

なくなるだろう。単なるサラリーマン教員になってしまう。そうなれば生徒を

惹きつけることはできない。斎藤孝氏は、著書「教育力」の中で、「教育の

基本は、学ぶ意欲をかき立てることだ。」「教育の基本は、学び合い刺激し合

う関係だ。」と書いている。私の教育経験からも、斎藤氏の考え方に同感する。

また「基本を押さえた上で、自ら工夫を重ね自分の教育スタイルをみつけてい

く」とある。教師のあり様を的確に表現していると思う。教師は、生徒から

魅力」を感じる存在でありたいものだ。このことは時代の変化に左右され

ない「教師の原点」と言えるだろう。同時に「学ぶ楽しさ」を生徒に触発で

きるのが教師の仕事だと思う。

 私の経験を具体的に書いておく。「準備」と「試行錯誤」の繰り返しから

の「学び」である。担任として入学式を迎えた時に、呼名への緊張感がある。

呼名への緊張感は卒業式でもあるが、同じではない。スタートとゴールの違

いとも言えばいいのだろうか。達成感の有無の違いにある。入学式と卒業式

の後に、HRでの担任の挨拶がある。保護者も同席している。若い頃は、

保護者の方が年長であり神経を使う。入学時と卒業時では3年間の月日が流

れている。生徒はもちろん成長しているが、教師も成長している。教員は生

徒を卒業させてはじめて教師と言える。学校という組織の中で、学年主任を

中心とした集団の中で、教師と生徒の織り成すクラスカラーにも違いが出て

くる。教師と個の生徒との関係、クラス集団との関係、他の教員との関係、

学年での役割等、順調にはいかないで悩むことがあたり前である。生徒指導

・進路指導の問題や、各行事での役割分担や運営の仕方などを学年会議で話

し合う。他の学年との指導方法に違いが出て対立したり、競争意識が働くこ

とも多い。若い頃は自由な発言がしにくい面があることも事実である。

各分掌の主任(課長)もすべて学年に所属している。中堅教員が活躍の場と

言えるかもしれない。学年主任が強いリーダーシップを発揮するケースもある。

中堅教員が学年主任になるとその傾向が強いと言える。私の中堅教員にあたる

時期は、三島南高校に在籍した10年(34-44歳)だと考えられる。

「私の人生の記憶」で書いたように、生徒指導は大変だったが、思い出深い

記憶として残っている。

 教科の点で、教材を研究して勉強するのに忙しいのは、進学校での勤務で

ある。静岡県で進学実績が高いのは、県立の普通高校で、旧制中学の流れを

くむ高校が東部、中部、西部の拠点校になっている。沼津東高校、静岡高校、

浜松北高校が御三家と言われる伝統校でもある。静岡高校は高校野球の伝統

校としても知られている。東部では、沼津東高校に並ぶ進学校に、韮山高校

と富士高校がある。これらの高校には、地域の秀才と言われる生徒が集まっ

ているために、教師は教える技術よりも高度な専門的知識が求められる。

生徒の教師への依存度は低い。私の教員経験がない学校のために、情報的

知識として知っているに過ぎない。2番手の進学校を定年前に、最後の勤務

校として経験した。転任した最初の3年間が教材研究の勉強で一番忙しい時

期であった。教科の面で、一生懸命という言葉がふさわしい経験ができた。

次の5年間は担当学年の教科の責任を担った。私が「教師が天職」と感じた

時期であるだけに印象深い。教科書、教材の選定に中心的役割を果たし、

授業を楽しむことができた。教師と生徒と教材のマッチングが授業のキー

ポイントである。

 2003年に自己評価システムが導入され、授業評価アンケートを行う

ようになった。また学校評価制度も導入されるようになり、年間の目標を

設定し、評価を公表するようになった。学校の目標に従って教科目標や分

掌の目標を立て、年度末に達成度を評価するシステムである。効率主義の

考え方が教育の世界に入ってきた頃から、教員の多忙化が始ったと言える。

報告書類の提出が増え、事務的な仕事が増え、パソコンに向かう姿が日常

化するようになったのである。教師本来の生徒と向き合う時間が取れなく

なったことは皮肉な結果と言える。教員にも勤務時間はあるが、勤務時間

内では、授業の準備もできなく、時間外勤務で対応しなければならない状

況にある。生徒の相談も勤務時間で切ることはできない。もちろん残業手

当はない。給与の4%の調整手当があるだけである。部活動の指導や試合

で土・日に休みを取れない実態がある。1日・8時間で1200円の手当

(10数年前頃から)が出るに過ぎない。手当のことを付記すれば、主任

手当(学年主任及び課長)は1日・8時間で200円となっている。私の

同僚の後輩は、長年運動部の顧問をしていてほとんど休みがないのが実情

だ。私は、部活動に熱心な教員ではなかったので、避けられる範囲の中で、

運動部の顧問を希望することはなかった。卓球、バスケットボール、

バレーボール、バドミントン、ソフトボール、体操等の運動部の顧問を経験

している。体育の教員は、自分の専門分野の顧問につき指導に関わっている

が、一般の教員で運動部の指導ができることは稀であるが、努力して審判の

資格を取る教員は少なくない。私の場合は責任者として引率したが、指導を

することはなかった。

 勤務のことを言えば、教員には夏休み、冬休み、春休みはないのが実情で

ある。世間一般には理解されてはいないようだが。地方公務員としての休み

は行政職と同じである。私の教員世代は、教育公務員特例法の研修を利用する

ことができた。およそ20年前までは、研修届を出せば、長期休暇を実質的に

休むことができたのである。当然の権利との意識だった。現在は認められない

時代になっている。年次有給休暇(20日)を使うように、管理職が県教委か

ら指導されている。社会の流れでもあるかもしれない。研修について言えば、

転勤が最大の研修機会であり、若いうちに様々な学校で経験を積むことが研修

になると思う。

 色々な意味で、私のような団塊の世代が時代の転換点に位置したことは確か

だ。私の先輩教員は、妻に言わせれば変わった人が多いと評しているが、

その通りだと私も思っている。よく言うと、個性が強く自己意識が高いという

ことになる。長短は表裏一体である。現代の教員は真面目な人が多くいるが、

個性的なタイプは少ない。時代のニーズなのかどうかはわからないが、真面目

に仕事をするタイプの教員だけでは、多様な生徒に対応することはできない。

教育行政からの上意下達では教育は成り立たない。問題を自分で考え試行錯誤

しながら、工夫して自分の教育スタイルを持つ教師になってもらいたい。

 近年いじめによる自殺が社会問題になっているが、いじめは「絶対悪」で

ある。格差社会の拡大とともに、子どもや生徒を取り巻く環境が悪化している

のが現実である。「観察」と「対話」が生徒指導の基本である。人を教え育て

る大変な使命を担う仕事との自覚を持ち、共に学び合う「信頼」関係を築くこ

とが「教師の仕事」だと、私は考えている。教壇に立つ教え子へのメッセージ

になることを願っている。