二人の孫の成長を見ながら、考えさせられることが多い。男の子と女の子の

違いはあるが、時代の子であると。この孫たちの将来の時代はどのようなもの

であろうかと。

 今は、二人とも元気で喧嘩しながら遊んでいる。二人とも自己主張が強く、

負けず嫌いな性格である。2歳年上の男の子の翔は、慎重で大胆さに欠ける。

年下の女の子の煌は、積極的であるが、頑固な性格である。

二人の言葉使いを聞いていると、親の言葉を真似て使っていると感じる。

「めんどくさい」、「疲れた」、「~しなさい」等の言葉である。

二人とも親の姿を見ている。「子は親の鏡」との言葉が浮かぶ。

長男夫婦は、障害者施設で働いているので、勤務も不規則で大変な仕事だ。

私の妻が孫の世話をする機会も多く、遊び相手もしている。私にできることは

ほとんどない。子どもの遊び相手が苦手な私だ。私自身が自分の子どもと遊ん

だ経験があまりないことに起因している。家のこと、子どものことを妻任せに

してきたのが私だ。今の時代の親には考えられないことかもしれない。

 今日の毎日新聞で、<未来をつくる人>が育つ私学の教育の記事を読んだ。

中高一貫校の麻布中学校・高等学校と女子学院中学校・高等学校の校長座談会

である。両校とも校則がほとんどなく、自由な校風との共通点があると。

見守られ試行錯誤」「自由な校風 自律促す」との見出しだ。

女子学院・風間院長「私どもは生徒を見守っています。手を出さず、じっと見守

るということは、実はとても難しいことです。」と語る。「じっと見守る」こと

は、私の教育の持論でもある。生徒の自主・自律の育成には不可欠と考えるが、

実に難しいことである。観察力忍耐力が求められる。校則に従って指導するこ

との方が楽なことだ。私の過去の経験で記憶に残っていることがある。30歳前

後で女子高で担任をしていた頃のことだ。ある生徒がパーマをかけてきた時に、

この生徒がどうしてと思ったが、すぐに注意せずにしばらく黙って様子を見てい

た。その生徒は1週間経ってから自らパーマをやめた。この件で何の話もしなか

ったが、私の信頼を裏切ることはなかった。他の生徒や教員がどう見ていたのか

は知らないことだが。次の赴任校での記憶も鮮明だ。進学の中心校から転任して

きた30歳位の若い教員の職員会議での発言である。彼は、生徒指導のマニュアル

がなければ生徒指導ができないと。私は唖然としたことをよく覚えている。機械の

操作や制度のハード面には、マニュアルは必要であるが、人の教育というソフト面

にはマニュアルはないのである。

 麻布・平校長は「自由な学校ですが、どういうところに自由の限界があるのか、

生徒は失敗をして身をもって知ります。進学校として知られていますが、世の中の

中学校、高校で起きていることは、すべて本校でも起きています。ただ、三つの悪

だけは許さないよ、と言っています。いじめ窃盗暴力で解決しょうとすること。

これらには厳しく対処しています」と語っている。大事なポイントだと思う。

私の経験からの言葉を使うならば、「自分がされたくないことを他人にするな」と

いうことである。このことは、中学1年生の時に、自ら学んだことである。私の

信念でもある。このことを生涯守ってきた自負がある。

 麻布中学校・高等学校は「知性・感性を備えた人」を育てること。

女子学院中学校・高等学校は「自律・自立した人格の育成」を目指し、「知る力と

見抜く力を身につけて、本当に重要なことを見分けられるように」生きること。

二つの学校に共通していることは、しっかりとした「教育理念」があることだと思う。

公立の学校に欠けているのは、文科省と教育委員会の指導に従うことが優先され、

学校としての「教育理念」がなく、教員相互の「共有意識」が欠けていると思っている。

 教育で、「自ら学び、自分の頭で考え、正邪を見極め、自ら世界を切り開く力」を

培うことが、「人としての将来への道」になると、私は考える。