今日の毎日新聞の投稿欄で、「ゼロ免課程」との耳慣れない言葉に触れた。

教員養成系学部の卒業要件に、教員免許取得がないということのようだ。

正直に言って、私はこの言葉を知らなかった。というよりも、教育学部は免許

取得が要件であり、教員志望者が入学するものだと思っていた過去がある。

私のことはすでに書いているので要点だけ繰り返す。私は教員になるつもりは

なく、担任の先生が勧めてくれた教育系大学に入ることを拒否し、自分で志望

大学を決めた。大学で教育に関する勉強をしたわけではない。必要な単位を取

得したにすぎない。こんな私が教員を選択し、教育の道を歩んだ。高校の教員

は、文系でも、教育学部の卒業者は少ないとの記憶だ。小・中学の教員のほと

んどは教育系学部の卒業者と認識している。

 来年度15の国立大学で「ゼロ免課程」が廃止される予定と知った。投稿者

は28歳のNPO代表だ。彼はゼロ免課程の卒業者で教員免許は取得したが、

教員採用等に数多くの疑問を持ったと。彼は「実際には全然授業に来ない学生、

授業中に漫画ばかり読んでいた学生、『コピペ』ばかりのリポートや論文を作

っていた学生が何人も教員になっている。」と書いている。また「教員に必要

な能力は非常に高度なものが要求される。養成課程見直しと学校教育以外での

社会経験のある人材登用を増加させることが必要なのではないか。」との意見

である。それも一つの方法であると思う。しかし、社会的経験のある人材をい

かに集めるかの問題と、社会的経験を教育の中でいかに活かすかの課題もある。

 教員として進学校と位置付けられる学校での経験からすると、地方の国立大

学への進学は、「偏差値」が基準になり、中でも教育学部は難易度が低いのが

現実であった。私の大学入学時代を含めて変わっていないのが事実である。

教員に必要な能力は、一定の学力と生き方を含む教育観を経験の中から学び、

自身で確立するものだと私は考えている。教育技術の取得には、教員間の研修

が大事なのではないか。生徒の学力向上に顕著な秋田県の事例が参考になると

思う。生徒に「わかりやすい授業」への不断の努力と、生徒から「信頼」され

る行動が大事なポイントだと考える。言行不一致な教員を少なからず見てきた。

生徒に上から目線でものを言うタイプや、上昇志向の強い教員の傾向とも言え

ると感じていた。また成果主義の考え方でもある。物事を真面目に考えて行動

する教員ほど悩みが大きい。しかし悩むからこそ成長できると信じることだ。

私の教員人生は、「試行錯誤」の連続であった。「東大教授が教える独学学習法」

の著者柳川教授は、「試行錯誤をすることで、最初の段階では時間が多少は

余計にかかるかもしれません。でも、何より独学というのは、自分の頭で考えて、

判断するという繰り返しの中で、知らないうちに、まわりに左右されずに生きて

いく力が身につくものだと思います」と書いている。教授とは学力レベルに違い

はあるが、基本の考え方に同感である。教員も同じである。大学で学んだことが

そのまま通用するものではない。池上彰氏は、東工大教授を引き受けた理由とし

て、理系の成績は非常に優秀だと認めた上で、「社会的な視野が狭かったり、

歴史のことをまったく知らなかったりする。東工大の学生たちに視野の狭い専門

家になってほしくない」との考えからだと書いている。かつて教員を養成する大学

は、リベラル教育だったとの過去の経緯を書いている。池上彰著の「おとなの教養」

で書かれていることである。世界のトップクラスのハーバード大学は、リベラル

アーツ教育が基本であり、「すぐに役に立つことは、世の中に出て、すぐに役に立

たなくなる。すぐに役に立たないことが、実は長い目で見ると、役に立つ。」とい

う考え方であり、「社会に出て新しいものが出てきても、それを吸収し、あるいは

自ら新しいものをつくり出していく、そういうスキルを大学で教えるべきでしょう」

というのが、科学技術の最先端を研究しているマサチューセッツ工科大学の先生の

言葉とし、それが教養であり、音楽も教養の一つだというわけですと。アメリカの

大学の視察をしてから、現代の教養とは何かを考えるようになったと書いている。

 文科省は、大学に研究成果・実績に応じた予算配分を行い、成果が表れない分野

を削減しようとしている。実社会は、競争原理の結果主義であるが、その考え方を

そのまま教育に持ち込むことに疑問を感じ続けてきたのが私である。教育は、国家

100年の体系と昔から言われているように、「長い目で見る」との視点を失って

はならない。また価値観が多様化している現代において、教育も画一的なものでは

いけない。教育を行うのも人であり、教育を受けるのも人である。当たり前のこと

を言っているが、当たり前と思えることが難しいのが人間社会である。現在は、教

員個人の能力だけではなく、教員集団としての教育力が求められていると感じている。

 次の指導要領の改訂の柱が、アクティブ・ラーニング(能動的学習)にあるとの

ことだ。私は、学習の基本要素は、知識力、思考力、聞く力、判断力、表現力の5つ

を考えている。指導要領案では、「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学

ぶ学習」とし、学校教育の重点を「何を教えるか」から「何ができるようになるか」

に大きく転換するという。具体的には現在の「総合的学習の時間」や教科の「言語

活動」を発展させる。基本理念は、子ども・生徒に社会で生きて働く力を養うという。

そうであるならば、今日の投稿者の意見の社会経験のある人材の登用も一つの案で

あり、教員の資質の向上と共に、教員の多様な考え方を養成する教育システムの構築

が求められると、私は考える。視野の狭い教員になってほしくないとの願いである。