文部科学省は今年の4月に実施した全国学力向上テストの結果を公表した。
テストは小学6年生と中学3年生の全員が対象で、約213万人が受けた。
私学の参加率は約47%であった。国語、算数・数学に、今年は理科が加わ
った。2007年度から実施されるようになったが、私は、その頃はまだ
現役であったが、高校にいたので、直接的な状況の把握はできなかった。
静岡県では、結果の公表に関して、川勝知事と前教育長と意見が対立した
経緯がある。川勝知事は、13、14年度に独断で県内の上位100校の校
長名を公表した。教育改革法により、新教育長の創設と首長の権限が強化さ
れた。私は、この法律で知事の教育行政が現場の教育への権限の強化を懸念
する。教員内での議論がされることによる現場の活性化が衰退し、行政の意
向を反映した教育がなされているのが現状である。
大阪では、全国で唯一、学校別成績を公立高校の内申点に反映させることで
物議を醸した大阪府の中学校が成績を大きく伸ばしたことに、「自信になる」
「制度本来の趣旨と異なる」と学校現場の賛否の声が入り混じると報じられて
いる。
教育の世界で常に議論になるのが、目的論と成果論である。成果主義の考え
方に流れる傾向がある。「手段が目的化」がすることに反対の立場を取ってき
たのが私の考え方だ。全国学力テストの目的は、全国的な学力や学習状況を把
握し、教育政策の成果と課題を検証すること、生徒の弱点を把握して授業改善
にいかすことである。この「授業改善」が大事なポイントだと考える。
教育は、こどもと生徒の「幸福」のためである。子ども・生徒の「自立」に
必要な善悪の価値観及び物事の見方・考え方の基礎となる「学力」を身につけ
させることが大事である。結果を目的とする成果主義に捕らわれてならない。
数字に表れる成果主義はわかりやすく、世間の評価を受ける。世間一般では、
学校の評価が、進学実績でされている。進学実績が学校評価になること自体が
誤まりであるが、教育の成果は表れにくいのである。「喜び」や「充実感」
という内面を数値化することはできない。進学実績は一面的な評価であり、
学校教育への評価とは言えない。
多くの親は、子どもを俗に言う「良い学校」に入れたいとの考え方は、昔も
今も同じである。いやむしろ強くなっていると考えられる。社会が変化したに
も関わらず学校への意識は変わっていない。旧来の価値観が通用する時代では
ないことを感じているはずだが。価値感が多様化しているのが現代社会である。
家庭教育が脆弱な故に、学校教育への関心・期待・依存が大きいのだろうか。
教員が多忙化し、負担が重くなっているのが教育現場の状況である。学校もこの
20年で大きく変化している。私のような団塊の世代も退職し、教員間の議論が
なされていないと聞いている。教育力が衰退していると言わざるえない。
「人としての教育」への懸念を感じる。教育の目的を見失うことがないよう
願うと共に、「自立」と「自律」を育てる教育を。
テストは小学6年生と中学3年生の全員が対象で、約213万人が受けた。
私学の参加率は約47%であった。国語、算数・数学に、今年は理科が加わ
った。2007年度から実施されるようになったが、私は、その頃はまだ
現役であったが、高校にいたので、直接的な状況の把握はできなかった。
静岡県では、結果の公表に関して、川勝知事と前教育長と意見が対立した
経緯がある。川勝知事は、13、14年度に独断で県内の上位100校の校
長名を公表した。教育改革法により、新教育長の創設と首長の権限が強化さ
れた。私は、この法律で知事の教育行政が現場の教育への権限の強化を懸念
する。教員内での議論がされることによる現場の活性化が衰退し、行政の意
向を反映した教育がなされているのが現状である。
大阪では、全国で唯一、学校別成績を公立高校の内申点に反映させることで
物議を醸した大阪府の中学校が成績を大きく伸ばしたことに、「自信になる」
「制度本来の趣旨と異なる」と学校現場の賛否の声が入り混じると報じられて
いる。
教育の世界で常に議論になるのが、目的論と成果論である。成果主義の考え
方に流れる傾向がある。「手段が目的化」がすることに反対の立場を取ってき
たのが私の考え方だ。全国学力テストの目的は、全国的な学力や学習状況を把
握し、教育政策の成果と課題を検証すること、生徒の弱点を把握して授業改善
にいかすことである。この「授業改善」が大事なポイントだと考える。
教育は、こどもと生徒の「幸福」のためである。子ども・生徒の「自立」に
必要な善悪の価値観及び物事の見方・考え方の基礎となる「学力」を身につけ
させることが大事である。結果を目的とする成果主義に捕らわれてならない。
数字に表れる成果主義はわかりやすく、世間の評価を受ける。世間一般では、
学校の評価が、進学実績でされている。進学実績が学校評価になること自体が
誤まりであるが、教育の成果は表れにくいのである。「喜び」や「充実感」
という内面を数値化することはできない。進学実績は一面的な評価であり、
学校教育への評価とは言えない。
多くの親は、子どもを俗に言う「良い学校」に入れたいとの考え方は、昔も
今も同じである。いやむしろ強くなっていると考えられる。社会が変化したに
も関わらず学校への意識は変わっていない。旧来の価値観が通用する時代では
ないことを感じているはずだが。価値感が多様化しているのが現代社会である。
家庭教育が脆弱な故に、学校教育への関心・期待・依存が大きいのだろうか。
教員が多忙化し、負担が重くなっているのが教育現場の状況である。学校もこの
20年で大きく変化している。私のような団塊の世代も退職し、教員間の議論が
なされていないと聞いている。教育力が衰退していると言わざるえない。
「人としての教育」への懸念を感じる。教育の目的を見失うことがないよう
願うと共に、「自立」と「自律」を育てる教育を。