私たちのと冠するタイトルのブログは初めてだ。

今日は、昭和の日であるが、私たちの結婚記念日である。

昭和47年(1972年)の天皇誕生日である。

出会いから1年半だ。妻との出会いはブログに書いてある。

二人とも若かった。43年の歩みを簡単に書くことはできないが、

とても長く感じられるが、色々な事が昨日のことのような感じ

もしている。一言で、妻に「ありがとう」と言いたい。

私の世代は、なかなか口で言うことができない。以心伝心だと。

私は、ブログを書くようになってから、あらためて、自分を見つめ

直すことになった。ありのままを伝えたいと思えば思うほど、

自分の心の中へと思いをめぐらすことになる。

青年抄の次の言葉を思索している。


 すばらしい恋愛は

 誠実で成熟した

 「自立した個人」と「自立した個人」の

 間にしか生まれない

 ゆえに自分を磨くことが大切なのである


 私たちの出会いから、結婚までは、「私の人生の記憶」に書いた。

生徒にも授業で話してきた。妻は、望んではいなかった。

妻は、「二人だけの思い出」にしておきたかったと言う。私が公開して

しまった。生徒にありのままの自分を伝えたかったからだ。

このようなことは、少なからず私たちにはあったと思う。男女の違い、

生育過程の違い、性格の違い等いろいろなことが異なっている。

私には、性格的な甘さがあるが、妻は、性格的な辛抱強さがあり、

芯が強い。ともに頑固である。あまり喧嘩をしたことはないが、

話しをしなくなってしまう。妻が口を閉ざすのだ。最近知った

ことだが、私に腹が立った時には、「タカシのばかやろう!」と

言っていたそうだ。聞くまで知らなかったことだ。

私には感じ取れないことがあったのだ。妻に甘えて、好きなように

やっていたから。また許してくれていると思い込んでいた。

勝手なものだ。妻は、私に不満や文句を言うことはほとんどなく、

自分の中にしまいこみ、爆発した言葉であろう。

 私と妻の共通部分を探して見ると、「好み」ではないだろうか。

衣服や家具などのインテリアを選ぶ時に、もめるようなことは一度も

なかった。お互いの好みを知っているからだけではなく、好みが似て

いるからだろう。私が「これはどうだろう」と言う物には、異を唱える

ことはほとんどなかった。「こちらはどう」とはもちろん言うが、

食い違いはおきなかった。妻は綺麗好きで、整頓されてないと気がすま

ないタイプだ。一方、私も綺麗好きであるが、整理整頓には、割と無頓着

なところがある。手抜きだと思う。やればできることだから。それよりも

面と向かっている世界に入り込んでしまうタイプなのだ。それを見ていて、

内心苛立っているのが妻だ。要するに片付かないということだ。

私は私で、区切りをつけるまでは、食事も遅らせるし、寝るのを遅くなる。

いわゆる凝り性のマイペースだ。こんな私だが、妻にはほとんど全てのこと

を話している。仕事のことも話している。仕事でも、家庭でも同じことを

話している。妻は私の聞き役だ。私の思うこと、考えていることをすべて

話していると言ってもいいだろう。私は、愚痴は言わないし、井戸端会議的

な話題を好まない。週刊誌を読むこともなければ、芸能ニュースにも関心が

ない。したがって、そのようなことが話題になることはない。私は、

生来話し好きな人間である。職場でも家庭でも変わらない。そのことだけが、

私の取り柄であり、表と裏のなさが、プライドでもある。話しだしたら止ま

らない。体調が悪い時には、話す気もおきない。そんな日々が長く続いた。

妻は黙って見守ってくれていた。私は、以前孫に、「じいじはねんね!」

との言葉は忘れない。私の状態を見ているのだ。毎日同じ姿を見ていたのだ。

私にはどうすることもできなかった。

先日、どういうわけか、二人の孫が私にまとわりついてきた。戸惑いととともに

嬉しかった。妻と顔を見合わせて、どういうことだろと不思議がっていたのだ。

夫婦に大切なことは、思いを遣うとの思いやりではないだろうか。

私が一番心配なのは、妻の健康である。妻も私に、同じ思いを抱いている。

夫婦は、心の距離感が一番近く、「安心感」がすべてではないだろうか。

この歳になって実感している。

 時間を戻すが、お互いに「誠実」な恋愛だったと思っている。

未熟故にわからないことがたくさんあったが、お互いをよく知り合う努力

をしたとが、「無理がなく自然」であり、楽であったと感じている。

妻が私に、負担にならければ、ついていきたいとの言葉は忘れない。


 結婚を「ゴールイン」というのは

 必ずしも適切ではないと思う。

 むしろ結婚は新しい「スタート」

 考えてはどうだろうか。

 夫は、妻と家庭に対する責任

 妻は、夫と家庭に対する責任

 それぞれ背負ったレースといえる。
           
             (100文字の幸福抄より)


 私が、結婚して一番感じていたことは、「責任」との言葉である。

私たちは、家庭を作り、大事に育てたいとの「共通の思い」を抱き、

その「責任」を感じていた。言葉にして話したことはないが、

「以心伝心」というものだ。今とは時代が違う。私たちの家には、

テレビがなかったくらいだ。電話は入れた。電話の加入にも結構お金が

かかった時代だ。まして、携帯やスマホのような通信機器は想像もでき

なかった時代だ。便利に物が豊かな時代になったが、人の心は豊かに

なっただろうか。なってはいないのが事実だと思う。

 結婚直後に、中古のテレビをもらい、半年後にテレビを買った。

下田は、有線テレビが入っていたので、東京のチャンネルを見ることが

できた。テレビの値段は忘れたが、給料〈4万くらい)の倍はしたとの

記憶だ。先日、32インチのテレビを4万で買ったが、今の世代には

信じられないことだろう。

 二人のスタートは、私が定時制勤務のために、夜型の生活スタイル

だった。朝は遅く、昼食を取ってから、2時半ごろ家を出て、歩いて

学校へ行った。まだ車社会になる前のことだ。学校には、昼間の教員が

3人くらい車で通勤していた程度である。

 私たち夫婦は、物の豊かさの前の時代を知る世代である。同じ歳である

ので、時代経験は全く変わらない。妻は誰も知り合いのいない場所で、

夜型の生活を余儀なくされたのだ。あとで知ったが、私が帰るまでの

夜の時間は寂しかったようだ。そのことを一度も口にしたことはなかった。

私の帰宅は夜の11時頃で、それから夕食だった。土曜日には、独身の

同僚を家に呼んで、朝まで麻雀をやっていた。一度も文句を聞いたことが

ないので、私は当たり前に考えていた。そんな私であった。

 2年目に長男が生まれ、妻は育児にかかりきりになった。育児は妻に

任せきりだった。今の時代では通用しないことだ。私の世代の特徴として、

男は外で仕事、女は内で家事との役割分担意識が強い。後に、妻は私に、

「亭主関白」の最後の世代だと言った。その通りだ。今は、朝の食事の

片付けは私の仕事になっている。私も変化はしている。

 私と妻の人間のタイプが違うが故に成り立つ夫婦である。内助の功

という今では死語になっている言葉が相応しい。「愛情と信頼」を

基盤に支え合う「心の絆」が、私たち二人の間に育ってきたと言える。

私たちは人生のパートナーであり、生涯の苦楽を共にしてきた同志である。

同じ方向に、同じ道を並んで歩くということである。妻は、現実の生活を

大事にし、私は、ロマンを求める自由人であるが、家庭は大事にしてきた

つもりだ。自由人との言葉は、三島南高校の英語科の先輩が私を評して

言った言葉である。妻に支えられての自由人との表現が適切であろう。

妻の最大の特徴は「芯が強い」ことである。私は自由人などとほざき、

個性は強いが、心が弱い人間である。 このような二人の異文化を持つ

人間が出会い、結婚し、子どもを育て、親を送り、家を持ち、ぎりぎりの

生活をしながら、苦労をともにしてきた歴史が、私たちの歴史である。

この10年を超える期間、私が病気で苦しんでいた時期は、妻も苦しんで

いたと思う。「同苦」である。孫ができてからは、孫中心の生活になって

いる。私は見守っているだけである。息子たちの時と同じように、孫が

妻に言うことをすべて、私に話してくれる。私は、孫に話してあげられる

時がくるのを待っている。

 ともかく、今は、健康で二人で共有する時間を大切にしたいと思う。二人の

健康状態がそろわないと出かけることもできない。先のことはわからない。

二人のどちらかが先に死を迎える。かってだが、私を残してほしくはない。

私を送ってほしいとの祈りである。私を支えてくれて「ありがとう!」。

これからの二人の時間を大切にしたい。