昨日のテレビで、藤の花の専門家の話しを聞いて、どうしても
藤の花を見たくなったが、浜松フラワーパークまで行くことは考えられ
なかったので、沼津の藤の花名所でネット検索した。三か所がヒットした。
御用邸記念公園、藤の八重塔(個人のお宅)、藤まつりの個人のお宅だ。
藤の八重塔の写真を見て、行きたくなった。地名から場所の見当はつくが
わからないので、御用邸に行くことにした。
10時頃に、出かけるよと妻を誘った。途中で、フードセンターで、
お弁当に、三色そぼろ寿司を買った。記念公園の中で、食べるためだ。
このような経験をしたことがない。
御用邸記念公園に着くとすぐ、守衛の人に、藤の八重塔のお宅を尋ねた。
予想通り、近くにあり、歩いて10分程度の道路沿いのお宅だと聞いた。
入口の手前で、家族で記念写真を撮る人がいたので、撮りますよと
声をかけた。その後で、写真を撮ってくださいとお願いした。私たちの
記念写真だ。御用邸の中に入れるとのことで、入場券を買い、撮影が可能か
どうかを尋ね、中に入った。その中の5枚の写真をフェイスブックに投稿した。
窓ガラスに歪みがあったので、そのことを話していた時に、スタッフの女性が
声をかけてきて説明してくれた。ガラスの日本の技術のこと、技術が進歩した
ために、100年前の再現ができないこと、現在のガラスは、ドイツの技術で
あることを知った。メインテナンスの難しさや保存することの大変さの
話しをした。御用邸は昭和44年に廃止された。沼津市に移管され、20年前に
公開されるようになったようだ。私が、御用邸に来たのは、30年くらい前なので、
中には入れなかった。外から眺めただけであった。この女性スタッフとは、
10分以上話したと思う。沼津港湾の食レベル、深海水族館等の意見を交換し、
意見が一致し喜んでいた。よい会話になった。
御用邸を出てから、公園を散策した。駿河湾を眺めた。右側に牛臥(うしぶせ)山、
正面に、大瀬崎、左側に達磨山、淡島が見える。この位置からは、富士山は、更に
右側で、松林に隠れるように見えるそうだ。今日はかすんでいるので、富士山は
見えなかった。
公園内の松林の中の日蔭の場所に座って、買ったお弁当を食べた。このような
経験は初めてだ。お店で食べていたので。これからもこのような機会はあるかどうか
わからない。これはこれでよかったし、おいしいお弁当だった。
この後、松林の中を散策した。カラスがうるさかった。カラスに「食べ物がないぞ」
と言ってやった。ゆったりとした時間だ。現役の頃には味わえない感覚だった。
健康でなければ味わえない。二人でいつまでこのような時間を持てるかと話した。
歴史資料館へ入った。かつて沼津が漁港で、内浦長浜のマグロ建切網漁のジオラマ
(模型)で、マグロの大群を閉じ込めて生け捕りにした歴史があった。駿河湾でマグロ
が捕れたとの話しを聞いたかすかな記憶があるが、これほどのマグロが回遊していた
とは思わなかった。駿河湾は海底が深く、魚の宝庫である。先程の話しになるが、
その割には、食レベルが低い。観光バス相手の仕事しかしていない。おいしいものを
食べられる店を探すのは難しい。有名になっている「丸天」にしても、普通である。
海鮮は他の場所のほうがおいしいのが事実である。21日に、「丸天」で食べた
率直な感想である。こんな話しを、沼津在住の御用邸スタッフの女性と話したのだ。
歴史資料館を出ると、藤棚であるが、まだ時期が少し早い。でも、藤の香りが
心地よい。藤棚を通り抜けて、再び松林に出た。気持ちがいい。
東附属邸の庭園が無料だった。庭園の中を散策した。落ち着いた庭園だ。
東附属邸は明治36年、昭和天皇の学問所。赤坂離宮の東宮官舎を移築して
造られたと。夏期には、隣地の学習院遊泳場とともに、ご利用の機会が多かった
との説明が書かれていた。昭和44年に廃止された。私が大学3年の年になる。
私は、小学校の臨海教室で、御用邸の近くの海岸に来た記憶が残っている。
いつ頃まで泳ぐことができたのかは知らないが、後に行く島郷の海岸は、私が
静岡に来てから泳ぎに来たことを覚えている。今は、遊泳禁止になっている。
公園を出て、藤の花を見に行った。島郷のバス停の少し先のところに、八重塔の藤
が見えた。見頃で、素晴らしかった。数えると、八重ではなく、九重であり、十重の
藤になるような感じがした。個人のお宅なので、中には入ることができないので、
門の所から見させて頂いた。カメラの電池切れが恨めしかった。記憶に刻んだ。
来年来ることができれば来て、写真におさめたい。
再び記念公園の方へ戻り、駐車場へと向かった。車に乗って、牛臥山公園へ行った。
この場所は全く知らなかった。記念公園で教えてもらったのだ。大山巌の別荘の跡地
が公園になっている。波の音を聞き、砂浜を歩いた。このようなこともいつ以来かは
思い出せない。私の息子の子どもの頃へ遡ることになる。近いうちに、孫の砂遊びに
連れてきたいと思った。
「海底から姿を現した牛臥山」伊豆半島の生い立ちが図解されている。
伊豆半島がまだ南の海底火山だった頃、牛臥山の原型が誕生しました。牛臥山だけでなく、
その東側にある香貫(かぬき)山や徳倉山は伊豆と本州の衝突にともなって海底からその姿
を現し、その後の浸食によって作られた山々です。これらの山々が標高が低いながら急峻な
地形をしているのは、海底火山の内部にあったマグマの固い部分が長い浸食によって洗い出
されているからです。箱根火山から多賀火山(箱根から伊豆にかけてなだらかな丘陵)
の写真の奥に見えている。伊豆半島になったあとで噴火が始った火山に比べるとその
地形の違いがはっきりわかります。険しい太古の海底火山のなごりとなだらかな
「陸上火山」との説明を書き写した。今までわからなかった自然の地形の成り立ちを
学んだ。私の同僚で百名山に連れていってくれたAさんが、香貫山やそれに続く稜線
の山々を甘くみてはいけないとの言葉の意味がわかる気がした。
この後、松本民芸家具とネルドリップ コーヒー専門店 「あずみ野」
(055-932-5444)に20数年ぶりに立ち寄った。こちらに来ると、
立ち寄る。昭和の香りの残る喫茶店である。オーディオ装置が素晴らしい店である。
今回は、マスターと話しをした。同じ昭和22年生まれである。私の知らない
「音楽の世界」を3枚のレコードを聞かせていただき、教えてもらった。
アンプ、真空管、カートリッジ等貴重なものを説明してもらった。1932年に
設計開発のオーディオ西洋管845タイプ。シュバイツァーの録音レコード、
1939年、教会のミサのレコード。「人間の魂」の世界とのことだ。音楽音痴の
私の心に響く音楽である。心が動かされる世界だ。私の知識では紹介できないが、
このような喫茶店が生き残っていることは嬉しいことだ。マスターの「この歳になると」
との言葉で分かり合える。歩んできた道が違うが通じ合うものがある。有意義な時間
となった。「また来ます。ありがとうございました」と私は言った。私がこのような
言葉を店主に言ったことのない人間が、自然に出てきた言葉だ。オープンから40年を
超えて入ると聞いた。私たち夫婦が29日で満43年である。ほぼ同じ歴史を歩んだ
ことになる。日本全国から通の人が来る理由がわかる。次の機会を楽しみにしている。
思いがけない一日になった。
藤の花を見たくなったが、浜松フラワーパークまで行くことは考えられ
なかったので、沼津の藤の花名所でネット検索した。三か所がヒットした。
御用邸記念公園、藤の八重塔(個人のお宅)、藤まつりの個人のお宅だ。
藤の八重塔の写真を見て、行きたくなった。地名から場所の見当はつくが
わからないので、御用邸に行くことにした。
10時頃に、出かけるよと妻を誘った。途中で、フードセンターで、
お弁当に、三色そぼろ寿司を買った。記念公園の中で、食べるためだ。
このような経験をしたことがない。
御用邸記念公園に着くとすぐ、守衛の人に、藤の八重塔のお宅を尋ねた。
予想通り、近くにあり、歩いて10分程度の道路沿いのお宅だと聞いた。
入口の手前で、家族で記念写真を撮る人がいたので、撮りますよと
声をかけた。その後で、写真を撮ってくださいとお願いした。私たちの
記念写真だ。御用邸の中に入れるとのことで、入場券を買い、撮影が可能か
どうかを尋ね、中に入った。その中の5枚の写真をフェイスブックに投稿した。
窓ガラスに歪みがあったので、そのことを話していた時に、スタッフの女性が
声をかけてきて説明してくれた。ガラスの日本の技術のこと、技術が進歩した
ために、100年前の再現ができないこと、現在のガラスは、ドイツの技術で
あることを知った。メインテナンスの難しさや保存することの大変さの
話しをした。御用邸は昭和44年に廃止された。沼津市に移管され、20年前に
公開されるようになったようだ。私が、御用邸に来たのは、30年くらい前なので、
中には入れなかった。外から眺めただけであった。この女性スタッフとは、
10分以上話したと思う。沼津港湾の食レベル、深海水族館等の意見を交換し、
意見が一致し喜んでいた。よい会話になった。
御用邸を出てから、公園を散策した。駿河湾を眺めた。右側に牛臥(うしぶせ)山、
正面に、大瀬崎、左側に達磨山、淡島が見える。この位置からは、富士山は、更に
右側で、松林に隠れるように見えるそうだ。今日はかすんでいるので、富士山は
見えなかった。
公園内の松林の中の日蔭の場所に座って、買ったお弁当を食べた。このような
経験は初めてだ。お店で食べていたので。これからもこのような機会はあるかどうか
わからない。これはこれでよかったし、おいしいお弁当だった。
この後、松林の中を散策した。カラスがうるさかった。カラスに「食べ物がないぞ」
と言ってやった。ゆったりとした時間だ。現役の頃には味わえない感覚だった。
健康でなければ味わえない。二人でいつまでこのような時間を持てるかと話した。
歴史資料館へ入った。かつて沼津が漁港で、内浦長浜のマグロ建切網漁のジオラマ
(模型)で、マグロの大群を閉じ込めて生け捕りにした歴史があった。駿河湾でマグロ
が捕れたとの話しを聞いたかすかな記憶があるが、これほどのマグロが回遊していた
とは思わなかった。駿河湾は海底が深く、魚の宝庫である。先程の話しになるが、
その割には、食レベルが低い。観光バス相手の仕事しかしていない。おいしいものを
食べられる店を探すのは難しい。有名になっている「丸天」にしても、普通である。
海鮮は他の場所のほうがおいしいのが事実である。21日に、「丸天」で食べた
率直な感想である。こんな話しを、沼津在住の御用邸スタッフの女性と話したのだ。
歴史資料館を出ると、藤棚であるが、まだ時期が少し早い。でも、藤の香りが
心地よい。藤棚を通り抜けて、再び松林に出た。気持ちがいい。
東附属邸の庭園が無料だった。庭園の中を散策した。落ち着いた庭園だ。
東附属邸は明治36年、昭和天皇の学問所。赤坂離宮の東宮官舎を移築して
造られたと。夏期には、隣地の学習院遊泳場とともに、ご利用の機会が多かった
との説明が書かれていた。昭和44年に廃止された。私が大学3年の年になる。
私は、小学校の臨海教室で、御用邸の近くの海岸に来た記憶が残っている。
いつ頃まで泳ぐことができたのかは知らないが、後に行く島郷の海岸は、私が
静岡に来てから泳ぎに来たことを覚えている。今は、遊泳禁止になっている。
公園を出て、藤の花を見に行った。島郷のバス停の少し先のところに、八重塔の藤
が見えた。見頃で、素晴らしかった。数えると、八重ではなく、九重であり、十重の
藤になるような感じがした。個人のお宅なので、中には入ることができないので、
門の所から見させて頂いた。カメラの電池切れが恨めしかった。記憶に刻んだ。
来年来ることができれば来て、写真におさめたい。
再び記念公園の方へ戻り、駐車場へと向かった。車に乗って、牛臥山公園へ行った。
この場所は全く知らなかった。記念公園で教えてもらったのだ。大山巌の別荘の跡地
が公園になっている。波の音を聞き、砂浜を歩いた。このようなこともいつ以来かは
思い出せない。私の息子の子どもの頃へ遡ることになる。近いうちに、孫の砂遊びに
連れてきたいと思った。
「海底から姿を現した牛臥山」伊豆半島の生い立ちが図解されている。
伊豆半島がまだ南の海底火山だった頃、牛臥山の原型が誕生しました。牛臥山だけでなく、
その東側にある香貫(かぬき)山や徳倉山は伊豆と本州の衝突にともなって海底からその姿
を現し、その後の浸食によって作られた山々です。これらの山々が標高が低いながら急峻な
地形をしているのは、海底火山の内部にあったマグマの固い部分が長い浸食によって洗い出
されているからです。箱根火山から多賀火山(箱根から伊豆にかけてなだらかな丘陵)
の写真の奥に見えている。伊豆半島になったあとで噴火が始った火山に比べるとその
地形の違いがはっきりわかります。険しい太古の海底火山のなごりとなだらかな
「陸上火山」との説明を書き写した。今までわからなかった自然の地形の成り立ちを
学んだ。私の同僚で百名山に連れていってくれたAさんが、香貫山やそれに続く稜線
の山々を甘くみてはいけないとの言葉の意味がわかる気がした。
この後、松本民芸家具とネルドリップ コーヒー専門店 「あずみ野」
(055-932-5444)に20数年ぶりに立ち寄った。こちらに来ると、
立ち寄る。昭和の香りの残る喫茶店である。オーディオ装置が素晴らしい店である。
今回は、マスターと話しをした。同じ昭和22年生まれである。私の知らない
「音楽の世界」を3枚のレコードを聞かせていただき、教えてもらった。
アンプ、真空管、カートリッジ等貴重なものを説明してもらった。1932年に
設計開発のオーディオ西洋管845タイプ。シュバイツァーの録音レコード、
1939年、教会のミサのレコード。「人間の魂」の世界とのことだ。音楽音痴の
私の心に響く音楽である。心が動かされる世界だ。私の知識では紹介できないが、
このような喫茶店が生き残っていることは嬉しいことだ。マスターの「この歳になると」
との言葉で分かり合える。歩んできた道が違うが通じ合うものがある。有意義な時間
となった。「また来ます。ありがとうございました」と私は言った。私がこのような
言葉を店主に言ったことのない人間が、自然に出てきた言葉だ。オープンから40年を
超えて入ると聞いた。私たち夫婦が29日で満43年である。ほぼ同じ歴史を歩んだ
ことになる。日本全国から通の人が来る理由がわかる。次の機会を楽しみにしている。
思いがけない一日になった。