昨日は、鎌倉へ行き、そして横浜へ行った。

今回の目的は、二つあった。一つは、鏑木清方の「朝涼

を見たかった。前回見たのは、レプリカだった。

もう一つは、安藤ニキさんの作品を、生の画を見たかった。

そのために、展示が重なっている平日を選んだ。

前回、私のせいで、報国寺に行けなかったので、予定に

入れておいた。私の好きな庭園である故に。

三島8時33分発の電車に決め、三島北口の駐車場へ車を

置いた。10時21分に鎌倉に着いた。

 駅からは、バスを利用した。そのバスの中で、外国人夫妻を

見かけた。運転手に報国寺の下車地を尋ねているのを、耳に

したので、奥さんに、英語で話しかけた。イタリア人との

ことだった。その夫妻の話す言葉は全くわからかったが、

奥さんが英語で答えてくれた、。4日間の日本の滞在で、初めての

日本とのことであった。金沢から東京、東京は雨だった。

雨は嫌だと。昨日は天気が良かったので、鎌倉に来て喜んでいた。

私たちも報国寺へ行くと伝えたら、後についていくと言ったので、

報国寺へと案内した。私は、およそ20年ぶりに来た。遠足の

引率だったので、妻とではない。妻は初めてだ。

 ここは、竹林としてよく知られているが、サンシュユ木の

ある美しい砂紋、裏山の自然を取り入れた庭が、実に美しい。

鎌倉の中で、一番好きだ。これで三度目に過ぎないが、今回は

妻と二人で眺めることに意味があった。外人夫妻は、奥さんが

積極的で、旦那さんが後についているようだった、やはり

写真を撮っていた。記念に写真を撮ったが、旦那さんは遠慮した。

イタリア人夫妻は、この後、大仏に行くと言っていた。

私は八幡宮を紹介した。と言っても、最も多くの人が訪れる

有名な所程度の紹介だ。10分程度で歩いて行ける。通り沿いに

歩いて行けると伝えた。そこで別れた。私たちは、少しの時間

庭園を眺め、報国寺を後にした。昼食まで時間があったので、

もう一か所行くことにした。私が知る浄妙寺にしようかと思ったが、

私の知らない杉本寺に行ってみた。そこで再び、イタリア人

夫妻とあった。彼女は、ここが気に入ったようだ。街並みよりも

日本的な感じのする場所のほうが、好きだと繰り返し言っていた。

「I prefer native places in Japan.」と、prefer の言葉を何回も

使っていた。ランチはおそばを食べると伝えた。1時にランチに

天ぷらを食べると言っていた。まだ12時前であった。そこから歩いて。

岐れ路のところで。二度目の別れの挨拶をした。笑顔であった。

 八幡宮から、大仏へ、その後、小田原から箱根に行って戻り、

翌日からは、高山、京都、大阪、広島まで行くとのことだった。

まさに駆け足の旅行である。very busy の言葉が印象に残る。

数年ぶりの英語による日常会話であったが、楽しかった。

日本(人)への思い出になってくれれば、嬉しい

 私たちは、「千花庵」に入って、蕎麦を食べた。青森と

山形の2種類の蕎麦と天ぷらを食べた。とてもおいしい。

お勧めできるお店である。そのあと八幡宮を経由して、小町通り

から、鏑木清方記念美術館に行き、「朝涼」を展示室で見た。

幸いなことに、展示室には、他にお客さんがいなかった。

じっくり見させてもらった。前回は3月の中頃で、レプリカを

見た。実物が年に一度の特別展で見られることを知った。どうしても

見たかった。電話で問い合わせせて、展示期間を知ったのだ。

フェイスブックで友達になっている安藤父子展「プルガダイス

2015の展示期間を知り、その二つが重なるように予定を

立てた。妻は、花粉が、と言い行きたくないようなことを言って

いたので、説得した。横浜へは一人で行くから、大船の実家

にいけばいいと言った。

 幸いなことに、天気に恵まれた。雨だけは避けたいとの気持ちだった。

雨なら、妻は行かないと言っていた、日を遅らせるか、一人で行くかの

選択になる。鎌倉には妻と行きたかった。1日のプランは、時間を

含めて調べ、立て楽しみにしていた。実にラッキーだった。

私たち夫婦は出かける機会は多くはなかったが、雨に降られたとの

記憶はほとんどない。北海道に行った時も、ほぼ1週間だったが、

バスの中では、雨に降られたが、見学の時には、あがっていた。

特に印象深いのは、霧の摩周湖である。展望台に立ったときに、さっと

霧が晴れて、摩周湖全体を見ることができた。ラッキーな気持ちであった。

 話しがそれた。「朝涼」を見て、満足して、小町通りを歩いた。

遠足の生徒たちで溢れていた。いつものように漬物の店「味くら」で

試食して買ったが、買う漬物は決まっている。鎌倉に来て、この店に

立ち寄らないことはほとんどない。

 駅で妻と分かれ、横浜へ向かった。みなとみらい線を探した。

東急線と同じ方向であったが、地下へ降りていくことは初めてだ。

切符を買うときにわからなかった。案内所の人に尋ねた。販売機

へと一緒に来てくれて教えてくれた。同じ販売機で、東急線と

みなとみらい線を買うのだが、最初にそのどちらかのボタンを押さ

ないと買えないことがわかった。終点の元町・中華街で降りた。

人の流れのまま歩いたら、出口が違っていた。尋ねてみると、

反対側の出口に出たようだ。再度ホームに戻り、その反対の出口に

向かった。地下から出た場所の位置はすぐにわかった。知っている

景色であった。時間も予定の時間の3時半であった。岩崎ミュージアム

への最短の道がどちらの坂を上がるのか、事前に調べたところでは、

5番出口とのことであったが、迷いがあったので、知っている谷戸坂

へ向かい、坂を上がった。坂がこんなにきついとは思っていなかった。

丘の見える丘公園の入り口に着いた。懐かしい場所である。青春時代

が蘇ってくる。そこから外人墓地の方へ向かった。途中で、ある建物

の横に守衛の人がいたので、岩崎ミュージアムの場所を尋ねた。馬鹿な

話しだ。その建物が目的の場所だった。2階へと上がって行った。

人がいなかった。男の人が座っていた。その場所へ生き、名前を告げた。

安藤和夫さんであった。初対面の挨拶を交わした。フェイスブック

の友達関係であるが、面識はなかった。そこへニキさんが控室から

でてきたので、挨拶を交わした。お顔は最近のプロフィールの写真で

見ているので、すぐにわかった。しばらく作品を見せていただいた。

安藤さんとお話しができいろいろなことを伺った。山崎さんとのことも

話題になった。山崎さんのおかげで、フェイスブックで知り合うことが

できたのだ。今私の手元にある「誰にでも、言えなかったことがある」

の表紙の画は、ニキさん画との認識がなかった。そのことを安藤さんから

教えられ、実物を見ることができた、本の表紙もいいが、実物はずっと

良かった。大きな作品にしか目がいってなかったので。見落とすところだった。

いい画である。

 ニキさんと話す時間も持つことができた。油性、マンガ、銅版画の全て

が自己表現であり、区別はないとの話しが、印象深い。自己の内面の

世界を追求し、感じたままを表現しているようだ。手段、方法は問題では

ないとのことである。頭では十分理解ができるが、銅版画にはそれなりの

技術が必要だと思っている。素人考えである。安藤さんも、方法や技術の

問題ではないと言っているが、私のように、何の技術も持たない人間

にとっては、その方法や技術のことを考えてしまう。もちろん一番大切

なことは、表現そのものである。そのことは十分理解できるつもりだ。

私もブログを書いている。物書きではないので、方法や技術は知らない。

私にあるのは「経験」だけである。それを言葉にして表現している。

表現したい」との想いで書いているので、楽しいのだ。私は文を書くのが、

苦手だと思っていた人間である。現役の頃、図書課長との立場上、文を

書かなければならないことになった。50歳前である。何をどう書いて

いのかわからなかったのが、正直なところである。最初の原稿は、同僚であり、

友の教務課長のEさんに読んでもらい、コメントを求めた程だ。書くことに

自信も何もなかった。これも「試行錯誤」であった。この頃は、ワープロ

を使っていたので、書き直しが楽であった。これが私が文を書く最初であった。

ワープロからパソコンへと移行していった。書くことへの障害はなくなった。

私が、本格的に(?)書くようになったのは、2010年の1月に、私の

幼少から高校時代まで一気に書いて、生徒にプリントして、よかったら

読んでほしいと伝えたことが始まりである。生徒の反響は大きなものであった。

その続きを書いたのは、2014年8月から10月にかけてであった。

私の人生の記憶」と題した自分史である。同時に英語教員の記録として、

私の英文法対話」を書き、最後の項目まで完成させた。自分の人生の記録として、

息子や、孫に残して置きたいとの気持ちが動機である。ブログという手段を

知ったので、すべて公開することにした。友や、連絡の取れる教え子に、

メール、葉書、手紙、電話で伝えた。書き終えた10月の後半から体調が落ちて行った。

これでブログも終わりとの気持ちになった。しかし、例文集でつないでおいた。

卒業生が、何名もブログを読んでいるとの年賀状をもらった。それが私への

励まし」になった。ある卒業生は、ブログがお休みしていると、体調が心配との

ことを書いてくれている。嬉しい。本当に嬉しい感謝の気持ちだ。その気持ちが

私を支えている。だから、私の全てをありのままに伝えたいのだ。その手段・方法が

ブログだ。そこが私の「居場所」になった。体調の回復とともに、私の内なるエネルギー

がでてきていている。それを「言葉で表現」している。すべて私の本音である。

一人の人間の人生の歩みが、参考になればなるほど嬉しい。それ以外の何物でもない。

今は、書くことが楽しいのだ。そんな「自分を発見」したのだ。

 また話しがそれた。岩崎ミュージアムを後にして、石川町へ向かった。40年以上

の歳月が流れている。道路が整備され建物も新しくなっている。フェリス女学院の

前を通り、途中で女子高校生の二人の英語が耳に入ってきた。一人は日本人である。

インターナショナルな世界が現実だ。そのまま高台を歩いていると、石川町の駅が

わからなかった。石川町の上を通り過ぎたようだ。人に訪ねた。高台から坂を下り、

戻って駅に着いた。根岸線に初めて乗った。大船へ向かった。大船での驚きが一つ

ある。時間は5時半。喉が渇いていたので、スターバックスの入ろうとしたら、

待たされた。それが最初の驚きで、入ってからの雰囲気が私の知っていた世界とは

違っていた。それぞれの個人が自分の世界に入っている。他の場所では、おしゃべり

している人たちがいた。最近私の居住地にも、「イノダ珈琲店がオープンして2年

以上経つが、入ったのは、3回であるが、一人ではない。私の知っている昭和の

喫茶店とは明らかに違う。中にいる人の世界が違うのを感じたが、スターバックス

でそのことを更に強く感じた。時代の変化である。人の変化である。人と人のつながりの

ない時代になっている。SNSの世界には、このような背景があるようだ。

 私はアイスカフェラテを飲んですぐに店を出て、妻のいる実家へ行き、そこに住む

義弟と3人で夕食を取り、8時の列車で帰途についた。昨日は、8キロ、1万3千歩

以上歩いた。とても疲れた。でも楽しい一日であった。