「経験」について書くことにする。
いつものように、デザインがあるわけではない。
「経験」は、「学び」と不可分であるが故に、テーマにしょうと思った。
結論から入るとどうなるだろう。
1)人は経験から(によって、を通して)学ぶ。
We learn from (by, through) experiennce.
2)自分の経験から人を見てはいけない。
We should not judge other person from our own experience.
3)経験しないとわからない。
We cannot understand without our experience.
この三点が結論となる。
実に簡単な結論だと思われているのではないか。
その通りだと私も思っている。だが、簡単そうなことが、
易しいわけではない。
私たちは、本当に「経験」から学んでいるのだろうか。
「試行錯誤」しているのだろうか。
experience(経験)、 experiment(実験)、expert(専門家)
は同じ語源で、ラテン語で「試みる」の意である。
経験は、「試み」から始まるのだ。実験は、「試み」であり、
専門家も、「試み」から始る。したがって、経験とは、「試行錯誤」
である。東大教授・柳川範之氏の「独学勉強法」を引用する。
「試行錯誤をすることで、最初の段階では時間が多少は余計にかかるかも
しれません。でも、何よりも独学というのは、自分の頭で考えて、
判断するという繰り返しの中で、知らないうちに、まわりに左右されずに
生きていく力が身につくものだと思います。」高校に行かず、通信制大学
から東大教授になった人の体験に基づく言葉である。柳川教授の本を
読んで学んだことは、勉強の本質は「考えること」、勉強は加工業、
自分の中での”熟成”が大事。これからは自ら学び、自分の頭で考える
時代。生き残るためには応用力と独創力を身につけよ。
独学のメリットをいくつが挙げているが、自分で自分を評価する力がつく。
との言葉が印象深い。
紹介を兼ねて、主要項目を書いておく。
1章 新しい「勉強」が必要とされる時代
2章 なぜ独学が、一番身につく勉強法なのか
3章 勉強をはじめるまえにやっておきたいこと
4章 新しい分野に、どう取りかかり、学びを深めていくか
5章 学びを自分の中で熟成・加工し、成果をアウトプットする
この本を読んでの私の最大の収穫は、「熟成・加工」という言葉である。
この本については、すでにブログで書いている。
したがって重複するが、私の教員人生は、「試行錯誤」と「熟成・加工」と
の認識を抱いたのである。この二つの言葉に集約されるのだ。
まさに、私の人生は、find an answer by trial and error (試行錯誤で
答えを見つける)である。もう一つ大事にしてきた言葉は、フィードバック
である。feedbacck(反応)、「生徒の反応」が自己評価の基準であった。
生徒指導では、マニュアル的な考え方ではなく、自分の中で「加工」して
きた。また私にとって「熟成」とは、「見守る」ことであった。生徒を
信頼して、自主性を見守っていた。これには、辛抱と忍耐を伴う。
あとは、指導のタイミングの判断である。この判断も実に難しい。
このような経験や体験をしてきた私の人生である。一人一人の人生が
違うように、人の経験も違う。しかし、同じ人間との視点に立てば、
似たような経験はいくらでもあるのではないか。自分の経験や他の人の
経験から学べるのである。
自分の経験で学べることは、「失敗」から学ぶのが最大である。
転んでは起きの繰り返しのの中から、学び、自分を磨いていくのだ。
失敗したり、挫折を知らない人生は、いずれ破綻をきたす。
失敗し、苦労した経験が、他の人の気持ちがわかるのだ。
人は経験しない限り、わからないと言えるのだ。
もう一つ大事なことは、自分の経験を物差しにしてはいけないという
ことだ。それができなければ、本当に人を知ることはできない。
見た目でしか判断できない人間になってしまう。「人は見た目が9割」
との本があるが、読んでいないので、コメントはできないが、世間
一般の見方だと思っている。外見からだけでは、人の内の世界を
知ることはできない。学校教育の生徒指導において、この考え方が
いかに根強いかを知っている。外見から、1割は見えるかもしれ
ないが、9割は見えないということだ。外からは、内を推測はできるが
知ることはできない。ここにも人間の不幸の原因があると、私は考えて
いる。自分の経験を規準にし、見た目で判断することが、いかに愚かである
かを言いたいのである。
ここで思い浮かぶご聖訓である。「心の師とはなるとも心を師とせざれ」
私の心に刻んでいる言葉である。私を含めて、人の心は弱いものだ。
私の心も常に揺れている。強い心の時もまれにはあるが、病気の時や、
辛く苦しい時は、心が折れそうになる。その経験をこの10年間で
味わってきた。正直堪えた。病気と闘い、人生の苦楽がわかってきた。
縁に触れて、瞬間瞬間変化する心である。そんな心を師としてはならい
との戒めとの解釈をしている。自分の経験や、考えを規準にして、
人を見たり、判断してはいけないとの自律の心を教えてくれている
大切な言葉である。
結びに、今の私の心に響く言葉を記す。
誰が見ていなくとも、一つ一つ積み上げる。
これは、人生の誇りであり、宝である。
自分の決めた道を、
営々黙々と歩む人が、
最後は勝つし、尊いのだ。
最後の最後に、自分の人生に
審判を下すのは、自分自身である。(100文字の幸福抄)
最後の言葉は、日々の「経験」のつみ重ねであり、
今を大切に生きよ、という指針である。
故に、私の胸に迫ってくる。
追記:前のブログ(学ぶ心)、フェイスブックの世界からの段落で、
新聞、.....友人、等すべて人間が作ったものである。
友人との語は、スポーツと訂正します。「学ぶ心」と「経験について」
のブログは、セットとして理解してください。
いつものように、デザインがあるわけではない。
「経験」は、「学び」と不可分であるが故に、テーマにしょうと思った。
結論から入るとどうなるだろう。
1)人は経験から(によって、を通して)学ぶ。
We learn from (by, through) experiennce.
2)自分の経験から人を見てはいけない。
We should not judge other person from our own experience.
3)経験しないとわからない。
We cannot understand without our experience.
この三点が結論となる。
実に簡単な結論だと思われているのではないか。
その通りだと私も思っている。だが、簡単そうなことが、
易しいわけではない。
私たちは、本当に「経験」から学んでいるのだろうか。
「試行錯誤」しているのだろうか。
experience(経験)、 experiment(実験)、expert(専門家)
は同じ語源で、ラテン語で「試みる」の意である。
経験は、「試み」から始まるのだ。実験は、「試み」であり、
専門家も、「試み」から始る。したがって、経験とは、「試行錯誤」
である。東大教授・柳川範之氏の「独学勉強法」を引用する。
「試行錯誤をすることで、最初の段階では時間が多少は余計にかかるかも
しれません。でも、何よりも独学というのは、自分の頭で考えて、
判断するという繰り返しの中で、知らないうちに、まわりに左右されずに
生きていく力が身につくものだと思います。」高校に行かず、通信制大学
から東大教授になった人の体験に基づく言葉である。柳川教授の本を
読んで学んだことは、勉強の本質は「考えること」、勉強は加工業、
自分の中での”熟成”が大事。これからは自ら学び、自分の頭で考える
時代。生き残るためには応用力と独創力を身につけよ。
独学のメリットをいくつが挙げているが、自分で自分を評価する力がつく。
との言葉が印象深い。
紹介を兼ねて、主要項目を書いておく。
1章 新しい「勉強」が必要とされる時代
2章 なぜ独学が、一番身につく勉強法なのか
3章 勉強をはじめるまえにやっておきたいこと
4章 新しい分野に、どう取りかかり、学びを深めていくか
5章 学びを自分の中で熟成・加工し、成果をアウトプットする
この本を読んでの私の最大の収穫は、「熟成・加工」という言葉である。
この本については、すでにブログで書いている。
したがって重複するが、私の教員人生は、「試行錯誤」と「熟成・加工」と
の認識を抱いたのである。この二つの言葉に集約されるのだ。
まさに、私の人生は、find an answer by trial and error (試行錯誤で
答えを見つける)である。もう一つ大事にしてきた言葉は、フィードバック
である。feedbacck(反応)、「生徒の反応」が自己評価の基準であった。
生徒指導では、マニュアル的な考え方ではなく、自分の中で「加工」して
きた。また私にとって「熟成」とは、「見守る」ことであった。生徒を
信頼して、自主性を見守っていた。これには、辛抱と忍耐を伴う。
あとは、指導のタイミングの判断である。この判断も実に難しい。
このような経験や体験をしてきた私の人生である。一人一人の人生が
違うように、人の経験も違う。しかし、同じ人間との視点に立てば、
似たような経験はいくらでもあるのではないか。自分の経験や他の人の
経験から学べるのである。
自分の経験で学べることは、「失敗」から学ぶのが最大である。
転んでは起きの繰り返しのの中から、学び、自分を磨いていくのだ。
失敗したり、挫折を知らない人生は、いずれ破綻をきたす。
失敗し、苦労した経験が、他の人の気持ちがわかるのだ。
人は経験しない限り、わからないと言えるのだ。
もう一つ大事なことは、自分の経験を物差しにしてはいけないという
ことだ。それができなければ、本当に人を知ることはできない。
見た目でしか判断できない人間になってしまう。「人は見た目が9割」
との本があるが、読んでいないので、コメントはできないが、世間
一般の見方だと思っている。外見からだけでは、人の内の世界を
知ることはできない。学校教育の生徒指導において、この考え方が
いかに根強いかを知っている。外見から、1割は見えるかもしれ
ないが、9割は見えないということだ。外からは、内を推測はできるが
知ることはできない。ここにも人間の不幸の原因があると、私は考えて
いる。自分の経験を規準にし、見た目で判断することが、いかに愚かである
かを言いたいのである。
ここで思い浮かぶご聖訓である。「心の師とはなるとも心を師とせざれ」
私の心に刻んでいる言葉である。私を含めて、人の心は弱いものだ。
私の心も常に揺れている。強い心の時もまれにはあるが、病気の時や、
辛く苦しい時は、心が折れそうになる。その経験をこの10年間で
味わってきた。正直堪えた。病気と闘い、人生の苦楽がわかってきた。
縁に触れて、瞬間瞬間変化する心である。そんな心を師としてはならい
との戒めとの解釈をしている。自分の経験や、考えを規準にして、
人を見たり、判断してはいけないとの自律の心を教えてくれている
大切な言葉である。
結びに、今の私の心に響く言葉を記す。
誰が見ていなくとも、一つ一つ積み上げる。
これは、人生の誇りであり、宝である。
自分の決めた道を、
営々黙々と歩む人が、
最後は勝つし、尊いのだ。
最後の最後に、自分の人生に
審判を下すのは、自分自身である。(100文字の幸福抄)
最後の言葉は、日々の「経験」のつみ重ねであり、
今を大切に生きよ、という指針である。
故に、私の胸に迫ってくる。
追記:前のブログ(学ぶ心)、フェイスブックの世界からの段落で、
新聞、.....友人、等すべて人間が作ったものである。
友人との語は、スポーツと訂正します。「学ぶ心」と「経験について」
のブログは、セットとして理解してください。