今、私が大切だと考えていることは、「学ぶ心」であり、

学ぶ姿勢」です。この学ぶ心と姿勢は、生涯持ち続けたいと

と思う。そうであれば、いくらでも学べる。学ぶことことが

財産になる。目には見えないが、心の財産である。

 現代は、「人間力」が求めらている。同時に、「発信力

と「コミュニケーション能力」が大事になっている。

人と人のつながりであり、「共有・共感」がキーワードになる。

人間力」とは、トータルなものであるが、その本質は、

自分とは何か」と問い続け、「自分を知ること」だとの

考えに至っている。

 プルガダイス2015-安藤和夫・ニキ親子展ー

が、横浜の岩崎ミュージアムで26日まで開かれている。

ニキさんからDMを送って頂いた。23日に鎌倉へ行くので、

横浜へと足を伸ばして、行く予定だ。ニキさんには、昨日

長文のメールを送った。手紙と言うほうが適切だと思える。

ニキさんの「人間への関心」と「原罪がテーマ」と新聞に

紹介された。私は興味・関心を抱いている。私も人間への関心がある。

人間好きの私である。「原罪がテーマ」とは難しいと送った。

フェイスブックで、ニキさんは、キリスト教の教育と影響及び最初の

宗教体験による不幸を経験し、人の暗い面をたくさん見る体験から、

原罪を感じるようになったとの主旨の返信があった。

「なるほど」と納得した。子どもの生育過程での体験の影響は

大きいものだ。私は、「善と悪、明と暗は、現れ方による違いで、

正反対の現象と捉えていますが、人間の生命に内在するとの本質は同じ

との捉え方です。」と書きました。
 
少し私のことを具体的に書きます。私の生育過程は明るいものではありません。

 (詳しくは、ブログ:gobowler.blog.fc2.com で”私の人生の記憶”へ)

端的に言うと、9歳で母を亡くしました。母の笑顔を知りません。私が、今でも

亡き母への想いは強いです。「母に会いたいです」母を想うと、涙がでてきます。
 
今でもそうです。母の死の体験から周囲の大人を知りました。決してプラスでは

ありません。マイナスとも言えるでしょう。しかし、私は「早く大人になりたい」

との自立心が強く育ったのだと思っています。子どもの生育過程での体験がその後

の人生に大きな影響を及ぼすと考えるようになったのです。付記すると、私は、

中学生の頃には、「非行の原因は家庭にある」と考えていたのです。

 これは私が書いたメールの一部です。なぜここで書くのかと思われるでしょう。

私が、ニキさんを通して、抽象画とは何かを学ぶことになったのです。

ニキさんは人間の内面の世界に迫ろうとしています。その表現は、抽象の世界

へと入って行くとの言葉がきっかけとなっている。

 私は美術の知識はありませんが、印象派のルノアールが好きです。モネや

セザンヌも知ってはいるが、ピカソがセザンヌの影響を受け、唯一無二の師と

仰いだと知ったことは驚きであった。具象画は、完成作品で、見る人の

創造性が立ち入る余地のない。対して、抽象画は画家と見る人によって

創造される絵と言ってもいい。見る人の想像力をかきたてる。

(抽象画の良さが解らないと思っている貴方へ!より)

 セザンヌは、自然を見、自然から感じたものを、どう画面に定着させるかを、

終生のテーマとしたとのことだ。絵画に関心のある人には、常識的なこと

かもしれないが、私は知らなかったのだ。セザンヌからピカソがどう結びつく

のかは、私には理解を超えている。ピカソが全く理解できないが故に。

 このようにして、学ぶことは、自分の視野を広げることになる。学ぶ心

と姿勢があればいくらでも学べるのだ。自分の知らない世界が溢れている

のだから。

 話題を変える。昨日のテレビで、堀江貴文から前園真聖まで4人の

しくじりから学ぶ」を見てしまった。堀江も前園も逮捕された人物である。

ホリエモンで時代の寵児ともてはやされた人物だ。「世間を舐めきっていた」

そのために失敗した経験を話していた。失敗の原因を知り立ち上がってきた。

前園も絶頂期に有頂天になって失敗している。あとの二人も、似たようなものだ。

堀江貴文が、オバマ大統領から学んだのが、me we now の言葉だ。

now だけでは、最終的には孤立していくから駄目だということを学び、

また、今、最高のパフォーマンスをすることの大事さを、獄中の経験を通して

話していた。失敗から何を学び、今何をなすべきかを知ったことが、4人に

共通していることだと感じたのだ。ありのままの自分で、全力を尽くすこと。

傾聴に値する話しであった。これも学びであると思う。

 フェイスブックの世界で学んでいることの中核は何か。それは、「共有・共感

の言葉に尽きると思っている。顔の見えない世界ではあるが、人とのつながり

の中から、見えてくるものがあるのだ。「人は人から学ぶ」のだ。その手段は、

何でもいいのではないか。目的さえしっかりと持っているならばとの条件がつくが。

新聞、書籍、テレビ、インターネット、友人、音楽、芸術等すべて人間が作った

ものである。したがって人間が学べるのだ。「人間」との視点に立ち、「人間」を

知ることで、自分を知ることができると思う。学ばなければ、自分を知ることは

できないとはっきりと言える。学ぶには、「知的好奇心」が必要だ。それが

モチベーションになると考える。基本は、「興味・関心」であり、そこから

素直にスタートすればいい。学ぶには「勇気」が大事だ。一歩踏み出す勇気が。

このアナログ人間の私が、デジタルな世界へ踏み込んだのだ、迷いながら、友の

サポートを受けれたが故であるが、一歩を踏み出したのは、私自身である。

私の書くブログは、私の人生経験に基づいている。その経験を発信し、伝えて

おきたいのが本音である。そのためには、私は、学ばなければならないとの義務感

ではなく、「学びたい」との欲求が強いのである。この欲求こそが大事だ。

 結びに、「100文字の幸福抄」から、私が学んだ文を紹介したい。

桜は桜、梅は梅と、

そのままの姿で最高に美しい。

人間も同じで、誰一人として使命のない人はいない。

希望さえ失わなければ、

その人でしか、もちえない、

最高の輝きを放ちながら、

自分らしい人生を送ることができる。


自分の個性を鍛え上げた人は美しい。

すぐ消えてしまう「一時の美」ではなく、

ずっと続く「一生涯の美」である。

その人は他人をうらやまない。

他人を妬まない。

その人自身の心が

夏の高原の青空のように晴ればれしている。