「使命」について考えてみる。
使命とは、文字通り、「命を使う」ことである。
「命」とは、生物の生きていく原動力。生命力。
もっとも大切なもの。命ほどに大切に思うもの。(広辞苑)
命懸け、命勝負、命限り、命に換える、命を削る、命を捧げる
等の言葉が浮かぶ。
英語では、mission である。missile と語源が同じである。
ラテン語で「送られたもの」の意である。
そこから missionary (宣教師、伝道者)の単語が生まれたのである。
欧米では、「使命」の基本的な意義は、キリスト教の布教である。
キリスト教に根差した文化の故である。
アラブ世界のイスラム教も同じことが言える。
「命」との言葉は、古事記や古今和歌集で使われたが、
「命懸け」は儒教思想の影響を受けて、武士の間で使われ、
現在使われている「一生懸命」は、「一所懸命」が転じた語である。
もともとは、所領を命懸けで守ることが、原義である。
文化的背景が、日本と欧米とは異なるのである。
使命とは、「命を使う」と「命を懸ける」は同義と考えて
いる。では、「何に命を使うのか」の目的意識が大事であると思う。
「何」にとは、人それぞれであり、「人の生き方」、「価値観」に
関わると考えている。価値観には、善なる価値と悪の価値がある。
「善悪不二」の視点からすると、善も悪も、本質は同一であり、
現象が異なることを意味する。「表裏一体」と同じことなのだ。
私の言葉で言い換えると、「表裏不二」となる。この考え方は、
全てに当てはまる。本来は、仏教の概念で、それを私なりに、
使っているのだ。浅学菲才な私には、理解を超える概念であるが。
「不二」とは、中道であり、「空」の概念である。
この概念は、キリスト教、イスラム教にはない考え方である。
したがって、難解な概念である。所謂、知識人にも理解が及ばない。
仏教では、「生命」を永遠と捉えている。天国と地獄の神の最後
の審判による差異ではない。
仏教で言う「輪廻転生」に関しても、正しい理解はされてはいない。
広辞苑の定義「迷いの世界で何度も生まれ変わること」とあるが、
「六道輪廻」を意味するのであって、仏教の奥義には触れていない
のである。仏教の奥義である最高の経典が「法華経」である。
釈迦50年の説法の晩年の8年間に説かれた教えで、釈迦自らが、
「40余年未顕真実」と説いている。つまり、法華経以前の経は、
「方便」(仮の教え)であり、部分的真実を説いたに過ぎないと説いて
いる。仏教を学した僧侶ならば、誰でもが知っていることである。
「六道輪廻」は法華経以前の教えに由来しているのである。
「六道」とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の世界である。
更に、二乗の声聞、縁覚の世界、そして、菩薩、仏の世界がある。
これを「十界」と呼ぶ。この「十界」はあらゆる生命に内在する
と説いているのである。ここに、「生命の尊厳」の理念が生まれる。
生命には、「仏性」が内在しているとの考え方が、仏教の本質である。
この本質の理解が難解なのである。
話しはそれたが、何のために、命を使うのか、人の生きる目的
と同じだと考える。万人が幸福を求めている。幸福のとらえ方は
さまざまである。
しかし、「何のため」とは、深く教育と結びついているのである。
教育の理念に、哲学的・宗教的基盤が必要な所以である。
善悪はともかく、キリスト教及びイスラム教の世界では、根底に
宗教があることを直視する必要があると私は考えている。
英米人の教養は、聖書とシェイクスピアと聞いている。
日本は、第二次大戦前に、神国思想が、軍国主義と結びついたが故に、
戦争を肯定する思想になったのである。軍国主義に利用されたとも
考えるのが私の見解である。
その反省から、教育の世界では、宗教的・政治的教育はタブー視され、
「中立」の名のもとに、教えられなかったのである。
私も、政治、宗教に関する話しをしたことがない。
日本の教育に、思想的理念がない理由である。思想的バックボーンが
なければ、正しい教育はなされない。教育の目的である「どういう
人間を育てるか」がないが故に。人も、国もビジョンが必要である。
宗教及び思想は人間が生み出したが故に、善にも、悪にもなる可能性を
持っている。ISのジハード(聖戦)がそうである。宗教を解釈して
行動するのが人間である。日本では、オーム真理教がそうであるが、
麻原彰晃が勝手に創り出したもので、本来の宗教の根拠は存在しない。
麻原教に過ぎない。洗脳による教育で、反社会的行為以外の何物でもない。
IS(イスラム国)は、イスラム教の教えの教条主義・原理主義で
あり、残虐な非人道行為である。イスラム教の普及ではない。
ムハンマドの代理を自称し、格差に不満を持つ若者へのプロパガンダ
を行い、戦闘行為をしているテロ集団である。現代の道具である
インターネットを利用し、世界に発信している。
それを「使命」とする洗脳教育がテロの本質である。
「目には目を、歯には歯を」と旧約聖書にあるように、復讐の論理である。
暴力には暴力では、この世から永久に戦争はなくらない。
国際関係は、バランス・オブ・パワーの論理が支配してきた。
パワーバランスによる平和は、非常に危険である。人類を滅ぼす核
によるバランスの考え方も間違いであり、核廃絶へ向かうべきだと
私は考えている。
日本及び日本人の「使命」は、世界平和を理想とし、そのための貢献を
していく平和国家の歩みを世界に発信し続け、外交に力点を置き、
文化・教育の人的交流を推進していくことではないか。
「人間主義」の旗を掲げ、人類の願いである「平和」のために、
日本人は行動すべきではないだろうか。教育においても、
仏教の「慈悲」を理念として、「平和教育」「人権教育」を根幹に
すべきであり、そうでなければ、道徳教育も無に帰すると考える。
私の「使命は何か」と問われれば、一人の人のために、幸福を願い、
平和を目指し、地道に「対話」を重ね、SNSの世界で自分の想いを、
率直に語り伝えることだと、今は考えている。そのためのブログである。
ありのままの自分を、自分が歩んできた人生に照らし、教え子や孫に
伝えていく生涯を送りたいとの願いである。人の使命は、「自覚」にある。
十人十色の使命があると思っている。善の価値を目的に、自分らしく、
人のため、社会のため、世界のために行動するのが「人間の道」
であると信じている。
使命とは、文字通り、「命を使う」ことである。
「命」とは、生物の生きていく原動力。生命力。
もっとも大切なもの。命ほどに大切に思うもの。(広辞苑)
命懸け、命勝負、命限り、命に換える、命を削る、命を捧げる
等の言葉が浮かぶ。
英語では、mission である。missile と語源が同じである。
ラテン語で「送られたもの」の意である。
そこから missionary (宣教師、伝道者)の単語が生まれたのである。
欧米では、「使命」の基本的な意義は、キリスト教の布教である。
キリスト教に根差した文化の故である。
アラブ世界のイスラム教も同じことが言える。
「命」との言葉は、古事記や古今和歌集で使われたが、
「命懸け」は儒教思想の影響を受けて、武士の間で使われ、
現在使われている「一生懸命」は、「一所懸命」が転じた語である。
もともとは、所領を命懸けで守ることが、原義である。
文化的背景が、日本と欧米とは異なるのである。
使命とは、「命を使う」と「命を懸ける」は同義と考えて
いる。では、「何に命を使うのか」の目的意識が大事であると思う。
「何」にとは、人それぞれであり、「人の生き方」、「価値観」に
関わると考えている。価値観には、善なる価値と悪の価値がある。
「善悪不二」の視点からすると、善も悪も、本質は同一であり、
現象が異なることを意味する。「表裏一体」と同じことなのだ。
私の言葉で言い換えると、「表裏不二」となる。この考え方は、
全てに当てはまる。本来は、仏教の概念で、それを私なりに、
使っているのだ。浅学菲才な私には、理解を超える概念であるが。
「不二」とは、中道であり、「空」の概念である。
この概念は、キリスト教、イスラム教にはない考え方である。
したがって、難解な概念である。所謂、知識人にも理解が及ばない。
仏教では、「生命」を永遠と捉えている。天国と地獄の神の最後
の審判による差異ではない。
仏教で言う「輪廻転生」に関しても、正しい理解はされてはいない。
広辞苑の定義「迷いの世界で何度も生まれ変わること」とあるが、
「六道輪廻」を意味するのであって、仏教の奥義には触れていない
のである。仏教の奥義である最高の経典が「法華経」である。
釈迦50年の説法の晩年の8年間に説かれた教えで、釈迦自らが、
「40余年未顕真実」と説いている。つまり、法華経以前の経は、
「方便」(仮の教え)であり、部分的真実を説いたに過ぎないと説いて
いる。仏教を学した僧侶ならば、誰でもが知っていることである。
「六道輪廻」は法華経以前の教えに由来しているのである。
「六道」とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の世界である。
更に、二乗の声聞、縁覚の世界、そして、菩薩、仏の世界がある。
これを「十界」と呼ぶ。この「十界」はあらゆる生命に内在する
と説いているのである。ここに、「生命の尊厳」の理念が生まれる。
生命には、「仏性」が内在しているとの考え方が、仏教の本質である。
この本質の理解が難解なのである。
話しはそれたが、何のために、命を使うのか、人の生きる目的
と同じだと考える。万人が幸福を求めている。幸福のとらえ方は
さまざまである。
しかし、「何のため」とは、深く教育と結びついているのである。
教育の理念に、哲学的・宗教的基盤が必要な所以である。
善悪はともかく、キリスト教及びイスラム教の世界では、根底に
宗教があることを直視する必要があると私は考えている。
英米人の教養は、聖書とシェイクスピアと聞いている。
日本は、第二次大戦前に、神国思想が、軍国主義と結びついたが故に、
戦争を肯定する思想になったのである。軍国主義に利用されたとも
考えるのが私の見解である。
その反省から、教育の世界では、宗教的・政治的教育はタブー視され、
「中立」の名のもとに、教えられなかったのである。
私も、政治、宗教に関する話しをしたことがない。
日本の教育に、思想的理念がない理由である。思想的バックボーンが
なければ、正しい教育はなされない。教育の目的である「どういう
人間を育てるか」がないが故に。人も、国もビジョンが必要である。
宗教及び思想は人間が生み出したが故に、善にも、悪にもなる可能性を
持っている。ISのジハード(聖戦)がそうである。宗教を解釈して
行動するのが人間である。日本では、オーム真理教がそうであるが、
麻原彰晃が勝手に創り出したもので、本来の宗教の根拠は存在しない。
麻原教に過ぎない。洗脳による教育で、反社会的行為以外の何物でもない。
IS(イスラム国)は、イスラム教の教えの教条主義・原理主義で
あり、残虐な非人道行為である。イスラム教の普及ではない。
ムハンマドの代理を自称し、格差に不満を持つ若者へのプロパガンダ
を行い、戦闘行為をしているテロ集団である。現代の道具である
インターネットを利用し、世界に発信している。
それを「使命」とする洗脳教育がテロの本質である。
「目には目を、歯には歯を」と旧約聖書にあるように、復讐の論理である。
暴力には暴力では、この世から永久に戦争はなくらない。
国際関係は、バランス・オブ・パワーの論理が支配してきた。
パワーバランスによる平和は、非常に危険である。人類を滅ぼす核
によるバランスの考え方も間違いであり、核廃絶へ向かうべきだと
私は考えている。
日本及び日本人の「使命」は、世界平和を理想とし、そのための貢献を
していく平和国家の歩みを世界に発信し続け、外交に力点を置き、
文化・教育の人的交流を推進していくことではないか。
「人間主義」の旗を掲げ、人類の願いである「平和」のために、
日本人は行動すべきではないだろうか。教育においても、
仏教の「慈悲」を理念として、「平和教育」「人権教育」を根幹に
すべきであり、そうでなければ、道徳教育も無に帰すると考える。
私の「使命は何か」と問われれば、一人の人のために、幸福を願い、
平和を目指し、地道に「対話」を重ね、SNSの世界で自分の想いを、
率直に語り伝えることだと、今は考えている。そのためのブログである。
ありのままの自分を、自分が歩んできた人生に照らし、教え子や孫に
伝えていく生涯を送りたいとの願いである。人の使命は、「自覚」にある。
十人十色の使命があると思っている。善の価値を目的に、自分らしく、
人のため、社会のため、世界のために行動するのが「人間の道」
であると信じている。