私の現在の家での居場所は、居間である。居間にはテレビがある。
居間にいる最大の理由はコタツではないか。妻はコタツは、掃除に
邪魔になるので、電子カーペットにしたいと、毎年のように言う。
私は断固として譲らない。二人の孫も家に来ると、珍しがってコタツに
入って喜んでいる。私たちと息子たち家族とは生活スタイルが違う。
コタツの上には、ノートパソコン、電子辞書、走り書きノート、
清書用のはがきサイズのノート、電卓、新聞の切り抜き、リモコン
などで雑然としている。
古くなったソファーには、10冊ほどの本や、カメラ、タブレット、
クリアファイルが4冊、バッグが置かれていて、とても座れない。
朝起きるとすぐに、コタツの前に座って、パソコンを開いている。
私の定位置である。孫も私の定位置を犯したりはしない。私が離れた
時に、私の座椅子に座って喜んでいるようだ。孫も私の居場所を
知っている。
私は、日々パソコンで、「SNS」の世界と関わっている。
その故に、趣味の囲碁から遠ざかっている。インターネットで碁を打った
のは1か月前になってしまった。フェイスブックの利用が増えている。
顔の知らない人と友達になり、少しでも、コミュニケーションをはかる
ようにしている。「人は人とのつながり」を求めるものだ。
「人間は社会的動物」と言われるゆえんである。フェイスブック上の友達の
写真や書いた文を読むのも楽しい。勉強にもなる。また、シェアした
ブログも読んでいる。
私もこうしてブログをテラパッドのソフトに書いている。
コピーして貼り付けてブログに投稿する。ブログをコピーして、
ワードに保存し、プリントアウトして、クリアファイルに保存している。
40ポケットのファイルが、4月からのブログで、すでに埋まっている。
新しいファイルを購入してきたばかりだ。自分の足跡になっている。
足跡が増えれば増えるほど、歩いたことになる。
私は、第三の人生・人生の最終章を歩いている。その道が見つかったのだ。
私の経験や意見・想いを発信することで、受信してくれる友や、教え子、
顔の知らない人にも伝えたいという気持ちが強い。私の人生でも、人の
参考になることを願って書いている。正直に書いている。伝わる人には、
必ず伝わると信じているからだ。私の教師生活も同じであった。私の
想いは、わかる生徒にはわかると信じて話しをしてきた。
私は長い間、10年以上にわたって、病気で苦しんできたが故に、
辛さや喜びが人一倍わかるようになってきた。物事が、私なりに
見えてきている。文を書くことになんの抵抗も感じないし、書くこと
自体が楽しいのだ。こんな自分を発見できたのは喜びである。
池上彰氏は、おとなの教養で、教養とは「自分を知ること」です。
と書いている。その意味がわかるのである。人は生涯学び続ける
ことで、未知の自分を発見することができるのだ。人間とは、素晴らしい
と人間好きの私は思っている。肉体的には衰えても、心は成長していく
ことが実感できるようになったのだ。この想いを伝え、残して置きたい
のだ。率直な気持ちである。私は、わからないことが多いが、自分の
意見は持っているつもりだ。自分なりの判断力も身につけていると
思っている。思い上がりではない。謙虚に学ぶ姿勢がある限り、傲慢には
ならない。今の私は、「学ぶ心」を持っている。自然科学の分野は、苦手な
ために、本を読むことはないが、自然や宇宙への関心はある。また、
人文科学も苦手であるが、人間を探求しているだけに、関心はある。
基礎知識がないことが、理解を妨げているのだが。社会科学は、私の
好きな分野である。人間の行動の原理がわかるが、答えは出てこない。
人間の内面の分野である哲学、宗教にも関心が深い。よく本を読むの
だが、私の頭では消化しきれないし、記憶に残っていかない。
大まかな流れと本質は、わかるつもりではいる。ポイントは「人間とは
何であるか」に尽きると考えている。仏教による「生老病死」は、
人間の永遠の課題と言える。誰一人避けることはできないのである。
「死」を直視することで、「生」はある。「生死不二」であり、
「生命」そのものと理解している。まだ理解の段階で、観念の世界である。
歴史の分野は、高校時代に不勉強のつけが回っている。年号や、人名
を記憶するのが苦手な私の脳である。歴史の流れだけは、押さえておきたい。
「歴史は繰り返す」とのことわざがある。英語では、History repeats itself.
である。人間の本性は変わらない。その人間のやることは、繰り返される。
しかし、戦争の歴史は、繰り返してはならない。平和を求める心が人類の
心と信じる。暴力や戦争を行うのも人間である。非暴力、平和への思想を
指針として歩むことが私たち「人間の道」だと思う。理想ではあるが、理想は
持ち続けなければならない。理想を目的として、現実の方策が手段である。
手段の議論は大切であるが、目的を見失ってはならない。
私の理想は、民族、国の壁を超えて、人間は地球市民と捉え、運命共同体
との共通認識である。しかし、現実の世界は、逆流しているように感じる。
日本にも、諸問題が存在している。列挙してみる。
デフレからの脱却・景気回復・格差の経済問題、、子どもの貧困と虐待、
少子化・高齢化の福祉問題、原発とエネルギー、沖縄基地問題、安全保障、
憲法第九条と改憲、東北大震災の復興、TPP交渉・外交、日本の教育
などである。選挙公約の問題ではない、世界における日本の立ち位置であり、
「日本の針路」を含む重要な問題ばかりである。議論のための議論に終始
することなく、英知を結集して対処すべき問題である。リベラルな考え方
を基本に、折り合う議論を期待する。
最後に、昨夜ノートに書きとめた「師の言葉」を引用する。
「借りものではない自分の意見、
自分の価値観をはっきり持っていく。
人まねでなく、確固たる信念に生きる。
周囲に粉動されない。
幅広い知識と共に、
人生や社会の本質を見抜く見識をもつ。
それが教養のある人である。」
「人生は、幸福になるためにある。
虚栄を張ったり、
背伸びをしたりする必要など、全くない。
人間は人間以上には、偉くなれないのだ。
ありのままに自分らしく、
人のため、社会のため、
行動する人生が最も美しい。」
居間にいる最大の理由はコタツではないか。妻はコタツは、掃除に
邪魔になるので、電子カーペットにしたいと、毎年のように言う。
私は断固として譲らない。二人の孫も家に来ると、珍しがってコタツに
入って喜んでいる。私たちと息子たち家族とは生活スタイルが違う。
コタツの上には、ノートパソコン、電子辞書、走り書きノート、
清書用のはがきサイズのノート、電卓、新聞の切り抜き、リモコン
などで雑然としている。
古くなったソファーには、10冊ほどの本や、カメラ、タブレット、
クリアファイルが4冊、バッグが置かれていて、とても座れない。
朝起きるとすぐに、コタツの前に座って、パソコンを開いている。
私の定位置である。孫も私の定位置を犯したりはしない。私が離れた
時に、私の座椅子に座って喜んでいるようだ。孫も私の居場所を
知っている。
私は、日々パソコンで、「SNS」の世界と関わっている。
その故に、趣味の囲碁から遠ざかっている。インターネットで碁を打った
のは1か月前になってしまった。フェイスブックの利用が増えている。
顔の知らない人と友達になり、少しでも、コミュニケーションをはかる
ようにしている。「人は人とのつながり」を求めるものだ。
「人間は社会的動物」と言われるゆえんである。フェイスブック上の友達の
写真や書いた文を読むのも楽しい。勉強にもなる。また、シェアした
ブログも読んでいる。
私もこうしてブログをテラパッドのソフトに書いている。
コピーして貼り付けてブログに投稿する。ブログをコピーして、
ワードに保存し、プリントアウトして、クリアファイルに保存している。
40ポケットのファイルが、4月からのブログで、すでに埋まっている。
新しいファイルを購入してきたばかりだ。自分の足跡になっている。
足跡が増えれば増えるほど、歩いたことになる。
私は、第三の人生・人生の最終章を歩いている。その道が見つかったのだ。
私の経験や意見・想いを発信することで、受信してくれる友や、教え子、
顔の知らない人にも伝えたいという気持ちが強い。私の人生でも、人の
参考になることを願って書いている。正直に書いている。伝わる人には、
必ず伝わると信じているからだ。私の教師生活も同じであった。私の
想いは、わかる生徒にはわかると信じて話しをしてきた。
私は長い間、10年以上にわたって、病気で苦しんできたが故に、
辛さや喜びが人一倍わかるようになってきた。物事が、私なりに
見えてきている。文を書くことになんの抵抗も感じないし、書くこと
自体が楽しいのだ。こんな自分を発見できたのは喜びである。
池上彰氏は、おとなの教養で、教養とは「自分を知ること」です。
と書いている。その意味がわかるのである。人は生涯学び続ける
ことで、未知の自分を発見することができるのだ。人間とは、素晴らしい
と人間好きの私は思っている。肉体的には衰えても、心は成長していく
ことが実感できるようになったのだ。この想いを伝え、残して置きたい
のだ。率直な気持ちである。私は、わからないことが多いが、自分の
意見は持っているつもりだ。自分なりの判断力も身につけていると
思っている。思い上がりではない。謙虚に学ぶ姿勢がある限り、傲慢には
ならない。今の私は、「学ぶ心」を持っている。自然科学の分野は、苦手な
ために、本を読むことはないが、自然や宇宙への関心はある。また、
人文科学も苦手であるが、人間を探求しているだけに、関心はある。
基礎知識がないことが、理解を妨げているのだが。社会科学は、私の
好きな分野である。人間の行動の原理がわかるが、答えは出てこない。
人間の内面の分野である哲学、宗教にも関心が深い。よく本を読むの
だが、私の頭では消化しきれないし、記憶に残っていかない。
大まかな流れと本質は、わかるつもりではいる。ポイントは「人間とは
何であるか」に尽きると考えている。仏教による「生老病死」は、
人間の永遠の課題と言える。誰一人避けることはできないのである。
「死」を直視することで、「生」はある。「生死不二」であり、
「生命」そのものと理解している。まだ理解の段階で、観念の世界である。
歴史の分野は、高校時代に不勉強のつけが回っている。年号や、人名
を記憶するのが苦手な私の脳である。歴史の流れだけは、押さえておきたい。
「歴史は繰り返す」とのことわざがある。英語では、History repeats itself.
である。人間の本性は変わらない。その人間のやることは、繰り返される。
しかし、戦争の歴史は、繰り返してはならない。平和を求める心が人類の
心と信じる。暴力や戦争を行うのも人間である。非暴力、平和への思想を
指針として歩むことが私たち「人間の道」だと思う。理想ではあるが、理想は
持ち続けなければならない。理想を目的として、現実の方策が手段である。
手段の議論は大切であるが、目的を見失ってはならない。
私の理想は、民族、国の壁を超えて、人間は地球市民と捉え、運命共同体
との共通認識である。しかし、現実の世界は、逆流しているように感じる。
日本にも、諸問題が存在している。列挙してみる。
デフレからの脱却・景気回復・格差の経済問題、、子どもの貧困と虐待、
少子化・高齢化の福祉問題、原発とエネルギー、沖縄基地問題、安全保障、
憲法第九条と改憲、東北大震災の復興、TPP交渉・外交、日本の教育
などである。選挙公約の問題ではない、世界における日本の立ち位置であり、
「日本の針路」を含む重要な問題ばかりである。議論のための議論に終始
することなく、英知を結集して対処すべき問題である。リベラルな考え方
を基本に、折り合う議論を期待する。
最後に、昨夜ノートに書きとめた「師の言葉」を引用する。
「借りものではない自分の意見、
自分の価値観をはっきり持っていく。
人まねでなく、確固たる信念に生きる。
周囲に粉動されない。
幅広い知識と共に、
人生や社会の本質を見抜く見識をもつ。
それが教養のある人である。」
「人生は、幸福になるためにある。
虚栄を張ったり、
背伸びをしたりする必要など、全くない。
人間は人間以上には、偉くなれないのだ。
ありのままに自分らしく、
人のため、社会のため、
行動する人生が最も美しい。」