目的と手段の区別は大事である。目的が明確でないと、

手段が目的化する危険があるのだ。手段を論議する過程で、

目的を見失うのだ。

 毎日新聞「みんなの広場」の大学院生(23歳)の投稿で、

目的語られない安保法制論議」の見出しがついている。

そのまま引用させてもらう。

「昨今の安保法制の国会論議を見ていて、焦点が細かな法律論に

終始していると感じる。中東・ホルムズ海峡での機雷掃海、海外

での邦人救出といった状況を仮定し、その中で自衛隊をどのように

行動させるかということを政府は提起し、野党はそれに反論する。

 こうした議論の中では、集団的自衛権行使を認めること、

その上で、自衛隊を海外派遣することの具体的な目的が政府首脳

の口から語られない。本来、国として達成すべき目的があり、

その手段として自衛隊派遣や集団的自衛権行使容認があるはずだ。

だが、現在の安保法制の論議は、自衛隊派遣や自衛権行使など

手段ばかりを議論し、その手段をとる目的について議論していない。

本末転倒である。

 首相は、安保法制の改革を行って、日本をどんな国にしたいのか

明確に語ってほしい。

 その上で、日本が国際社会で生きていく中で、首相の目指す国家像

が本当に正しいのか国民全体で考えなくてはならないと思う。」

との意見であるが、同感である。首相の目指す国家像を国民に丁寧に

説明し、国民が判断できるようにすべきと考える。

 フェイスブックで友達になった斎藤多喜夫さんは、「説明不足ですね。

平和と安全”のためだと言うけども、知りたいのは、今なぜ

防衛力を強化しなければ、”平和と安全”を保てないのか?

というその理由なんです。」と言っている。この意見にも同感である。

 引用が多くなったが、基本の考え方を共有する人がいることだ。

首相は、「積極的平和主義」に基づき、国際平和に貢献すると言うが、

本音は、自衛隊を自衛軍に変え、自衛隊の活動を拡大したいのだ。

憲法改憲を政治目的とするならば、その目的の意味を明確にして、

具体的な国家像を示すべきである。第9条の改憲内容を国民に示し、

国民に問うべきである。その点をぼかしているが故に、

積極的平和主義」に疑問を抱くのである。

 戦後70年平和国家として歩んだ日本を変える理由が存在するのか、

国民の一人として問いたいのである。

国際平和に貢献する国・日本」を世界へと、積極的に発信していく

との目的を明確にするならば、国民の多くは納得するであろう。

その目的のために、そして「国民の生活と安全」を守るために、

現実的な政治対応をはかる手段を議論し合うことには異論はない

のである。

 目的を明確にし、その目的のための手段は大いに議論されるべき

であるが、その議論が目的化して、本来の目的を見失ってはならない。

日本人は、議論が下手だと思ってきた。自分の主張と異なる人の意見を

聞こうとしないで、自分の意見を主張し、固執して、感情的になる傾向

が強い。その結果、不毛の対立を生みだすのである。

 山極寿一京大学長の談論風発の寄稿記事によると、「互いに自説を

曲げずに相手の議論の不備をののしり合うだけのように見える。」

「卒業生諸君には私は、複数の人の意見を踏まえ、直面している課題に

自分の判断を下してほしいと述べた。自分を支持してくる人の意見

ばかりを聞いていれば、やがては裸の王様になって判断を鈍る。ぜひ、

談論風発を駆使して傾聴できる議論を展開してほしいものである。」

と結んでいる。

 目的を見失うことのない議論をしてほしい。目的への過程が手段となる

のが議論だと私は考える。議論のための議論はやめてもらいたいと国民の

代表である議員に言いたい。日本の針路を誤ることがあってはならない。

私たち国民は国会の議論を聞き、判断を下さなければならないと思う。

 知事選の平均投票率が50%を割り、過去最低の結果になった。

国民の政治不信と、国民の責任の放棄は、深刻な政治問題だ。

政治家は、国民の信頼を得るように、説明と行動の努力し、国民も

責任・義務を果たすように望む。日本の未来は、若い世代にかかって

いることを自覚してもらいたい。国民の幸福と世界の平和を目的に