「教員の世界」について書いてみる。

 学校の最高責任者は、誰でも知っているように、学校長である。

これは正式な言い方で、通常は、校長と呼んでいる。

校長は、学校運営の最高責任者であり、学校の教育方針に従って、

学校運営を行う立場である。しかし、一切の権限があるわけではない。

背景には、県の教育委員会と文部科学省がある。

その意向に逆らうことはできない。

 私が、教員になった頃は、校長の権限が今より強く、県教委に対して、

はっきりと自分の意見を主張する校長が少なからずいた。現在の校長は、

昔のような校長は一人もいないと言っても過言ではない。

自分の意見をはっきりと主張するような教員は、管理職からの推薦を

受けないし、管理職になることはない。校長も同じである。

校長の学校運営の補佐をするのが副校長で、以前の教頭である。

教頭も複数性が実施され、総括教頭と指導担当の教頭ができたのだ。

名目は、生徒指導上困難な学校から、指導担当の教頭が配置された

のである。静岡県では、ほぼ20年前に導入され、15年前には、

全部の学校に配置されたと記憶している。複数教頭の制度は、

教員の間でも評判が良くなかった。二人の教頭の間の関係も悪く、

学校運営にも影響を及ぼしていた。校長がどちらの教頭を重陽する

のかも大きな問題であった。第一教頭、第二教頭のランクの違いも

あり、管理職手当も5%の違いがあった。見苦しい対立をしていた。

 現在は、副校長と教頭に名称が変更になっている。立場を明確に

したと言える。私が定年になる頃からである。実質は変わっていない。

副校長は授業をもたないのが通常であり、教頭は授業を持っている。

持ち時間数は学校によって違いがある。教頭と言っても、単独の

頃の教頭とは違う。指導担当との役割が与えられているが、教諭と

ほとんど違いはない。

 教員の人事権は、校長にあるが、校内の人事は、副校長が、校長の

意向を踏まえて、行っていると言ってもよい。校長によっては、副校長に

任せているようだ。校長は県教委との対応や、出張に追われている。

校長と教員の直接的な接触は、以前は、人事異動の希望調査に基づく

面談ぐらいであった。社会の変化に伴い、学校評価や授業評価が、

ほぼ10年前から導入された。その時から、校長が教員の授業を見て、

評価して報告する仕事が課されるようになった。全員の教員の授業を

年に2回(原則)参観し、評価を書き、1月に、その評価に関する

校長面談が行われるようになった。私が定年を迎える数年前のことだ。

校長が専門以外の教科の授業を見てもわからないのが事実である。

教員の教える様子や生徒の授業の様子を見るだけである。

定年近くなって導入されたシステムであるので、校長は私よりも年下

である。教員経験も私よりも浅いので、評価しようがなかったと思う。

「ベテランの授業を拝見させていただきました。ご苦労さまでした」程度の

言葉くらいしか、私には言うことはできなかった。ある校長は、感想を

きちんと書いて、教員一人一人に渡していた。立派である。

 教員の世界も基本的には、年功序列であるが、一般社会と違うのは、

年功序列ではあるが、上下の関係ではない、教員同士は、男女にかかわらず

対等の関係にある。教諭との立場は、新任者もベテランもない。

私は高校の経験しかないので、義務教育の小学校や中学校のことは知らない

が、基本的には違いはないと考えている。

 私の教え子によると、中堅の教員が若手の教員に対して、上から目線で

ものを言う教員がいるとのことだが、バカな奴だとしか言いようがない。

教員の中には、自分は偉いと錯覚している者がいる、生徒に対してもそうである。

自分にはできないくせに、生徒に偉そうなことを言う。後輩に対しても同じ

であろう。私はそのような連中をバカな奴だと軽蔑しているのだ。

生徒の目はさらに怖い。教員の本質を見抜く力がある。私は誰よりも生徒が

怖かった。生徒には言わなかったが、本当のことだ。
 
 教員同士は、上下関係になく、横の関係で対等である。主任は役職ではない。

分掌のまとめ役という役割である。私も英語科主任や、図書課長を経験して

いるが、学年主任の経験はない。ある先輩教員は、学年主任の仕事は、面白い

と言っていた言葉が、記憶に残っている。経験していないので、わからない。

 生徒から見ると、「先生は、先生」であり、年齢や性別は関係ないことだ。

好みは別のことである。教師にも好みがあることは事実だ。人間だから。

そうであるが故に、教員は絶えず自他の研修しなければならないのである。

 私の時代は、教員は個人商店の色彩が強かったので、教員の個性が魅力

であった。生徒は教員を選べないので、教員との相性は大きな問題ではある。

良い教員との出会いは、その後の人生に影響を与える。このことを教師は

自覚していなければならない。教師は生徒にとって最大の環境と言える。

今は、突出した個性は難しいかもしれない。真面目さが求められ、画一的な

教員が増えている。良くも悪くもサラリーマン化していて、教師らしさは

昔とは変わっているようだ。また教員の意識も変わっている。

 私は、教師らしくない教師を心掛けていた。生徒の言葉を借りると、

「相川先生は、先生らしくない」とよく言われてきた。私の教員生活の間

ずっとそうであった。それが私の自負でもあった。

既成の教師には批判的なタイプであった。教員の裏の面を知っているからだ。

建前本音の使い和気であり、建前でしか自己を表現できない教員がかなり

いる。生徒に、「先生は~と思う」のように、枕に先生との言葉を使う教員

はそうだと判断して間違いはないとまで私は思っている。ただし、子どもには

別である。親が子どもに、「お父さんはとか、お母さんは~と教えるような

年齢の子どもに対してはとの意味である。私個人の認識から言うならば、

中学生に対しては、子どもの扱いをすべきではないと思っている。

私は、42年間の教師生活で、「先生は」と冠して、生徒に話したことは、

ただの一度もないのだ。

 私の教員生活の中で、良い先生もいたが、ろくでもない教員もいた。

自分のことしか考えていない教員がいかに多いことか、言っていること

とやっていることが違うのである。言行不一致である。そのような教員は

信用してこなかった。所詮は、「人」次第である。どこの世界でも同じではないか。

 教員も一人前になるには、最低10年はかかると思う。逆に、10年経てば一人前

とは言えないのだ。すべて人の姿勢と努力次第である。私が教師としての醍醐味

味わうのに、30年以上かかっている。管理職には、この味わいを経験することは

ないだろう。その理由は、教師の醍醐味は、生徒との関わりの中にしか生まれない

からだ。

 私の仲の良い同僚は、一人も管理職になってはいない。友のEさんは、40代半ばで、

教務主任ををやり、校長からの推薦を断ったくらいだ。それを伝えた教頭は、Eさんの

考え方を理解できなかったとのことだった。上昇志向があれば、管理職に成れるわけ

ではないが、その意識がなければ成れないことも事実である。管理職は、教員という

よりも役人・官僚に近いタイプと思えば分かりやすい。私的な見方ではある。

 管理職へのステップは、学年主任を経験し、教務課長(主任)か生徒指導課長(主任)

を経験して、校長から推薦を受けて、昇進試験を受けることになる。昇進試験は、オープン

ではない。ここにも一つの問題点があるのだが。私は推薦されたこともないので、

その試験のことも具体的には知らないことだ。高校に限らないが、管理職に一番近い

のは教務課長(主任)だと言える。Eさんは、二校で10数年教務主任をやったという

例外の人である。人柄が良く仕事できるので、管理職にとってもありがたい人である。

しかし、言うべきことはきちんと発言していた。後輩もE先生が校長ならばいいのに、

との声を聞いている。私は、よく発言した人間であるが、Eさんに対するような声を

聞いたことがない。若い頃は、職員会議で発言して孤立したこともある。その時に、

助けてくれた先生が私にはいたのである。その先生を恩人と思っている。

その先生のことは「私の人生の記憶・吉原高校の頃」に書いある。

そういう出合いが私の財産である。

 私は発言する時に、表情にでるので、管理職にとって扱いにくかったと思う。

妻に言わせると、私ほど「わかりやすい人はいない」そうである。

現在も現役(ベテラン)でいる後輩のW君は、「先生や、E先生の世代がいなく

なってから、職員会議で発言する人はいなくなった」と言っているくらいだ。

 ここで学校の組織について触れておく。

生徒に一番関わるのは担任である。HR主任が正式な言い方である。各クラスに

担任と副担任がいる。全体で学年を構成し、中心者が学年主任である。以前は、学年

主任も担任との兼任が普通であったが、仕事量が増えるとともに、専任の傾向が

強くなった。今では、小規模の学校を除いて、学年主任・専任になっていると思う。

私の経験では、学年の独自性が強かった時代を知っている。学年間の意思疎通ができて

いないために、生徒指導では混乱したこともあった。学年意識が強く、独自性をだそう

とする。学年主任の特性かもしれない。私も担任としては独自性を出し、一つの

カラーを作って来た人間である。教師は担任をやることが正道だと思う。私の

後輩の友は、図書課長をやめて担任を希望してやっている。そして定年を迎える

つもりでいる。あと2年とのことだ。偉いと私は思っている。私も最後は担任と

して卒業生を送り出したたかった。それができなかったのは残念である。体力的に

自信がなかったのが本当のところである。

 その学年を横糸に例えると、縦糸が、課という分掌である。通常は、外郭団体や学校

行事と関わる総務課、カリキュラム中心に時間割、全般の学校運営の核となる教務課。

生徒指導を中心とする生徒課(生徒指導課)、生徒の進路を担当する進路課(進路指導課)、

図書館を担当し、読書に関わる図書課、保健室で生徒と関わる保健課、教員の研修や初任者

指導の計画を担う研修課など(学校によって多少の違いはある)のいずれの課に所属する。

その責任者が課長(部長・主任)で、学年主任とともに運営委員になり、校長、副校長、

教頭、事務長、課長、学年主任で、運営委員会を構成し、学校運営の原案を協議して、

職員会議に提出する。教員会議ではなく、職員会議というのは、事務職員を含むからである。

その案は、職員会議で審議されるが、職員会議には決定権がない。法律で決まっている。

たとえ意見が二分したとしても、賛否の票決は行われない。決定権は校長にある。

校長は、職員会議の意向を受けて、決定するのが通常であるが、校長の考え方を押し通すこと

がある。昔の校長はその傾向が強く、権限も強力であった。今は、昔に比べると、

事務的・官僚的になっている気がする。要するに手続きが重要視されている。

 私の世代は、良くても悪くても、自己主張が強いので、もめることが多かったが、

その傾向が弱まったことは事実である。談論風発の時代が懐かしい。今の時代では、

私のようなタイプは、教員組織には受け入れられないだろう。

教員が全体的に、真面目でおとなしくなっている。私は、この傾向自体が問題であると

思っている。熱く議論する世代は退職したのだ。時代の変化を感じる。

アナログ世代が去り、デジタル世代が中心になっている。

 昔も、今も運営委員は、校長が任命する。辞令は教育委員会が出す。校長に反対するような

教員は任命されることはないし、任命された教員の中から、管理職に登用される形態が、

定着している。教員の中には、教育委員会の事務局に指導主事として入り、管理職の

道を歩む教員がいる。所謂エリートは、教員歴が短いのである。教育行政職が長い。

 私が教員に成った頃に、39歳で、教育委員会事務局から校長になった人がいる。

自分自身で行った人事である。当時の主事(教頭)から、直接聞いた話しである。

人事は所詮人の行なう事である。自分を支持してくれる人を好むのが人の常である。

教員の世界も同じである。意見が異なる人を選ぶほどの度量のある人はほとんどいない。

上昇志向の強い人は、特にその傾向が強い。そういうタイプが管理職に推薦され、教頭、

副校長、校長へとなっていく。この連鎖が人事の本質である。教育的識見があり、人格的

に優れている人が校長になるわけではないのが実情である。校長も人によると言うほうが

適切だと思う。世間一般はそのことを知らない。ブランドや肩書で評価する人には理解

できないことだろう。教育の世界は、「」で決まる。

 教育は、「」を育てる大事な仕事である。子どもや生徒のもつ潜在的可能性を啓発する

仕事で、ロボットにできることではない。「」を育てるのは「」である。当たり前のこと

を言っているだけではないかと思われるかもしれないが、その当たり前のことを当たり前に

することが難しいのだ。このことも歳を重ねることでわかってくるものだ。道理は、

足下にあるものだ。このブログを読む中に、教え子の教員がいるが故に伝えて置きたい

のが私の本音である。しっかりと自分を磨いてもらいたい。その姿で、子どもや生徒に

接してもらいたい。教育は「情熱と信頼」が私の信念である。あくまでも「自分らしく」、

教育に携わってほしい。様々な壁にぶち当たることと思うが、そこを自力で、乗り越えて

こそ本当の教育者に育つことができることを信じてほしい。私からのメッセージである。


   私の好きな言葉を贈る<青年抄より>

        君は君

        あなたはあなた

        同じようにはできない

        よきことは学び

        どこまでも自分らしく

        誠実に

        ベストを尽くしていけばよいのだ