毎日新聞 <記者の目> 政治部・高木耕太記者「安全保障法制の与党協議」

を一読した。基本的には、高木記者の意見に同意である。

記事のポイントは「公明党は存在感示せ」ということだ。

 私は、7月1日の閣議決定に疑問を感じていた。8月に、閣議決定全文を読んだ。

法律には素人なので、法解釈ができるわけではない。同時に、

日本国憲法 前文・第9条[戦争の放棄]・第13条[国民の権利及び義務]を読んだ。

前文は、「国民主権」「国政は、国民の信託」「世界の平和主義」を謳っている。

第9条は「国際平和」「武力行使の放棄」「軍隊不保持」だ。

第13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」この権利は、

「立法・国政の上で、最大の尊重の必要」とある。

私は、この“日本国憲法を最大に尊重”する。世界に誇れる憲法である。

したがって、私のスタンスは、日本国憲法擁護であり、憲法改憲には反対である。

憲法に謳われている「平和主義」を戦後70年守ってきたが故に、

戦争に巻き込まれないできたのが、戦後の日本の歴史である。

 憲法をそのまま読むならば、個別的自衛権も自衛隊の存在も明記されてはいない。

しかし、国際法上、国の自衛権は当然の権利であり、自衛隊の活動も認知されてきた。

PKO活動による国際貢献も世界的に認知されている。

 それ故に、個別的自衛権、自衛隊の存在は、国民から十分理解されている

と思っている。

 東アジアの国際情勢の変化に対応する政治的議論があることに異論はない。
 
私は、現憲法の理念を変えることなく、自衛権のための自衛隊の存在

を憲法に明記すべきとの考えである。

第9条を変えるのではなく、条項を加えるのである。改憲ではない。

 自衛権には、個別的自衛権と集団的自衛権があるが、明確な線引きは

難しい。国際法上は、自衛権は集団的自衛権を含んでいるのである。

日本人の多くは、集団的自衛権を認めることは、戦争に巻き込まれるとの

懸念を抱いている。私もその一人である。集団的自衛権は、他国のための

戦争に参加することを意味するからだ。

 現実的には、一国だけの平和は、存在しないのが国際社会である。

テロの脅威も世界中に広がっているのが現実の国際社会である。

いかなる事態にも、国民の生命と安全を守るのが、政府である。

そのために、日米同盟を強化することに反対ではない。しかし、

全面的に米国支持でいいとは思っていない。米国の独善的論理には、

私は納得できない。対米追従外交ではなく、日米協調・協力関係が望ましい。

隣国の韓国と中国の関係改善を推進することが、優先されるべきだ。

そして国連という国際機構を重視する立場に立つべきだと考える。

日本は唯一の被爆国であるが故に、世界に発信できる資格があり、

核廃絶へのリーダーシップを取れるのだ。また取るべきと考える。

 この地球上から悲惨な「戦争の二字」をなくしたいと考えるのは、私だけ

ではないだろう。平和を願うのが人間の心である。しかし、戦争を行うのも

人間ではある。すべて人間が生み出すことである。

 閣議決定に関して、憲法学者の木村草太氏は、今回の閣議決定は、

大部分が、個別的自衛権と集団的自衛権が重なっていて、公明党の

歯止めが効いていると評価していた。

 私も全文を読み、本の表紙にあるタイトルが、中身に書いていない

との認識をした。「集団的自衛権容認との閣議決定」の本文に、

集団的自衛権の言葉が使われていないのだ。

一国民として、安全保障法制化の議論を注視していこうと思ったのだ。

 与党協議において、公明党の役割を期待していた一人である。

記者の指摘は、「事前に論点調整し、表の会合は儀式」である。

裏での議論の過程がオープンにされていないとの印象を、私は抱いている。

公明党側からの取材で、公明党内で「納得するまでとことん議論する」

という雰囲気がしぼんだのは残念だった。と記者は書いている。

 民主主義は、結果(大事である)だけではなく、そのプロセスにある

というのが、私の持論である。

京大学長の山極寿一氏の談論風発に書いてあるように、傾聴できる議論

を重ねて結論を出し、安保法制の原案を作成してほしい。

国民にその議論の内容を丁寧に説明すべきなのが与党である。

「与党のチェック機能を公明党に期待している」と記者が書いている。

また、「自民党との立場の違いが表面化するのを恐れずに問題提起して

ほしい」と。全く同感である。記者は「与党の認識が食い違ったままでは

法律による歯止めが不十分になる懸念が拭えない」「表での議論をないが

しろにせず、懸念やあいまいな点を一つ一つ地道に取り除く努力を

してほしい」と書いている。「1強」自民党へのチエック機能を果たす

平和の党」の看板にふさわしい議論を重ねてほしいと私は願う。