私の「SNS」の世界と題した。「私の~」というタイトルが、私のブログには多い。
個人的、主観的なとの意味で使っている。誰でもそうではないかと言えるが、
客観的とは、検証が伴う必要があると考えるからである。「私の」には、
何の検証も伴っていないということを意味する。
「SNS」とは何のことか、ブログを書くまで知らなかった。言葉としては、耳に
していたが。おそらく Social Network Service の略だと思っていた。
頭文字からは、SNSになる。Nが、Networking とは知らなかったのだ。
なるほどと思った。「つながる」ということだと理解した。社会的なつながりを提供
するサービスということになる。人は、人や社会とのつながりの中で生きている。
何も知らない人間が、「未知の世界」に迷い込んでしまった。
夏に帰ってきた次男にURLを教わった。ウエブサイトのアドレスのことだと。
ブログを書くなら、一番大きいサイトのアメーバブログがいいと教えられて、
http://ameblo.jp/gobowler (ウエブ上の住所・氏名)として、ブログを始めた。
私のブログの第1号は、毎日新聞「みんなの広場」への投稿掲載文である。
そのあとで、安全保障問題について書いた。自分の意見の発信の場として、ブログ
を選んだ。ブログが、Weblog と知ったのはあとである。ウエブ上の記録のことで、
個人の発信の場所と理解している。
「自分史」は、書き残して置きたいと思っていた。息子や孫のために。「私の人生の記憶」と
題した。3ヶ月で書き終わり、私が英語の教師の記録として、「私の英文法対話」を
載せることにした。教え子に、「ブログとは、先生らしいと思います。100本を目標にして
頑張って下さい」と言われたが、それ程書くことがあるだろうか、
いつまで続けられるか全く自信がなかった。
このような状態で、ブログをスタートした。
話題をSNSに戻すと、Facebook や Twitter には、自ら登録をしたわけではない。
「星の王子さま」のブログから連携されたようだ。フェイスブックやツイッターのことは
知らなかった。その中に迷い込んだのだ。「好奇心」がさせたことではあるが。
私にも「好奇心」なるものがあったのだ。まだ発展途上の人間である。
Twitter は tweet と同意で、「(小鳥が)さえずる」との意味だ。140字以内と
字数制限があると知った。簡単なコメントや短文投稿に適している。
Facebook は、造語であるが、「顔」を表示するのが、基本ではないかと考える。
私は、すべての個人情報を出している。そこまでする必要はないが、自己責任の意味
もあるが、正直な自分をさらす人間である。自分の生き方なのだから。
Facebook で、作家の山崎洋子さんと知り合い、友達の承認をしてもらった。
実は、彼女とは、高校の同期生である。共通の英語の先生・岩井茂先生のことが、
きっかけである。彼女は、レジェンド・オブ・ヨコハマの連載記事を書いている。
挿絵が安藤ニキさんだ。「移民宿」と題する文を読んだ。私は新しい知識を得た。
そこに紹介された「バンクーバーの朝日」の映画を見た。
山崎洋子さんの文章は、素直に読める。てらいのない良い文章だと感じた。
彼女の最新作「誰にでも、言えないことがある」を買って読んだ。よく自分のことを
さらけ出して書いたなと感心した。苦労した人生を知った。身近な存在になった。
彼女のブログ「雑記・冬桃ブログ」を書いている。いいブログだ。よく拝見している。
「文は人なり」と言われるが、いくつか文を読めば、人がわかるものだ。
逆な言い方をすれば、文を書くことで、底が知れてしまうのだ。読み手の力にもよる。
文を書くことは、自己の表現である。パソコンの変換ミスに気付かなかったり、失敗
をしているが、文を通じて、自分の想いを発信できることこと自体がいいことだと
思っている。不特定多数の人が受信するが故に、怖い側面があるが、伝わる人には、
想いが伝わると信じている。だからすべて正直に公開しているのだ。自分の生き方、
考え方を公開しているのだ。最初に書いたように、私の個人的な、主観的なものである。
フェイスブック上の友達で、直接フェイスを知っているのは、友のEさんと教え子の
S・Kだけである。彼女の結婚式に招待され、出席して祝辞を述べている過去のことが
思い出されるのだ。彼女が、社会で活躍している様子が伝わってくる。
フェイスブックの利点であり、利用して良かったと思う所以である。
フェイスブックには、字数の制限はないが、圧倒的に写真の投稿が多い。
写真を中心に文を添えるとの言い方が適切かもしれない。私も真似をしている。
友達の多い人には、いいね!や短いコメントが多い。「共感」がキーワードになっている。
私も、いいね!されたり、コメントをもらえると、素直に嬉しいと思う。
顔も知らないウエブ上でのつながりだが、少しずつ増やし始めている。友達の友達は
友達である。善意の友達関係を持ちたい。世の中は善意の人で成り立っているわけではない。、
フェイスブックは、ブログではないので、写真を添えて、日記を書くのに適しているのが、
グーブログ(blog.goo.ne.jp/gobowler)だと知り、2月の末から始めた。私にとって写真の投稿
がやりやすい。欠点は容量が大きくない。フェイスブックのほうが、容量が大きいことが
最近わかった。これも困った時に、友人のEさんに頼んで、問題は解決した。
私はやってはいないが、Line がある。「既読スルー」との言葉を知った。
簡単に「無視」と理解している。仲間でのメールが中心とのことを息子から聞いている。
次男は、携帯のメールはほとんど使わないと言う。ラインでやると言う。
様々な問題点を耳にしているが、SNSの世界で大切なことは、「判断力」に尽きる
と私は考えている。アフリエイト(成果報酬型広告)なるものも実に多い。それには
気をつけている。ツイッターで成人向けのエロ写真を投稿している人もいる。
「IS」もプロパガンダに動画を主体に発信している。善悪の「判断基準」を持つこと
が求められている時代とも言える。SNSの世界に限ったことではない。
玉石混交の政治家が政治不信を招いているようなものだ。選挙のことしか考えていない
政治家がいかに多いことか。若者が政治離れする気持ちは理解できるが、
そのような政治家の行う政治に、立ち向かう姿勢と行動及び勉強をわすれてほしくない。
選挙も棄権してはいけない。国民としての権利と義務である。責任である。
将来を担うのは、若者世代なのだ。気がついてからでは遅いのだ。
話しがそれてしまったが、私の最後の教え子に伝え、強調したいのだ。
私の持っているものは、これからもすべて公開する。私の考えを押し付けるつもりは、
断じてないことを言っておく。考え方の一つの材料になってくれれば、本望である。
私が「SNS」を利用している最大の理由だと理解してほしい。
私もこの世界を知って、一歩成長したのだ。人間の「心の成長」は無限である。
私の実感でもある。パソコンのサポートをしてくれているEさんには、あらためて
お礼を述べたい。「ありがとう」
個人的、主観的なとの意味で使っている。誰でもそうではないかと言えるが、
客観的とは、検証が伴う必要があると考えるからである。「私の」には、
何の検証も伴っていないということを意味する。
「SNS」とは何のことか、ブログを書くまで知らなかった。言葉としては、耳に
していたが。おそらく Social Network Service の略だと思っていた。
頭文字からは、SNSになる。Nが、Networking とは知らなかったのだ。
なるほどと思った。「つながる」ということだと理解した。社会的なつながりを提供
するサービスということになる。人は、人や社会とのつながりの中で生きている。
何も知らない人間が、「未知の世界」に迷い込んでしまった。
夏に帰ってきた次男にURLを教わった。ウエブサイトのアドレスのことだと。
ブログを書くなら、一番大きいサイトのアメーバブログがいいと教えられて、
http://ameblo.jp/gobowler (ウエブ上の住所・氏名)として、ブログを始めた。
私のブログの第1号は、毎日新聞「みんなの広場」への投稿掲載文である。
そのあとで、安全保障問題について書いた。自分の意見の発信の場として、ブログ
を選んだ。ブログが、Weblog と知ったのはあとである。ウエブ上の記録のことで、
個人の発信の場所と理解している。
「自分史」は、書き残して置きたいと思っていた。息子や孫のために。「私の人生の記憶」と
題した。3ヶ月で書き終わり、私が英語の教師の記録として、「私の英文法対話」を
載せることにした。教え子に、「ブログとは、先生らしいと思います。100本を目標にして
頑張って下さい」と言われたが、それ程書くことがあるだろうか、
いつまで続けられるか全く自信がなかった。
このような状態で、ブログをスタートした。
話題をSNSに戻すと、Facebook や Twitter には、自ら登録をしたわけではない。
「星の王子さま」のブログから連携されたようだ。フェイスブックやツイッターのことは
知らなかった。その中に迷い込んだのだ。「好奇心」がさせたことではあるが。
私にも「好奇心」なるものがあったのだ。まだ発展途上の人間である。
Twitter は tweet と同意で、「(小鳥が)さえずる」との意味だ。140字以内と
字数制限があると知った。簡単なコメントや短文投稿に適している。
Facebook は、造語であるが、「顔」を表示するのが、基本ではないかと考える。
私は、すべての個人情報を出している。そこまでする必要はないが、自己責任の意味
もあるが、正直な自分をさらす人間である。自分の生き方なのだから。
Facebook で、作家の山崎洋子さんと知り合い、友達の承認をしてもらった。
実は、彼女とは、高校の同期生である。共通の英語の先生・岩井茂先生のことが、
きっかけである。彼女は、レジェンド・オブ・ヨコハマの連載記事を書いている。
挿絵が安藤ニキさんだ。「移民宿」と題する文を読んだ。私は新しい知識を得た。
そこに紹介された「バンクーバーの朝日」の映画を見た。
山崎洋子さんの文章は、素直に読める。てらいのない良い文章だと感じた。
彼女の最新作「誰にでも、言えないことがある」を買って読んだ。よく自分のことを
さらけ出して書いたなと感心した。苦労した人生を知った。身近な存在になった。
彼女のブログ「雑記・冬桃ブログ」を書いている。いいブログだ。よく拝見している。
「文は人なり」と言われるが、いくつか文を読めば、人がわかるものだ。
逆な言い方をすれば、文を書くことで、底が知れてしまうのだ。読み手の力にもよる。
文を書くことは、自己の表現である。パソコンの変換ミスに気付かなかったり、失敗
をしているが、文を通じて、自分の想いを発信できることこと自体がいいことだと
思っている。不特定多数の人が受信するが故に、怖い側面があるが、伝わる人には、
想いが伝わると信じている。だからすべて正直に公開しているのだ。自分の生き方、
考え方を公開しているのだ。最初に書いたように、私の個人的な、主観的なものである。
フェイスブック上の友達で、直接フェイスを知っているのは、友のEさんと教え子の
S・Kだけである。彼女の結婚式に招待され、出席して祝辞を述べている過去のことが
思い出されるのだ。彼女が、社会で活躍している様子が伝わってくる。
フェイスブックの利点であり、利用して良かったと思う所以である。
フェイスブックには、字数の制限はないが、圧倒的に写真の投稿が多い。
写真を中心に文を添えるとの言い方が適切かもしれない。私も真似をしている。
友達の多い人には、いいね!や短いコメントが多い。「共感」がキーワードになっている。
私も、いいね!されたり、コメントをもらえると、素直に嬉しいと思う。
顔も知らないウエブ上でのつながりだが、少しずつ増やし始めている。友達の友達は
友達である。善意の友達関係を持ちたい。世の中は善意の人で成り立っているわけではない。、
フェイスブックは、ブログではないので、写真を添えて、日記を書くのに適しているのが、
グーブログ(blog.goo.ne.jp/gobowler)だと知り、2月の末から始めた。私にとって写真の投稿
がやりやすい。欠点は容量が大きくない。フェイスブックのほうが、容量が大きいことが
最近わかった。これも困った時に、友人のEさんに頼んで、問題は解決した。
私はやってはいないが、Line がある。「既読スルー」との言葉を知った。
簡単に「無視」と理解している。仲間でのメールが中心とのことを息子から聞いている。
次男は、携帯のメールはほとんど使わないと言う。ラインでやると言う。
様々な問題点を耳にしているが、SNSの世界で大切なことは、「判断力」に尽きる
と私は考えている。アフリエイト(成果報酬型広告)なるものも実に多い。それには
気をつけている。ツイッターで成人向けのエロ写真を投稿している人もいる。
「IS」もプロパガンダに動画を主体に発信している。善悪の「判断基準」を持つこと
が求められている時代とも言える。SNSの世界に限ったことではない。
玉石混交の政治家が政治不信を招いているようなものだ。選挙のことしか考えていない
政治家がいかに多いことか。若者が政治離れする気持ちは理解できるが、
そのような政治家の行う政治に、立ち向かう姿勢と行動及び勉強をわすれてほしくない。
選挙も棄権してはいけない。国民としての権利と義務である。責任である。
将来を担うのは、若者世代なのだ。気がついてからでは遅いのだ。
話しがそれてしまったが、私の最後の教え子に伝え、強調したいのだ。
私の持っているものは、これからもすべて公開する。私の考えを押し付けるつもりは、
断じてないことを言っておく。考え方の一つの材料になってくれれば、本望である。
私が「SNS」を利用している最大の理由だと理解してほしい。
私もこの世界を知って、一歩成長したのだ。人間の「心の成長」は無限である。
私の実感でもある。パソコンのサポートをしてくれているEさんには、あらためて
お礼を述べたい。「ありがとう」