「団塊の世代」とは、第二次大戦後、(1947年~1951年に生まれた世代
(ベビーブーム世代)のことで、 作家の堺屋太一氏が命名したとされている。、
「昭和22年から26年頃までに生まれた人々ごろまで」という定義をした。
アメリカでは、ベビーブーマーと呼ばれている。その代表として、
ヒラリー・クリントン元アメリカ合衆国国務長官がいる。
彼女は、第42代アメリカ合衆国大統領、ビル・クリントン夫人であり、
次期大統領候補とされている政治家である。
私は、1947年の生まれで、最大の人口の世代である。
戦争は、経験していないが、戦後の焼け野原から復興していく過程を経験し、
「貧しさ」を知る世代でもある。食糧や物が不足していた時代を知る。
日本経済においては、高度成長、バブル景気と失われた20年間開始までの
時代をともに経験した。
突出した人口のために、良くも悪くも日本社会に大きな影響を及ぼした世代と言える。
その団塊の世代が高齢化して、「高齢者世代」になっているのが、現在である。
私は、「前期高齢者」と呼ばれるようになった。その意識はないが。
子どもの頃から、「競争」を強いられてきた世代でもある。
その世代も、社会の第一線から退きつつあり、退職者も多く、私のように、
「年金生活者」になってきている。
私の同期の親友5人は、3人が現役で、2人が退職している。
私を含めると退職者は3人で半数となる。3人の友もいつまで現役で働いて
いられるかはわからない。その友に「働ける間は、働いていたほうがいいよ」
と言っている。私の実感からの言葉である。
したがって、最大の問題は、健康である。私と同期で学んだ友人1人と同期の同僚1人が
すでに他界している。あまりにも早過ぎる。とても悲しく残念だ。
私は、長い間病気で苦しんできただけに、健康であることは、最大事である。
私の世代・所謂団塊の世代は、パソコンが弱いが故に、「SNSの世界」に入って
いけない人が多い。
私は、昨年の夏から、ブログを始めた。人生の記録や、想いを書き、発信したい
との気持ちからだ。ツイッターやフェイスブックも利用している。
私にとっては、「新しい世界への挑戦」とも言える。「チャレンジだ」
フェイスブック上で、会ったこともない人と友達になり、
その人のアップした写真を見たり、その友達のブログを読む。
私もコメントを添えて写真をアップしている。
最大の楽しみは、「共有」「共感」「共鳴」ではないだろうか。
一言の英語で表現すると、「シンパシー」である。
退職してから、人との関わりが減っている。
「人は社会的動物である」が故に、人や社会との関わりがなくなると
寂しく感じるものである。この立場にならないとわからない。
私は、人生を振り返る年齢になり、健康と人や社会の関わりを大切にしたい
との心境である。
アナログ人間がデジタルの世界に入り、「新しい発見」もある。
踏み込んでみてはじめてわかる世界である。インターネットの世界を
避けることのできない時代になったのだ。善悪の問題ではない。
時代の大きな流れである。
SNSは、Social Networking Service の略で、現代の社会の関係性の
サービスである。このグローバルな情報化時代が生み出したツールなのだ。
私の趣味の世界では、世界中の人とリアルタイムで囲碁を楽しむことができる。
もちろん、対面して碁を打つアナログの世界のほうがいいことは、確かである。
私が、このようにデジタルな世界に入れたのは、パソコンに詳しい友が
いるからだ。その友には、感謝の気持ちで一杯である。
私はアナログの世界のほうが好きな人間であるが、デジタルな世界には、
アナログの世界では味わえないことがたくさんある。その逆のことも言える
のだが。デジタル世代には、アナログの世界の良さは理解できない。
人は、生きている時代をそのまま受け入れることしかないのだから。
世代間のギャップも認め合う「寛容性」が求めらるように感じる昨今でる。
(ベビーブーム世代)のことで、 作家の堺屋太一氏が命名したとされている。、
「昭和22年から26年頃までに生まれた人々ごろまで」という定義をした。
アメリカでは、ベビーブーマーと呼ばれている。その代表として、
ヒラリー・クリントン元アメリカ合衆国国務長官がいる。
彼女は、第42代アメリカ合衆国大統領、ビル・クリントン夫人であり、
次期大統領候補とされている政治家である。
私は、1947年の生まれで、最大の人口の世代である。
戦争は、経験していないが、戦後の焼け野原から復興していく過程を経験し、
「貧しさ」を知る世代でもある。食糧や物が不足していた時代を知る。
日本経済においては、高度成長、バブル景気と失われた20年間開始までの
時代をともに経験した。
突出した人口のために、良くも悪くも日本社会に大きな影響を及ぼした世代と言える。
その団塊の世代が高齢化して、「高齢者世代」になっているのが、現在である。
私は、「前期高齢者」と呼ばれるようになった。その意識はないが。
子どもの頃から、「競争」を強いられてきた世代でもある。
その世代も、社会の第一線から退きつつあり、退職者も多く、私のように、
「年金生活者」になってきている。
私の同期の親友5人は、3人が現役で、2人が退職している。
私を含めると退職者は3人で半数となる。3人の友もいつまで現役で働いて
いられるかはわからない。その友に「働ける間は、働いていたほうがいいよ」
と言っている。私の実感からの言葉である。
したがって、最大の問題は、健康である。私と同期で学んだ友人1人と同期の同僚1人が
すでに他界している。あまりにも早過ぎる。とても悲しく残念だ。
私は、長い間病気で苦しんできただけに、健康であることは、最大事である。
私の世代・所謂団塊の世代は、パソコンが弱いが故に、「SNSの世界」に入って
いけない人が多い。
私は、昨年の夏から、ブログを始めた。人生の記録や、想いを書き、発信したい
との気持ちからだ。ツイッターやフェイスブックも利用している。
私にとっては、「新しい世界への挑戦」とも言える。「チャレンジだ」
フェイスブック上で、会ったこともない人と友達になり、
その人のアップした写真を見たり、その友達のブログを読む。
私もコメントを添えて写真をアップしている。
最大の楽しみは、「共有」「共感」「共鳴」ではないだろうか。
一言の英語で表現すると、「シンパシー」である。
退職してから、人との関わりが減っている。
「人は社会的動物である」が故に、人や社会との関わりがなくなると
寂しく感じるものである。この立場にならないとわからない。
私は、人生を振り返る年齢になり、健康と人や社会の関わりを大切にしたい
との心境である。
アナログ人間がデジタルの世界に入り、「新しい発見」もある。
踏み込んでみてはじめてわかる世界である。インターネットの世界を
避けることのできない時代になったのだ。善悪の問題ではない。
時代の大きな流れである。
SNSは、Social Networking Service の略で、現代の社会の関係性の
サービスである。このグローバルな情報化時代が生み出したツールなのだ。
私の趣味の世界では、世界中の人とリアルタイムで囲碁を楽しむことができる。
もちろん、対面して碁を打つアナログの世界のほうがいいことは、確かである。
私が、このようにデジタルな世界に入れたのは、パソコンに詳しい友が
いるからだ。その友には、感謝の気持ちで一杯である。
私はアナログの世界のほうが好きな人間であるが、デジタルな世界には、
アナログの世界では味わえないことがたくさんある。その逆のことも言える
のだが。デジタル世代には、アナログの世界の良さは理解できない。
人は、生きている時代をそのまま受け入れることしかないのだから。
世代間のギャップも認め合う「寛容性」が求めらるように感じる昨今でる。